関東取締出役・・・ってナニ?

黒船再来日の当日、早速江川代官から「悪党を取り締まるように」との命令が
出されました。←(前回の話)

さらにその3日後の、1月19日です。
今度は東大和の村々を含む、狭山丘陵の48ヶ村(所沢組合村といいます)の
代表者が関東取締出役に呼び出されました。

ん?関東取締出役?
なにソレ?偉いんかい?

「かんとうとりしまりしゅつやく」。これが江戸時代終盤の関東地方には
欠かせない役人なんですね。なのでちょっと寄り道して、このお仕事を見てみる
ことにしましょう。

時代劇で「八州廻り」とか「八州さま」とかいうセリフを聞いたことがありま
せんか?博奕打ちなんかが「八州廻りが来るんじゃ賭場が立てられねぇ」
とか言ってるシーン。この八州廻りの正式名称が関東取締出役です。
ちなみに八州とは、武蔵・相模・上野・下野・常陸・下総・上総・安房の事で、
関東地方・・・今で言うなら一都六県ですね。
関東地方は幕府の直轄地(天領)が多かったんですが、その直接の管理者は
代官です。お代官さまですよ。

さて、この天領で何か事件が起こる、あるいは他の土地で犯罪を犯した人が
天領に逃げ込んで来たとします。
当然、お代官さまが取り締まってくれるものと思いますよね。
ところが、さに非ず。お代官さまはほとんど動いてくれません。
実は代官は徴税官であり、年貢を滞りなく納めさせることがメインの仕事です。
警察権もあるにはありますが、こちらはいくら犯人を検挙しても上役からの
評価の対象外ですから、力を入れる人もいません。
そもそも、代官の管轄地域ってのは広大で、5万石~10万石の任地を任されます。
代官本人は江戸の屋敷にいて、それぞれの支配地域には部下を駐在させて
業務をさせているわけです。代官本人は重要な案件ができたときだけ出張する
わけですから、そりゃ本人が警察業務なんてできないですよ。

前回の代官からの命令書で、「悪党どもが街道に入りそうになったら、村人たちで
取り抑えろ」なんて、ずいぶん人任せだなぁと思われた方がいるかもしれません
が、それが当時の状況なんですね。

当然、時代が進むに連れて関東周辺は犯罪者や博奕打ちの巣窟と化していく、と。
これじゃイカンだろ、ということで文化2年(1805)にできたのが関東取締出役です。
関東地方を巡回して悪党・無宿人を取り締まる。しかも、幕府領だろうが旗本領
だろうが管轄に制限ナシ。特別移動警察、江戸時代のFBIですよ。

この八州廻りには代官の部下が選ばれて就きました。
代官の部下には手附(てつけ)と手代(てだい)の2種類がありまして、手附は
「小普請組」っていう窓際族の御家人から選ばれた人たち。御家人は浪人さえ
しなければ、仕事してなくても生活が保障されましたから、こういう手附はあんまり
仕事熱心じゃないんですね。
手代ってのは侍じゃありません。農家の二・三男で出来のいいのが代官に雇われる
パターンです。これが雇われている間は侍の身分ですし、さらに成績が良いと代官が
新規召し抱えドラフト1位として手附になることもできました。
だから、手代から出役に就いた人の方が真面目に仕事したらしいです。

時代劇では「泣く子も黙る」「鬼の八州」などとも言われますが、いや実際に
スネに傷のある輩にはそーとー怖かったようですよ。
身分は今言ったように町方同心(例えば中村主水とか)より低いのに、房つきの
十手を持って、百たたき程の軽犯なら自らの裁量で決めることができ、無宿人や
犯罪容疑の濃い者は有無を言わさず強制逮捕。手向かいすれば討ち捨てておかまい
ナシってんだから、そりゃコワイですわ。

さぁ、1月19日。江川代官からの命令書に続けて、関東取締出役サマからの
お呼び出し。いったいナニを言われるのやら・・・。
「疑わしい者、あるいは長脇差を持った者を見かけたら直ちに捕え、関東取締出役に
届け出よ。人気不穏という虚に乗じて、悪党たちが村々にやってくる可能性がある
ので、村人たちは理由のない外出をせず、火の用心をしてお互いに相談しあい
村ごとに取り締まりをせよ。村役人は村中を絶えず巡回して、無頼のものがいたら
召し捕えよ。」

まぁ、言われてることは江川代官とだいたい同じことですね。
でも「理由なく外出するな」とか「村中絶えず巡回しろ」とか、お上も相当神経質に
なっていそうなことは覗えます。
背景として、江戸時代後半~幕末のこの時代、江戸の周辺にはそうした犯罪者予備
のような人たちが大勢いて、関東取締出役を置いたものの、その心配の種は尽きる
ことがなかった・・・ということなんでしょうね。

ところで、文中の長脇差ってのは、言葉の通り脇差の長いヤツ。
「日本刀って、太刀だとか脇差だとか小刀とか色々あって・・・その上、長脇差
だなんて、もぉわかりません!教えてくださいッ!!」
もし、武井咲ちゃんにそう聞かれることがあっても、困らないように。

侍が腰に差している2本の刀のうち、長い方が太刀で長さは最大2尺8寸(84cm)。
短いのが脇差(脇指)で最大1尺7寸(51cm)と決められていました。
それより短い1尺(30cm)以下の刀は小刀とか匕首とかいいます。
腰に太刀と脇差を2本差すのは武士のみと決められていましたが、脇差1本だけなら
旅行の護身用などとして庶民も持つことができました。
ところで脇差の長さですが、幕末になると世の中が物騒になってきたせいか、より
実戦に有利な長いものが好まれるようになったようです。
新選組の土方副長は1尺9寸5分(59cm)、近藤局長に至っては2尺3寸1分
(70cm)の脇差を使っていたと云います。
これだけの長脇差となると、もう太刀と変わりませんね。

20120721.jpg

香取慎吾くんもゲンコツを口の中に入れてましたね。









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#23 関八州といえば
幕末多摩、佳境です。ますます楽しみ。
関八州といえば、関八州見晴台(771m)というハイキングコースが飯能市にあります。先月(6/08)登ってきました。文字どおり、頂上では周囲にみごとな展望が開けていました。
#24 空堀川さま
飯能にそんな所があったんですね。
ちょっとネットで調べてみたら、まさに関八州を一望できる
とか。
出役になった気分で、一度行ってみたいと思います。

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