藤堂平助、斎藤一を疑う!

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彰義隊の話を書くためにいくつか本を読みましたが、その中の一冊「彰義隊遺聞」
(森まゆみ・新潮社)の中に面白い記述がありました。

彰義隊は本隊の他に諸藩の藩士や、有志たちで構成された諸隊からの応援も受けて
いました。その中のひとつに「臥竜隊」というのがありました。
その臥竜隊が上野戦争の起きる5月15日当日に、根岸の米屋から玄米の前借りを
しようとした証文を紹介しているのです。
面白いと思ったのは、その臥竜隊の隊長の名前です。

間宮金八郎、というのです。

この名前は、八王子に駐屯した仁義隊クリック!)の隊長の名前と一緒です。
仁義隊は八王子で金策をしたり、千人隊(八王子千人同心)から武器を調達して
中野の宝仙寺に移りました。そこで新政府軍の呼びかけに応じて解散した可能性が
高いと云われています。
しかし、仁義隊の隊長・間宮が、臥竜隊の間宮と同一人物だとすれば、仁義隊は
中野で解散せず、あるいは形を変えて上野に向かったということになります。

「彰義隊遺聞」によると、臥竜隊の人数は300余人、隊士は旧幕府の歩兵隊では
ないかとのことです。
仁義隊の一部は所沢で金策をしたとき、幕府の歩兵銃隊である撒兵隊を名乗って
いましたが、仁義隊=臥竜隊であるなら、その意味もわかってきます。

仁義隊の金策に応じた粂川村に間宮が感謝状を出したのが、5月2日です。
そこから中野に屯集し、上野で戦争に参加するのは時間的にも無理がないように
思えます。
仁義隊の間宮金八郎と、臥竜隊の間宮金八郎は同一人物だったのか。
仁義隊と臥竜隊の関係は?

この二つを結びつける史料はないでしょうか?
絶賛大募集中であります!

彰義隊遺聞彰義隊遺聞
(2004/11/25)
森 まゆみ

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      文庫サイズでも出ているようです。


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トラックバック一覧

コメント一覧

#562 彰義隊
幕末史研究も多角的です。ついていくのも大変!Junpei
#563 Junpeiさま
仰るとおりですね。
でも、新しいことが見つかるとワクワクしますね。
#565 臥竜隊
埼玉県の飯能郷土資料館で、何年か前に振武軍の展示が催されたときの
パンフレット(紙一枚)によれば「5/15 臥竜隊と称する仁義隊の主力や八王子方
が彰義隊に合流し上野で戦う。」とか書いてありますので、間宮さんはかなり高確率で同同一人物と思われます。
ちなみに、このパンフによれば、ソースは松尾正人という方の
『近代日本の形成と地域社会』という本のようです。
「武蔵小○井図書館」に書蔵があるというので、早速行ってみたのですが、なんと「盗まれてしまった」とのこと。
「一冊9000円もするから…」とか言われたんですが、だったら書架なんかに置いておくなよ…
#567 甚左衛門さま
情報をありがとうございます!

ということは、仁義隊の中から臥竜隊という主力部隊が分かれて、上野で
彰義隊と合流した・・・ということですね。となると、両方の隊長である
間宮金八郎は、仰るように同一人物と断定してもいいようです。
中野の宝仙寺が分裂の舞台だったのでしょうか?
でも宝仙寺には、仁義隊のエピソードが何も伝わってないそうです。
それもまた不思議な話だと思うのですが・・・。

「武蔵小〇井図書館」ボーンヘッドでしたねぇ・・・。
しかし、図書館の本を盗む輩ってのはホントにいるんですね。
マニアックな本ですから、おそらく転売目的ではなく本人が欲しくて持って
いったのでしょう。

持っていった人、このブログを見ていたら、必要な部分だけコピーでもとって
ソッと返しておいてください。その方が楽になりますよ。
#568 間宮金八郎のこと
加来耕三の関連著作いくつかに、間宮金八郎のことがあります。

三河以来の旗本。幕府歩兵差図役頭取。
恭順を不服として独自に陸軍歩兵を糾合、300余名を率いて中野宝泉寺に籠もる。
しかし諸費やりくりに行き詰まった上、徳川家からの圧力もあり、
組織維持が困難となったため、彰義隊頭取・本多敏三郎を訪ね、
幹部としての名誉の保障と、独立部隊としての容認という二条件を約し、彰義隊に参陣。
谷中芋洗坂下の子院を宿所として提供された。上野では、御隠殿下方面の守備を担当。
戦闘中は馬上で指揮、歩兵と槍兵による絶妙な作戦を展開するも、銃創を負い戦死。
なお、臥竜隊の生存者らは、上野を脱出し振武軍に合流した。

これは何の史料を根拠とする記述か未確認ですが(山崎有信の著作かも)、
「仁義隊」が彰義隊に合流したあと「臥竜隊」と称し
それを一貫して率いていたのが間宮金八郎、と考えてよいように思います。

それにしても、すでにご紹介のとおり、宝泉寺で広く献金を集めまくったのに金欠とは、
期待したほどの金額が集まらず、300余名の食費だけでカツカツだったんでしょうか。

宝泉寺には、彰義隊の分派が来て献金を集めたり不審者を打ち首にしたりした、
といった話が伝わっているものの、詳細不明のようですね。

ちなみに、『指田日記』には16日の条に「箱根ヶ崎にいた仁義隊が昨夜江戸へ向かった」
とあるそうで、これは振武軍を指す記述と推測されます。

森まゆみ『彰義隊遺聞』、好きです。
『谷中・根津・千駄木』の頃から1冊にまとめて出して欲しいと期待していたので、
単行本が出た時は嬉しかったです。でも、しばらく待って文庫版を手に入れました(笑)
#569 東屋梢風さま
間宮情報、ありがとうございます。

山崎有信の著作だと「彰義隊戦史」でしょうか。この本、どこかの出版社が
文庫か何かで廉価版で出してくれませんかね。
この話を聞くと、間宮金八郎という人は有能な指揮官だったようですね。
それでもお金に困っていた辺りが、当時の幕臣を象徴するようでなんとも
辛いトコロですね。
仁義隊と臥竜隊の形が見えてきたように感じます。

「指田日記」を確認しました。これは仰るように振武軍を指していますね。
ご存知の通り、彼らは上野の彰義隊援軍に向かうつもりでしたが、途中で
敗戦を知り飯能へ進路を変えます。この辺りのことも次回以降で触れたいと
思います。

「彰義隊遺聞」は森さんが地元の利を生かして、多くの証言を取材している
所がいいですね。ワタクシも好きな一冊ですニャン。
#579 同一人物かも!?
仁義隊と臥竜隊の関係,なんだかドキドキしますね。
仁義隊、および臥竜隊間宮金八郎は同一人物だった気がしてきました。
気になって調べようとしたら、グーグルでまっさきにイッセーさまのブログばかりが挙がってて、こりゃあかん、でした(笑)。
なにか決め手になる論拠がみつからないものでしょうか。><


このたび、斉藤様を登場させて下さって、イッセーさまありがとうございます。
ぶきっちょながら、誠心誠意言葉をつくして伊藤先生をもちあげる斉藤さま、胸キュンです。わたしも入場行進にでたくなりました!(笑)
#584 美雨さま
他の方からいただいたコメを見ても、仁義隊の間宮と臥竜隊の間宮は同一
人物と見ていいでしょうね。

斎藤さんに久しぶりに出ていただきました。
甲子園の秘話、ココにありです!(←ウソ)

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