江川代官や関東取締出役からの命令に対し、狭山丘陵の人たちはどのような反応を
したのでしょうか?
「やってらんねェよ!」
盗んだバイクを乗り回し、深夜に学校の窓ガラスを叩き割っていたのでしょうか?
出役の命令が出た4日後の1月23日、東大和の蔵敷村(今までスルーしてましたが
ゾウシキと読みます)では、村民52人が以下の内容の書面に連署をして、名主の
内野杢左衛門さんに差し出しています。
「御取決めになった上は、百姓は竹ヤリ・竹ホラを用意して、村役人の役宅で盤木が
鳴るのを聞いたら竹ヤリを持って駆けつけます。悪党共が押し寄せてきたら竹ホラで
知らせ、村中の者が用意した道具を持って駆けつけます。
今回の異国船渡来について、勘定奉行より在方の取締を厳重にせよとの命令は
ありがたいことであります。われらは農業に専念し、法に触れることや人が集まる
ような事はいたしません。
もし、心得違いの者がいたら五人組で責任を持ち、どのように処置されてもかまい
ません。」これが「心得之事」として「里正日誌」に残っています。
勘定奉行がなぜ出てくるかといえば、勘定奉行が幕府領を管理する長官であり、
つまり代官の上司だからです。
どうでしょうか?これ読んで。
52人ってのはそれぞれの家の世帯主でしょう。蔵敷村の嘉永年間頃の世帯数は
東大和市史によると57世帯だそうですから、ほぼすべての家がこの心得に
賛同しているってことです。
自ら言い出した・・・ってよりは、言わされた感がかなり強いですよね。
同じような内容の文書が、お隣の武蔵村山市でも残っているそうです。
黒船がやって来て以来、開国だの攘夷だのといった話はいくら田舎だとはいっても
多摩地域に入ってきたと思います。
しかし、農民たちには政治的な関心を持たさせず、混乱や暴動を起こさせない
ようにお上が必死になって押さえつけている様子が覗えませんか?
「しゃぁねー、竹ヤリ作るべや」
東大和の人々がそう言って裏山へ竹を切りにいったその時、江戸ではさらに事態が
一歩進もうとしていたのです。
1月23日その日、代官の江川太郎左衛門に幕府から命令が出されました。
それは・・・!

竹ホラ(螺)っていうのは、竹で作った笛で法螺貝のように
音が遠くまで届くらしいです。
蔵敷地域
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イッセー様
歌舞伎の下座で法螺貝の代用品として使うものに「竹ぼら」が
ありますが、ここで云う「竹ホラ」とはそのことでしょうか?
イッセーさま、 快調ですねー!^^
絵が大変そうですが それも楽しみに見に来てますので
頑張ってくださいねー^^/
「One piece」好きの私としては 竹蔵のセリフ
「海賊が来たぞー!」でも良かったかも!^^v
ほぼ同じものと思って良いようです。
下座音楽で使うものは竹の節の横に吹き口をつけるようですが、
戦や一揆などでは節の真ん中に吹き口を開け縦に使う例がある
など、多少の違いはあるようですよ。
そうなんですよ~。
どうしても、絵に時間を取られてしまいます。
でも、それがココの売りにしたいので、更新が遅れても
許してください・・・(謝)
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