訂正とお詫び、でございます

先ずはみなさん、ゴメンナサイ。
前回のブログにいくつか間違いがありましたので、訂正させてくださりませ。

「仁義隊・精忠隊・振武軍」は「精勇隊」の間違いでした。これは日誌本文、
つまり杢左衛門さんの記述には「精勇隊」と書いてあったのですが、巻末の
解説文には「精忠隊」と書かれていたため、そのままブログにも精忠隊と
書いてしまいました。
日誌を「そのまま猫でもわかるように紹介する」のが当ブログのコンセプト
ですから精勇隊に直しましたが、解説では何度も精忠隊と表記されている
ので、もしかしたら精忠隊の方が正しい名称なのかもしれません。
また、上野戦争を戦った彰義隊の中に精忠隊を名乗った一部隊が参加して
いたと書いてある本もあるので、こちらとの関連も気になるトコロです。
しかし、この時期は、幕府や各藩の脱走兵・脱藩兵、博徒、侠気にかられた
人たちによる武装諸隊があちこちに出現しました。それらがどのように作られ、
どういう運命を辿ったのかいちいち書いてある資料もないので、なかなか
追いきれません。

次に「撤兵隊」は「撒兵隊」の間違いです。コレは単純にワタクシのミス。
日誌の細かい字を読み間違えました。
ハズキルーペをかけて、出直します。
ところで、撒兵隊(さっぺいたい)とは、慶応3年(1867)に陸軍奉行小栗忠順
の建言でできたフランス式の鉄砲部隊のことです。
でも、ブログでご紹介した所沢に現れた部隊は、仁義隊と行動を共にしています。
杢左衛門さんの記述には「表向は撒兵隊ト号し」とあり、仁義隊が幕府の正規軍
を詐称していたように読み取れます。

さてもう一つ。
「田安殿」は田安亀之助ではなくその父の田安慶頼ではないかと、ご指摘を
いただきました。
慶喜が謹慎に入ってから、慶頼が徳川家をまとめ新政府との交渉役になります。
このとき田安家は長男の寿千代が継いでいました。
しかし、寿千代がすぐに亡くなったので弟の亀之助が田安家を継ぎます。
ですから「田安殿」を亀之助と書いたのですが、閏4月に亀之助が徳川宗家を継ぐと
慶頼は再び田安家の当主に治まります。
ですから、この時点での田安殿は田安慶頼ですね。
スミマセンでした。

精勇隊と撒兵隊については直しました。
田安殿についてはそのままにしてあります。

と、前回は間違った記述が多かったため、訂正に一回分使わせていただきました。
まだまだ勉強ですナ。
これからも、ワタクシにトンチキな記述があったらご指摘ください。
よろしくお願いいたします。


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コメント一覧

#520
こんにちは。

>日誌の細かい字を読み間違えました。
これは私も結構ありそうで怖いです。翻刻したものでも字が細かかったり印字が掠れがちだったり、ミスを誘発しそうな本がいっぱいあるので…。ちょっと怪しいと思ったら拡大鏡使ったりして確認する様にしていますが、固有名詞でこれがあると苦しいですよね。
#521 kanageohis1964さま
お恥ずかしい限りでございます。
今回は「撒・さん」と「撤・てつ」の字が似ていたのと、撤兵(てっぺい)という
言葉もちゃんと文字変換イッパツで出てくるので、うっかりしてしまいました。
仰るように拡大鏡もそばに置かないとダメですね・・・。
ハズキルーペ+虫メガネで出直します!
#522 はてさて
前回は僭越を申しまして失礼いたしました。
ご使用のテキストは『里正日誌 第十巻 自 明治元年 至 明治二年』でしょうか。
解読文では「精勇隊」、解説文では「精忠隊」とは、ややこしいですね。
なぜこのようなねじれが生じたのか、気になります。
ご指摘のとおり「精忠隊」は彰義隊がらみで聞き覚えのある組織名ですが
「精勇隊」となると寡聞にして存じません。

正規軍の「撒兵隊」については、江原素六との関連で少し調べたことがあります。
ご存じのとおり彼らも市川・船橋戦争で新政府軍と戦っていますが、
ご紹介の「撒兵隊」はやはり別の組織と考えたほうがよさそうです。
この仁義隊の分派である撒兵隊は、金を集めたあと仁義隊に合流したか、
それとも金を持ったまま行方をくらませてしまったか、
手がかりがないと見当がつきませんね。
#525 東屋梢風さま
いえいえ、ありがとうございます。
「精勇隊」はワタクシも、他の史料を探しているのですが、今のところ見ることは
できません。「精忠隊」が正しいのかもしれませんが、解説を書いた先生に聞いて
みたいところです。

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