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御嶽神社と仙光谷津  東大和市蔵敷

前回ご紹介した熊野神社から、東に向かって歩いて行きます。
途中から旧道に入ります。この道は村山道と呼ばれた、旧幕時代以前のメイン
ストリート。今はほぼ住民しか利用しない生活道路です。
途中で北に入る脇道があるのでそちらに行くと、神社が1社あります。
御嶽神社です。

御嶽神社1

まぁね、このロケーションですから東大和市民でも知ってる人は少ないですよ。
これからの季節、虫除けスプレーでもしていかないと、薮蚊のエサにされて
しまうこと必至です。

御嶽神社2

御社を保護するためか、サッシのついた鞘堂に守られております(1)。
サッシには鍵が掛けられているため、中に入ることはできません。
ただ、ドアの引手から中を覗いて御社を見させていただくことは可能です。

御嶽神社5

上の写真の(2)と書かれている所には手水鉢があります。
御社に合わせるかのような、小さいカワイイ手水鉢です。

御嶽神社6

万延元年(1860)に奉納されたようですね。
反対側を見ると、蔵敷村の組頭であった鈴木家の名があり、寄進したことが
わかります。

創建年代、祭神なども不明ですが、この神社には「雨乞い」の昔話が伝わります。

雨が降らずカラカラの天気が続き、いよいよ農作物に被害がでるぞ、ヤバイぜこれはッ
!ってときになると、村の主だった人たちが相談して雨乞いの日が話し合われます。
雨乞いの前日、駆け足の得意な若者2人が青梅の御嶽神社に行き御師の家に
泊まります。
翌日、神主にお祓いをしてもらった滝の水を竹筒の中に入れ、あとはひたすら村を
目指して帰るわけです。しかし、途中で休むとその場所に雨が降ってしまうと云われて
いるため、一度も休まずひたすら交代で竹筒を担いで歩かなければならなかった
とか。それは箱根駅伝のランナーよりも辛かったかもしれません。

昼過ぎに無事竹筒の水は村に届きます。
神社では境内にしめ縄を張り、その下に「半切り」という大きなタライを4つ用意し、
中に水を入れておきます。そこへ神主がお祓いをしながら竹筒の水を注ぎこむ。
すると、身を清めた裸の男たちが登場。「さんげ、さんげ、六根清浄!」と言いながら
半切りの水をお互いにかけ合うのだそうです。

ここで、上空にわかにかき曇り、ポツリポツリと雨粒が落ちてくるようであれば、
雨乞いは大成功!ということになるワケです。
「なにソレー!そんなんあるワケないやんww」
と侮るなかれ。この雨乞いはとても効き目があり、数日後には本当に雨が降ってくる
ことが多かったといいますぞ。

信じるか信じないかは、あなた次第!

さて、写真の(3)の所にもっと近づいてみます。

御嶽神社3

右側には自然石で作られた石塔が祀られています。
表面には「ア」字を彫った形跡が、かつては認められたということですが、現在は
確認できません。何か雨乞いに関係のある石塔でしょうか?

その左側には水たまりのようなものが見えます。
これは「おみたらし」と呼ばれている小さな池で、古来どんなときでも枯れることの
なかった泉だと伝わります。
「御嶽神社のおみたらしで目を洗えば眼病が治る」という言い伝えがありました。
かつてはきれいな澄んだ湧き水だったそうです。

学生時代「近眼竜政宗」の異名をとったワタクシ、眼を良くしたい思いは重々あり
ますが、今、この水で目を洗ったらかなりヤバイことになりそうなので、やめて
おきます。

神社を後にしましょう。
境内からの階段を下り、脇道を北へ入っていきます。

御嶽神社4

砂かけばばあが今にも出てきそうな雰囲気ですが、これがワタクシの散歩
コース。
東京で三密を避けてますよ、小池都知事!

しばらく歩くと目の前が開けます。

仙光谷津

山と山に挟まれた谷の部分に開かれた場所。
こういった場所を「谷津(やつ)」や「谷戸(やと)」といいます。
狭山丘陵の南麓にはこうした谷津・谷戸がたくさんあり、こういった場所の近くに
昔の人は住居を作ったと云われます。

宝永年間(1704~1710)の名寄帳にここは「仙光谷津」の地名があります。
仙光坊という修験者の住む堂宇と墓地があったからだそうです。
この墓地に遺体を埋葬する毎に、山からイノシシが来て墓を掘り返して荒らした
のだそうです。
イノさんがなんでそんなことをするのかについては、各自ご推察くだされ。
村人たちも落し穴を掘ったりして、対抗策をとったらしいんですけどね。

そんな地元の歴史を反映したモニュメントが、すぐ近くの郷土博物館前にあります。

イノシシ

見た感じ、カワイイんです。
「ボクたち、お腹いっぱいなんだブー」

近くで遊ぶ子供たちに、このイノさんモニュメントの謂れを話してあげると、大抵の
子供たちから笑顔が消えます。


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熊野神社と芋窪礫層  東大和市蔵敷

いやぁ、奥さん!
NHKの大河ドラマ「麒麟がくる」も来月で一時放送中止ですってよ!
麒麟が来ないで「麒麟がやすむ」になっちゃいましたよ、ホントにもう・・・。
休んでたら本能寺に間に合わないよぉ!

ということで、キリンビールよりキリンレモンが好きなイッセーです。

今日のひがしやまとお散歩巡りはコチラをご紹介しましょう。
熊野神社です。

熊野神社1

旧青梅街道から1本脇道を入ったところにあります。
鳥居をくぐって石段を上がっていくと、丘陵の雑木林の中に小さな境内と本殿が
現れます。

熊野神社2

創建年代は不明とされますが、近くにある厳島神社が永禄年間(1558~72)の
創建と云われることから、同年代の創建と推測されています。しかし、近隣の旧家
小嶋家の古文書には天文2年(1533)創建と記されているそうです。
どちらにしても、江戸時代以前からあったことは間違いなさそうです。

祭神は伊弉諾・伊弉冉(いざなぎ・いざなみ)の両尊を祀っており、一説には修験が
勧請したと伝わります。
ちょうどこの神社の真下に「里正日誌」を著した内野杢左衛門さんの内野家があり、
内野家の鬼門除けに建立され、蔵敷村の鎮守とされたと「狭山之栞」には書かれて
います。

先ほど修験が勧請した説があるとと書きましたが、江戸時代までは「熊野大権現」
と呼ばれ、神仏が混交していました。
ところが明治になり神仏分離の命令が政府から出されます。
熊野大権現は浄海という僧侶が、太子堂という聖徳太子を祀った堂宇とともに管理
に当たっていました(蔵敷村には寺がなかったため、太子堂がその代りだった)。
村では浄海を神職として認め、国に許可を申請します。

明治2年(1869)から国による神仏混淆の調査がはじまり、韮山県は蔵敷村の
諸社は芋窪村の豊鹿島神社の神主が関わるように申し渡します。
蔵敷村では神仏混淆であった熊野大権現を熊野神社と改めて、ようやく村社と
して認められるに至りました。

この経緯は「里正日誌」の明治元年(1868)の記載に見ることができます。

「復職神職願」
                  当御支配所 武州多摩郡蔵敷村
                   鎮守 熊野社別当 
                   真義真言宗 太子堂 浄海事
                   復職改名 内野大内蔵

右熊野社の義、旧弊を以て熊野権現と唱い、別当仕り守り罷り在り候ところ、
今般 王政復古神仏混淆御廃止につき、熊野権現を熊野大神と称し替え仕り、
前書の通り、浄海義復職改名相願い、速やかに神主に転じ、以来相混じぬよう
神主家族らは自身神葬祭に相定め、その余祭神祈願すべて 皇国の古道を
守り天下泰平五穀豊穣の懇祈を凝し、村中安全のため社祠守護仕りたく存じ
奉り候間、何とぞ お慈悲を以て前書願いの通りお聞き済まし成しくだされ候
よう伏して願い上げ奉り候、以上。

                   当御支配所 武州多摩郡蔵敷村
                    鎮守 熊野別当
                    真義真言宗 太子堂 浄海
明治元辰十一月三日
                    氏子惣代 名主 杢左衛門
 韮山県 御役所


浄海さんは杢左衛門さんの身内でもあったようで、対応に追われていた様子が
推測されます。
熊野神社は明治の神仏分離の様子が分かる神社です。

さて、熊野神社の面白い見どころをもう一つ。

本殿の後ろは、ちょっとした崖になっており土が露出しております。

芋窪礫層1

土の中に小さな石がたくさん埋まっているのが見えますか?
大きさはピンポン玉くらい。手にとると砕けてしまう脆い石もあります。

コレは芋窪礫層(れきそう)といいます。
礫層とは小石の詰まった地層をいいますが、芋窪礫層は今から73~60万年前に
古多摩川が運んだ礫で、東大和市芋窪で地層が良く観察されるところから、そう
名付けられました。熊野神社は蔵敷ですが、ここは間近で観察できます。

現在の多摩川は、東大和市からかなり離れた南を流れていますが、その昔は
狭山丘陵の南麓を流れ、次第にその流路を南へ南へと変えていったんですね。
つまり、狭山丘陵と多摩丘陵はもともと一つの丘陵で、多摩川がこれを削ってゆき、
二つの丘陵をつくったということでしょうか。

礫層の上にはさらに赤土の地層がありますが、これが多摩ローム層で芋窪礫層
の上に約15万年前までに八ヶ岳や古箱根火山が噴火した灰が堆積したものと
考えられています。

なんか、こういう地層とか川の話は「ブラタモリ」みたいですね。

タモさん、コロナが収束したら一度遊びにいらっしゃいませんか?


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雲性寺の地頭墓  東大和市奈良橋

お久しぶりザード。吹雪を呼ぶ男、イッセーです。
ま、実際は南国の太陽の方が好きなんですけどね。
季節外れのご挨拶、失礼いたしました。

さて、みなさま。
前例のない不要不急の外出自粛が続きますが、お元気でいらっしゃいますか?
地方ではそろそろ自粛の緩和も始まっているようですが、お隣の韓国のように
浮かれてクラブに遊びに行ったら再び感染ドカーン!みたいなコトもありますの
で、ゆめゆめ御油断なされませぬようお願いいたします。

今回も、ワタクシのご近所お散歩史跡探訪といきましょう。
もう気分は高田純次かちぃちぃか、です。

この日歩きましたのは、ワタクシの自宅から一番近いお寺、雲性寺です。

雲性寺1

真義真言宗、豊山派。天王山観音院雲性寺。
ご本尊は阿弥陀三尊です。
参道から石段を上がると山門がありますが、この山門はかつて箱根本陣に
置かれていたものと伝わります。昭和26年(1951)に設置されました。
参道の両側は駐車場と宅地になっていますが、ワタクシが小学生の頃は
カエルがグァグァ鳴く田圃でした。ここが東大和市内で最後まで残っていた
水田です。

雲性寺2

雲性寺のご住職は、元々理科の先生をされていた方なので、植物がお好き。
境内に花を咲かせることを大事にしておられます。
この写真を撮ったのは、4月末日の頃ですので牡丹がきれいに咲いており
ました。
例年ですと、参道前に「境内に牡丹が咲いております。ぜひご覧になってくだ
さい」という立て札を建てていらっしゃるのですが、今年はそれも自粛。
ご住職も残念でしょうなぁ。
お庭を拝見しに伺うと、とても喜ばれる方なのでね。

現在の本堂が建てられる前に使われていた建物が、観音堂として境内の西側
に移されています。
軒下に奉納された献額があります。

雲性寺3

雲性寺4

「狭山札所巡拝記念」と書かれた額には、当時の大和村(東大和市)と近隣の
村々から巡拝に参加したおよそ300人ほどの名前が書かれています。
これがいつのものかというと、昭和5年(1930)なんですね。アメリカから
始まった大恐慌(昭和恐慌)の真っ只中です。
そんな大変な時代に、これだけの大人数で札所を巡ったわけで、当時の人々の
間にはかなり強い信仰心があったことが窺えます。

ちなみに、現在放送中のNHK朝ドラ「エール」で描かれているのが、この時代。
主人公の小山裕一クン(窪田正孝)は、世界恐慌の影響で留学がオジャンになって
しまいました。

本堂と観音堂の間を通って坂道を登っていきますと、墓地があります。
ここが本日ご紹介するメインポイント。
墓地の真ん中ほどに、古い墓石の一群があります。

雲性寺5

石川地頭墓です。

八王子城が落城した翌年の天正19年(1591)、関東に移封してきた徳川
家康は家臣である旗本を新しい領地に配属します。
当時奈良橋村と呼ばれたこの地に、領主としてやってきたのが石川太郎
右衛門という武士でした。
石川氏は家族と共に奈良橋村に住み、この地から江戸に通ったといいます。

地頭というと、鎌倉時代など中世の武士の呼び名だと思いがちですが、
江戸時代の旗本領主も地頭と呼ばれていました。

こちらの墓石郡は石川地頭とその家族の代々のお墓です。
ただし、初代から4代目までの石川氏当主は戒名のみ伝わり墓石はあり
ません。5代から7代までの当主とその家族の墓石が残されています。
通常は、地頭の墓は本堂の側に建てられるそうで、この墓石たちは移さ
れた可能性が高いようです。黒く変色しヒビの入った墓石は火災にあった
ものらしく、それが移動された原因かもしれません。

江戸の整備が進み、幕臣も官僚化が進むと地頭らは次第に江戸に屋敷が
用意され、そこで生活するようになります。
武士と土地が切り離され、土地は幕領となり、武士(幕臣)は蔵米取りと
なるわけですね。
石川氏も江戸に移りましたが、こうした時、新たな菩提寺を探してお墓をそこ
へ移すことが多いのですが、石川氏のお墓はそのまま雲性寺に残された
ようです。
こういったケースは珍しく、地頭墓が残るのは近隣では他に武蔵村山市に
あるだけとのことです。

5代目石川与兵衛矩重は享保11年(1726)没
6代目石川太郎衛門寿員は元文5年(1740)没
7代目石川半之丞矩仲は安永6年(1777)没

なお、雲性寺の近くには地頭稲荷という社があります。

雲性寺6地頭稲荷

石川氏の屋敷の中にあったので、その名前があります。
稲荷のすぐ後ろに川(奈良橋川)が流れているため、川端稲荷とも呼ばれます。


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山王社と愛宕社  東大和市蔵敷

不要不急の外出自粛要請が続いておりますが、みなさまいかがお過ごしでしょうか?

ワタクシは元々漫画家でした故、缶詰生活には慣れております。
加えて生粋のインドア。「俺たち行動派!」ならぬ「俺たち潜中派!」なので、あまり人
と交流がなくても全然平気なのですが、あまり外に出ないのも運動不足になる。

実はコレステロール値もここ数年で高くなってきており、掛りつけの医者からも「あんた
少しは運動しないとダメだぜよ」と忠告されておる次第。

そこで、まぁ近所をウォーキングするくらいならいいだろうと、週に3~4回ほど家の周
りを歩き廻っております。
ワタクシは東大和市の中でも北部の多摩湖近くに住んでおりますので、散歩コースには
不自由はないのです。
ところが昨今の報道でもご存知のように、休日にもなりますと市外から自粛疲れのファミ
リーが公園などにやってきて、結局公園が三密のようになってしまう。
これが多摩湖や多摩湖に接する狭山公園、周遊道路でも起きているワケです。

それなら、地元の人しか知らないような場所を歩いてやれ、ということで休日でも滅多に
人が通らないような狭山緑地雑木林の遊歩道を歩いております。

近所ではありますが、こんな時でもないと私もあまり歩かない場所ですので、たまに
歩くと面白い所に出たりします。

山王社 愛宕社a

雑木林の中にひっそりと佇む、小さな祠に行きあたりました。
写真だと分かり辛いかもしれませんが、手前に一つと、奥にもう一つあります。

手前の祠は愛宕社です。

愛宕社2a

右側面には「明治十一年戌寅秋社日」、左側面には「武蔵国多摩郡蔵敷村共立」
とあります。

奥の祠は山王社です。

山王社2a

山王社4右横a
右側面に「天保三壬辰年 正月吉祥日」

山王社3左横a
左側面は摩耗が激しく、よく読めません。家に帰って調べると
「蔵敷邑 願主 内野杢左衛門重泰」
と刻んであるようです。

内野杢左衛門さんと云えば、当ブログでもおなじみ「里正日誌」の著者であります。
杢左衛門は内野家当主が代々名乗った名前であり、諱の重泰さんは天保から
安政にかけて蔵敷村の名主を務めた人になります。
寛政11年(1799)に生まれ、天保元年(1830)30歳のときに父に代わって
里正(名主)を継ぎ、安政3年(1856)まで務めたそうです。
(東大和市史資料編 「里正日誌の世界」より)

天保年間の「里正日誌」の活字本が間もなく出版されると思いますので、そこには
この祠のことも出ているかもしれません。
楽しみに待ちます。

それにしても江戸時代の素朴な神祀りが、林の中でよく残っていました。
ウォーキングの途中で、こういった史跡に出会うのも歩く楽しみですね。

でも、新型コロナ、早く終息せぇよ!


狭山緑地 見晴らし台a

遊歩道をそのまましばらく歩くと、見晴らし台に出ます。
東大和市内で、富士山が一番きれいに見える場所だそうです。


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山王社2a

オレデミー大賞 2020年中間発表 1月期

2020年もテレビドラマを見倒していきたいと思います。
先ずは1月から3月にかけて。私が鑑賞した連続ドラマの本数34本。もちろん
実際にはそれよりも多くのドラマが放送されていたワケですが、その中から
作品賞を10本セレクト。
あくまでも、ワタクシがチョイスするオレデミー賞です( ̄^ ̄)ゞ

10位 知らなくていいコト 日テレ 水 22:00
9位  悪魔の弁護人 御子柴礼司 フジ 土 23:40
8位  トップナイフ 天才外科医の条件 日テレ 土 22:00
7位  アライブ がん専門医のカルテ フジ 木 22:00 
6位  病院の治し方 ドクター有原の挑戦 テレ東 月 22:00
5位  スカーレット NHK 月~金 08:00
4位  絶対零度 未然犯罪潜入捜査 フジ 月 21:00

以上、10位から4位まで。
今期のドラマ全体の特徴は、やたらと医療・病院系ドラマが多かったことですね。
やっぱり人間の命と向き合うということで、視聴者の共感を得るストーリーが作り
やすいということが医療ドラマ多作の原因ですかね。
これだけ多いと差別化も難しくなってくるワケで、かつては主人公も外科医が多
かったものですが、外科医以外のお医者さんが主人公となるドラマも最近は増え
てきたようです。

その中でも今期異色だったのは、テレ東の「病院の治し方」ですね。
実際にあった話を元に、赤字経営に陥った病院を再建させるという話。元々この
枠はビジネスドラマを作っているので、この作品も経営面から見る切り口です。
実話が元になっているというのもありますが、スーパードクターが出てくるわけでも
なく、民間病院も企業のひとつなんだという視点に徹したドラマでした。
主人公の有原を演じた小泉孝太郎は、こういう二世院長みたいな役はピッタリです。
あと、怪優役の多い高嶋弟政伸が久しぶりにフツーの人の役でしたw

「スカーレット」はラストに向かって、あんな重い話でいいんだろうかと思いましたね。
たいていハッピーエンドというか、予定調和で終わるのが朝ドラ。これから仕事や
家事に向かう前に、明るい気持ちでいきましょう!的な作品が多かっただけに、
どこかで「きっと武志(伊藤健太郎)と骨髄の型が一致する人がみつかるよ・・・」と
思っていた方もいたのではないかと思いますが、厳しい現実を迎えたままのラスト目が
となりました。朝ドラもユルい設定から脱却しつつあるということなんでしょうか。
それと、今回の主演はすでに実績のある中堅・戸田恵梨香だったのが良かった。

これまで、20歳そこそこの新人に近い俳優を起用することが多い朝ドラでしたが、
「てっぱん」や「あまちゃん」「ひよっこ」のように時間経過が少ないドラマならいいの
ですが、「べっぴんさん」とか「半分、青い。」のように終盤中年以降を演じなければ
ならないドラマは、20歳そこそこの俳優さんはキツイと思うんですよ。
ヘタすると自分より年上の俳優さんが子供役になったりして。
舞台だったらこういうのもアリですが、映像は細かい所まで目が行ってしまうのでね。
BSで「おしん」を放送してましたけど、あれって田中裕子から中年以降は音羽信子に
チェンジ。最近では「カーネーション」が尾野真知子から夏木マリにチェンジした例が
ありますが、ああいう主役交代はアリ寄りのアリ(by 千鳥)ですね。

3位 病院で念仏を唱えないでください TBS 金 22:00
2位 心の傷を癒すということ NHK 土 21:00

2位と3位も医療ドラマ。今期の傾向がわかりますね。
「病院で念仏を・・・」実際に救急救命室に袈裟を着た坊さんがいたら、これほどの
嫌がらせはないと思いますが、命を救う側と見送る側の両方の視点を持つキャラと
いうのは新鮮だったかも知れません。ストーリーの縦軸として松本(伊藤英明)と
宮寺(泉谷しげる)の過去や、濱田(ムロツヨシ)、三宅(中谷美紀)のキャラクターも
よく描けていて、各所に見どころがありました。

たぶん見ていない人が多いと思うんですけど、「心の傷を・・・」は地味ながら佳作。
大坂・淡路大震災後に、被災者の心のケアに尽力した精神科医の手記をドラマ化
した作品です。事実がベースにあるということと、過度な演出を排して静かな構成で
作られた画面に返って引き込まれました。
主演の安医師を演じた柄本佑が素晴らしい。あれだけ押さえた演技でありながら、
観ているコチラに深く入り込んでくる感じ。名演です。

1位 テセウスの船 TBS 日 21:00

最後まで真犯人がわからず、過去と現在がパラレルワールドのように繰り返される
展開など、純粋に「次回が楽しみ」と思わせる連続ドラマの王道でした。
こういう「犯人はこの中にいる!」みたいな展開のドラマは、いかにもソレらしい人物
が配置されていて(このドラマでは笹野高史とか麻生祐未とか)、ハイ、それは違い
ます、この人が犯人です!という展開になりますね。
で、その真犯人があまり登場してなかった人物だったりすると、「意外かもしれない
けど、そりゃねーだろ!」と視聴者に騙された感が残るだけになってしまいます。
テセウスの真犯人も、ややソレに近いモノがありましたが、騙された感が残らなかった
のは、真犯人を探すことだけではないストーリー展開の面白さがあったからでしょうね。

まぁ、この手のドラマはあとで考えてみると小さな矛盾がポコポコでてきたりするワケで、
たとえば母親(榮倉奈々)は事件の後、生まれた子供がだんだんと心(竹内涼真)に
クリソツになっていくのを不思議に思わなかったのかな?とか。

でも、そんなツッコミ所も越えてドラマが面白かったのは、自分の産まれる以前の両親
って見てみたいという、多くの人が持っている興味みたいなものだったのではないで夜に
しょうか。映画の「バック・トゥ・ザ・フーチャー」と同じですね。

深夜枠
3位 伝説のお母さん NHK 土 23:30
2位 死にたい夜にかぎって TBS 火 25:28
    来世ではちゃんとします テレ東 水 25:35

1位 コタキ兄弟と四苦八苦 テレ東 24:12

NHKがまさかの「勇者ヨシヒコ」を!?と思わせたのが「伝説のお母さん」。ドラクエの世界
の実写ドラマ化、パロディーとギャグ満載・・・とそこまではヨシヒコと同じ(予算はコチラが
上)ですが、実は幼児保育の問題などがテーマとなっていて、ただのおふざけドラマでは
なかった所がNHKですかね。前田敦子は今まで出演したドラマで一番良かった。

「来世ちゃん」はオトナのぶっちゃけ本音ドラマ。太田莉菜が出演しているせいか、同じよう
なテーマの「ラブラブエイリアン」を思い出しました。
「死にたい夜にかぎって」、賀来賢人は「ニッポンノワール」よりこういうキャラの方が好き。
山本舞香も見る度にいい芝居をする。

「コタキ兄弟」はこの枠で「まほろ駅前番外地」以来の傑作じゃないですかね。
古舘寛治は、どこにでもいそうな感じがするけど、なんとなく挙動不審ないつも気になる、
そんな人。その彼が滝藤賢一とともに主演。マジメだが不器用な古舘兄と、遊び人だが根は
ナイーブな滝藤弟、この2人がレンタル兄弟オヤジをやるっていうんだから、面白くないワケ
がない!
それと、2人の行きつけの喫茶店「シャバダバ」に勤めるサッちゃん役の芳根京子がいい。
たぶん、「表参道高校合唱部!」以来の良さではないかと思います。

主演男優賞 柄本佑 (心の傷を癒すということ)
主演女優賞 清野菜名 (シロでもクロでもない世界でパンダは笑う 日テレ 日 22:30)
助演男優賞 松下洸平 (スカーレット)
         重岡大毅  (知らなくていいコト)
助演女優賞 高畑淳子 (アライブ がん専門医のカルテ)
         芳根京子 (コタキ兄弟と四苦八苦)

主題曲賞 家入レオ「未完成」 (絶対零度 未然犯罪潜入捜査)
美術賞 ハムラアキラ 世界で最も不運な探偵 NHK 金 22:00
撮影賞 ペンション 恋は桃色 フジ 木 25うぃ:25

世間では「恋はつづくよどこまでも」あたりが人気あったようですが、私的には佐藤猛と
上白石萌音のキャラがどうも苦手。深夜枠では「この男は人生最大の過ちです」も設定や
キャラが面白いと思ったんですが、中だるみがあったように感じました。「恋は桃色」には
ワタクシの敬愛する細野晴臣御大が出演されていてビックリしました。

さて、4月に入りましたが、中国武漢発生新型コロナウィルスの勢いが止まりません。
ドラマも新番組の撮影が間に合わないのでしょうか、旧作の再放送を放送している
ところもあります。
とにかく、早く終息してくれることを祈るばかりです。
外出しないで、ドラマを観ましょう。


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