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オレデミー大賞 2019大賞発表

前回の10月期に続きまして、オレデミー大賞2019年の年間大賞です!

10位 なつぞら NHK 月~土 08:00 4月期
9位  これは経費で落ちません NHK 金 22:00 7月期
8位  グランメゾン・東京 TBS 日 21:00 10月期
7位  3年A組 今から皆さんは人質です 日テレ 日 22:30 1月期
6位  デジタルタトゥー NHK 土 21:00 4月期
5位  まんぷく NHK 月~土 08:00 1月期(放送開始は18年10月)
4位  俺の話は長い 日テレ 土 22:00 10月期

3位 監察医 朝顔 フジ 月 21:00 7月期

2位 同期のサクラ 日テレ 水 22:00 10月期

1位 いだてん NHK 日 20:00 全月期

深夜枠

3位 日本ボロ宿紀行 テレ東 金 24:52 1月期
3位 Iターン テレ東 金 24:12 7月期

2位 フルーツ宅配便 テレ東 金 24:12 1月期

1位 きのう何食べた? テレ東 金 24:12 4月期

各賞

主演男優賞 阿部サダヲ 中村勘九郎(いだてん)
主演女優賞 高畑充希 (同期のサクラ)
助演男優賞 草刈正雄(なつぞら) 
助演女優賞 松坂慶子(まんぷく)
新人賞    菅原小春(いだてん)

主題曲賞 「結び様」 indigo la end (僕はまだ君を愛さないことができる)
美術賞   グランメゾン・東京
撮影賞   ストロベリーナイト・サーガ

「総評」2019年の最高傑作は何といってもNHK大河ドラマ「いだてん」でした。視聴率的
にはかなり苦戦したようですが、大河ドラマのテーマが「時代の一部分を切り取る」という
ことであるなら、まさにドンピシャのドラマでした。ただ、近現代史は大河っぽくないと思わ
れる方や、舞台劇のようなセリフの掛け合いの会話劇に慣れない方が多かったのでしょ
うかね。でも、演じていた役者さんたちは、演じていて楽しかったんじゃないかな。そんな
雰囲気も伝わってきたドラマでした。主演男優賞もお二人に。
同じくNHKの朝ドラが安定した成績。まぁ、朝に観るドラマとして無難な作り方になっている
ワケではありますが、朝ドラの脇役をきっかけにメジャーになってゆく役者さんも多いですし、
ベテランの役者さんでもうまく魅力を引き出している作り方が窺えます。草刈正雄、松坂慶子
のおじいちゃん、おばあちゃん役はまさにその典型でした。
深夜ドラマはテレ東の圧勝!特に「きのう何食べた?」は内野聖陽と西島秀俊のW主演で
ゴールデン枠でも十分勝負できた作品だと思います。「おっさんずラブ」とテーマは同じながら
アプローチの仕方が全く違う。でも両方とも過剰にコメディにもシリアスにもならない。二つを
比較して観るととても面白いです。
「日本ボロ宿紀行」は続編を希望。深川麻衣がとても良い。
「俺の話は長い」も、放浪をしないニートの寅さん、みたいなキャラでシリーズ化できないかな。
ドラマチックなことが起きなくても、平凡な日々の連続でもいい、お茶の間と家族の会話が主役
のホームドラマがもっとあってもいいですよね。
主題曲賞の「結び様」(indigo la end)はドラマ中でも重要な役割を果たしていることから、印象
も強かったです。

さてさて、2週間遅れて「麒麟がくる」もいよいよスタート。
初回の視聴率はなかなか良かったようです。やはり戦国時代は人気ありますね。
ワタクシも期待しております!


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オレデミー大賞 2019 10月期発表

いつまでも年賀状を貼っておくわけにもいかないので、更新します(汗;)
先ずはオレデミー大賞10月期の発表です。

10位 G線上のあなたと私 TBS 火 22:00
9位  リカ フジ 土 23:40
8位  時効警察はじめました テレ朝 金 23:15
7位  おっさんずラブ in the sky テレ朝 土 23:15
6位  ニッポンノワール 日テレ 日 22:30
5位  シャーロック アントールズドストーリーズ フジ 月 21:00
4位  まだ結婚できない男 フジ 火 21:00

3位 グランメゾン・東京 TBS 日 21:00

2位 俺の話は長い 日テレ 土 22:00

1位 同期のサクラ 日テレ 水 22:00

深夜枠

3位 ひとりキャンプで食って寝る テレ東 金 24:52
2位 死役所 テレ東 火 24:12
1位 僕はまだ君を愛さないことができる フジ 月 26:40

主演男優賞 生田斗真(俺の話は長い)
主演女優賞 高畑充希(同期のサクラ)
助演男優賞 でんでん(死役所)
助演女優賞 吉岡美穂(時効警察はじめました)
新人賞    永野(ミリオンジョー テレ東 水 25:35)

主題曲賞 「結び様」 indigo la end (僕はまだ君を愛さないことができる)
美術賞 グランメゾン・東京
撮影賞 ひとりキャンプで食って寝る

「総評」今期のドラマのテーマは「側にいたらめんどくさい人」でしょうか。「まだ結婚でき
ない男」の桑野さん、「俺の話は長い」の満、「同期のサクラ」のサクラ、などなど。まぁ「リカ」
の雨宮リカあたりまでいくと、面倒というより恐怖でしかありませんが・・・^^;
その「リカ」の高岡早紀は最近サイコに偏った役が多いですけど、これが見事にハマってますね。
恐怖女優の道を邁進して欲しいと思います。

「G線上の・・・」は波瑠が良かった!彼女、朝ドラでブレイクしてからドラマの主演は多い
ものの、何か役柄に恵まれないというか、面白いというドラマに起用されていなかった感じ
があったのですが、このドラマの也映子は思いっきり演じていたように見えて良かったです。
フレームの大きいメガネをかけていたのも、内向的な性格を印象付けていて効果アリ。
小道具って大事ですね。

「時効警察」「おっさんず」「結婚できない」は人気作品の続編。ということで、ヘンにいじら
なければ平均以上に面白いです。「おっさんず」は黒澤キャプテンが途中で悟りを開いちゃ
ったように、全体を見守るようになったのが残念。もっとはるたんに攻め寄ってジタバタして
欲しかったですね。大きな愛を描こうとするより、コメディに徹した方が私は好きです。

「ニッポン・・・」は1月期ドラマ「3年A組」とリンクさせてある所は面白いと思いましたが、最
後は全員改造人間の特撮ものみたいになっちゃったのが残念。話も飛躍し過ぎに感じ
ました。

「シャーロック」。子供の頃好きで、江戸川乱歩とかドイルとかルブランの児童向けに書き直
された本を夢中になって読んだものです。たしかポプラ社のシリーズだったかな?ストーリー
はほとんど忘れてるので、このドラマの元ネタもわからない(汗;)ディーンの獅子雄も「側に
いたらめんどくさい」人ですねw。最終回の後にスペシャルを放送したり、パート2をやる気
マンマンとみえます。

「グランメゾン」は「ピンチ→乗り切る→ピンチ→乗り切る」の典型なんですけどね。そこに、
主人公が仲間を一人一人集めて力を結集させていくという要素が加わって、面白くなりまし
たね。RPG的といいますかね、こういう話作りって日本人は大好きなんですよ。昔話の「さる
かに合戦」や「桃太郎」がそうでしょ。黒澤明の「七人の侍」がそうでしょ。

「俺の話」はお茶の間が舞台というホームドラマの復権ですね。「渡る世間」とは別世界の
「寺内貫太郎一家」とか「ムー」とかのカラッとした感じのホームドラマ。こういう感じで作れば
現代感も出せるんだという、いい見本になったのではと思います。家族間の会話の応酬が
この手のドラマのキモですが、生田斗真と小池栄子、安田顕、清原果耶、原田美枝子らが
実に上手かった。1時間の枠で2本のストーリーという構成も、話を簡潔にまとめていて良
かったです。

「同期のサクラ」。1年を1話にまとめるという展開も斬新で良かったですが、何よりも主人公
を演じた高畑充希ですね、特筆すべきは!この人がいなかったらこのドラマは成立しなかった
でしょう。「過保護のカホコ」や「忘却のサチコ」の延長線上に位置するのでしょうけど、立ち居
振る舞いや走り方など、「ちょっとヘンな動き」まで創作してキャラの特徴を印象付け、それを
完全に自分のモノにしてしまう辺り、スゴ過ぎます。キャラを演じるのではなく、キャラを自分に
取り込んでしまうというのでしょうかね。憑依型っていうのでしょうか。

「ひとりキャンプ・・・」。ソロキャンっていうのが流行ってるって、ドラマで初めて知りました。実は
ワタクシ、テントで寝たことが一度もありません。夜中にビッグフットが出てきそうでイヤです。
「僕はまだ・・・」恋愛ドラマが苦手なワタクシが観て面白かったです。このドラマは7月期から
の放送で、全16話と長かったのも丁寧な作り方に感じたのでしょうか。入山法子と志尊淳が
主演した「きみはペット」と脚本、監督が同じ人なんですね。あれも良かったですからね。

次回、オレデミー大賞2019年 大賞発表!


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比翼塚 維新哀話⑤

今年最後の記事になると思いますが、この「比翼塚」も最終回です。
長々とお付き合いいただき、「ありがとぉぅーー」(by 谷村新司)

さて、話は明治維新前夜。
1月に鳥羽・伏見の戦いが起こり幕府軍は敗退。慶喜は降伏を受け入れ、寛永寺
に謹慎します。
その前後、慶喜は幕臣の屋敷の貸与・売買の自由や随身の自由を認めます。
徳川家は断絶とはならずに、田安亀之助(後の徳川家達)が相続を許され、駿河
70万石に移封されました。希望する幕臣は家達に付いていきますが、全員が行ける
ものではありません。
ましてや、旗本の陪臣などどうなったものか・・・。

ということで、遠山家の維新前後はどうだったのか?
なかなか書かれている史料がないので詳細はわからないのですが、当時の当主は
遠山金四郎景之です。「遠山金四郎家日記」によれば遠山家9代目ということになり
ます(遠山の金さんは6代目)。
この景之のお墓は他の遠山家一族と共に巣鴨の本妙寺にあります。その墓石を見る
と没年は慶応4年8月26日となっています。つまり元号が明治にかわる直前に景之は
亡くなってしまいました。享年はわずか28歳。
本妙寺は明治期に巣鴨に移転してきましたが、元は本郷にありました。ということは、
景之は東京(8月10日に江戸から東京に改称)で亡くなったということでしょうか。

また、静岡県浜松市にある楞厳寺(りょうごんじ)には遠山家の過去帳が残されている
そうで、初代景吉(宝永7年・1710年没)からの遠山家一族の没年、戒名等がわか
りますが、それによると景之の後は10代目として景福が遠山家を継ぎ、この景福さん
は昭和7年(1932)に亡くなっているとのこと。
この景福さんは明治元年9月3日に、遠山家の旧領だった上総国岩熊村に移住し帰農
したそうです。岩熊村の農民らは景福を慕い明治3年(1870)に「遠山講」を組織して
歴代当主の功績を讃えたといいますから、遠山氏はよほど善政を敷いた領主だったの
でしょう。

ただし、比翼塚の宮嶋巌さんは岩熊村へは行かなかったということになります。
これは、主人であった景之が幕府瓦解と同時に亡くなってしまい、遠山家がその瞬間
に解散状態になってしまったことを想像させます。宮嶋夫妻には太郎という息子がいた
らしいことは分かりましたが、その息子とも一緒に暮らせない事情ができたのでしょうか。
主人に付いてゆくこともできず、江戸(東京)にもいられず、全く土地勘のない高木村に
やってきたことを思うと、当時の幕臣関係者の寂しさが偲ばれます。

「よもやまばなし」には宮嶋巌さんは「高木村の明楽寺の庫裡に留守番として」住み込んだ
とあります。
「里正日誌」の明治3年11月の記録には、韮山県に提出した村々の神社の詳細が出て
います。一部抜粋します。

  武蔵国多摩郡高木村鎮座
尉殿大神社  但式外

(中略)

一 新補神主宮嶋岩保儀位階御座無く、家筋の儀は元百姓哲右衛門鍵取に候所、本
別当明楽寺永く無住に付き去る辰十二月中右同人祠官願い済ましに御座候。

(以下略)


尉殿大神社は高木村の神社で、現在は高木神社と名前を変えています。明楽寺は
その別当寺でした。鍵取というのは管理人のことです。
宮嶋さんは土地がないので帰農することもできず、高木村の村民となって神社の祠官
(しかん)となったのでしょうね。祠官とは明治4年(1871)に府県社や郷社に置かれた
神職者のことですが、明治6年(1873)に平民籍へと編入されています。

また、「よもやまばなし」によれば、宮嶋さんは「かたわら寺子屋を開いて村人に読み
書きを教えて」いたとあり、ここから収入を得ていたようにも感じられます。
しかし、明治5年(1872)8月には学制が布かれ寺子屋教育は終わりとなります。
最初の小学校は寺や神社に置かれ、高木村の場合は隣りの後ヶ谷村にある円乗院
に「竭力学舎」が設けられました。教員となったのは旧寺子屋の師匠、神官、僧侶と
いった人たちでしたが、試験を受けて合格しなければならずかなりハードルは高かった
ようです。
「学区取締創置之件」には

「・・・・全く小学校教師の任に堪え難き者相存じ居り候趣も相聞き、右等の義は開化の
障碍と相成り候間、速やかに廃業致すべき候、・・・」


とあって、幕臣の身内だった宮嶋さんなどは「開化の障碍」として教員にはなれなかった
ものとも思われます。
宮嶋巌さんは明治6年8月15日、病死したとありますが、将来を悲観して体調が悪化
したのかもしれません。

明治維新では、旧幕臣の肩身の狭さや、悲劇など様々な話が伝わります。
東大和市高木の比翼塚も、そんな時代の中に翻弄された一組の夫婦の史跡です。

高木神社a
現在の高木神社。
創建は不明ながら江戸時代までは尉殿権現社の名称で、明治の廃仏毀釈に伴い
高木神社と改められました。祭神は手力雄命と伝わります。
神社と隣接して別当寺の明楽寺がありました。後ヶ谷村の円乗院の塔頭だったと
いいます。

六十六部供養塔
こちらの写真は比翼塚と同じく旧明楽寺墓地に建てられている六十六部供養塔。
全国六十六ヶ国の霊場に納経する巡礼の行をして、その達成を記念したもの
でしょうか。宝暦4年(1754)建立。天辺に大日如来を安置しています。
右側に「願主 江戸麹町拾壱丁目 河清平左衛門 法名 光円」
裏側に「武陽多摩郡高木邑」
台座正面に「小野伊左衛門 尾崎伝左衛門 宮鍋定七郎 尾崎宇兵衛 施主 当村中
宮鍋久右衛門 尾崎平左衛門 和地佐兵衛 念仏助 若イイ者中」
台座左側に「飯田町 伝八郎 三郎兵衛 麹町十二丁目 小右衛門 麹町 禄兵衛」
とあります。これも、江戸と高木村との間に交流があったことを示します。


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比翼塚 維新哀話④

歴史の隅っこをツツく、マイナーなお話ワタクシのブログ。
比翼塚のお話も、もう少しお付き合いくださいませませ。(by さだまさし)

「よもやまばなし」の中で一つ引っ掛かるのは、遠山家所縁(家臣かそれと同等
の身分)の宮嶋夫妻が、「奉公人の里」である、高木村に来たという点です。
高木村の村民がなぜ、遠山の金さん宅の奉公人になれたの?という所。

「寛政重修諸家譜」では遠山景晋(金さんの親父)の石高は500石。これが先祖
代々からの遠山家石高です。
「遠山金四郎家日記」によれば、知行地は上総国岩熊村(現千葉県いすみ市)の
300石と、下総国今泉村・樋橋村(現茨城県下妻市)200石だそうです。
こういった場合、奉公人は知行地から呼ぶことが多いのではないでしょうか。
遠山家でも中間は岩熊村の者が務めていたようです。

安政三年十一月五日  未晴昼後風  貢助 泊喜藤太
一、名主専次郎出府の事

安政三年十一月八日  戌晴  泊共喜藤太
一、御中間三年の分、藤三・専蔵・清七・兼吉、右四人、重年これを御願い、喜代三・
治助両人は御暇相願い、もっとも治助義は、代り人参り次第帰村候つもり申立て候事。
御給金名主専次郎へ相渡す。


中間は年季勤めで、希望すれば更新され、退職すれば替わりの者が同じ岩熊村から
やってきました。そしてその給金は名主が代表して受け取っていたことがわかります。
慶応年間にも同様の事例が記録されています。
つまり、中間という一例ではありますが、当時の武家奉公人は個人で契約するのでは
なく、知行地の村単位で供給していたということが推察されます。もっとも同時に、池波
正太郎の小説にでてくる音羽屋半右衛門のような人入れ家業があったのも事実です
から、これらは並列して行われていたのでしょう。

知行地でもない高木村の村人が、町奉行まで勤めた遠山家に奉公をし、譜代家臣と
同等であった宮嶋家と懇意になるというのは、どのような経緯があったのでしょうか。

東大和市域の村々は江戸時代初期には旗本の知行地でしたが、やがて天領に支配替え
され幕末まで続きました(一時他藩の預け地となったことはある)。
当時の税はご存知の通り米ですが、東大和周囲は水の便が悪く良質の米が収穫できま
せんでした。当時の評価で「下下田(げげでん)」という、最低ランクの田圃しかないのです。
鬼太郎が唄うゲゲゲの唄が聞こえてきそう。
「こんな米は受け取れん!」てんで、年貢は金納とされました。
そこで、村では馬に野菜やら炭やらを背負わせて江戸に向かいます。そして江戸市中に
荷物を納め、運送賃として代金をもらい年貢に当てました。これを農間稼ぎと言います。
こうして荷物を納めた先の中には、大名や旗本などの武家屋敷がありました。

「里正日誌」の文久2年にはこのような記事が出ています。

  差し上げ申す一札の事
私の父、武州多摩郡高木村百姓勘左衛門と申す者、当戌五十歳に罷りなり、農間炭渡世
仕り来り。去る十月廿日、御出入り御屋敷様の御払い代金請け取りのため罷り出、その後
立ち帰り申さず候につき、所々相尋ね候ところ、四ツ谷内藤新宿の内藤駿河守様御下屋敷
内古井戸へ落ち入り相果ており候旨を、御同人様御家来三浦平兵衛殿より御知らせ候に
つき、早速罷り越し見候ところ、父勘左衛門疵を請け相果ており候死骸に御座候。
もっとも平日、意趣遺恨など請け候覚え御座無く、何故右始末に及び候や、かつて存じ奉ら
ず候。御検分相済み候上はなおまた御見下され候ところ、右勘左衛門死骸に相違いなき
御座候間、なにとぞ御慈悲をもってお渡しくだされ候わば、請け取り奉りたく此の段願い上げ
奉り候。以上。


ちょっと異常な事件性のある記事なので例としてはどうかと思ったのですが、高木村の人
が江戸へ農間稼ぎをしに行っていたという事例です。新宿にあった内藤家の下屋敷であれば、
成木道(青梅街道)をまっすぐですから便利でもあったでしょう。
しかし、遠山家となると違います。遠山家があったのは愛宕下大名通りの近く。現在のJR
新橋駅を少し南に行った所です。

img044aaa.jpg
赤く丸で囲ったところ。もうちょっとアップします。
img044aaaa.jpg

この場所まで農間稼ぎに行くのは、すこし遠いのではないかと思います。
何か遠山家と高木村を結ぶものがないかと地図を見ますと、遠山家の南に鉄砲調練場
があります。ここは江川太郎左衛門英龍が亡くなったあと、その遺蹟を讃えて幕府から
息子の英敏に与えられた芝新銭座大小砲習練場のことです。本所にあった江川氏の
役宅もこちらに移ってきています。遠山家とは目と鼻の先。
一方、安政の改革の一環として、幕臣男谷精一郎の建言を入れた幕府は講武所を発足
させますが、この講武所が一時ここに置かれます。
さて、遠山家は文久3年(1863)に景元の孫の景彰が亡くなり、養子の景之が当主と
なっていました。この景之が講武所奉行支配、海軍奉行並支配の役職に就いているの
です。英敏を継いだ江川英武も講武所教授方になっており、江川・遠山両家は互いに
知る立場にあったことになります。

文久元年以降、すでに講武所は水道橋(現日本大学法学部)に移転していましたが、
江川支配地の村民は芝の江川代官所によく行っていましたし、高木村-江川代官所-
遠山家、というような繋がりで、高木村の村民が遠山家に紹介され、出入りを許されて
いたのではないか・・・と想像を膨らませてみました。
残念ながら、「遠山金四郎家日記」には「江川」という人物は登場していないようです。
まぁ、当時の江川家は当主の英武がまだ年少で手代の柏木総三が切り盛りをしてい
ましたから、名前が出てこないのは仕方のないことかもしれません。

いずれにしても、幕府高官を務める家に奉公をする人物ですから、ある程度信用の
置ける者でなければなりません。高木村の村民が遠山家に出入りするにはこんな
ルートがあったのでは、と歴史ファンの想像でございます。


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