代官所へ申し上げます!

老中からの命令により、江川代官領の農兵たちは、相州観音崎の警備に
派遣されました。
彼らが警備に就いていたのはどれくらいの期間だったかといいますと、およそ
3週間ほどだったようです。
というのも、翌月の7月に入り交代要員としての農兵が観音崎に向かって
いるんです。
彼らは7月6日に蔵敷村を出て、やはり3日かけて観音崎まで行き、7月9日
に先発隊と交代。先発隊は7月11日に蔵敷村に帰っています。

この交代した第2次隊の詳しい行程ルートが「里正日誌」に出ていました。
それによると、
蔵敷府中関戸小野路木曽村原町田(宿泊)鶴間村長後村
亀井野村藤沢雪ノ下金沢(宿泊)横須賀村鴨居村
となっているんですが、注目するのは金沢から横須賀まで船を使っていること
です。250文を払って「船壱艘」をチャーターしています。
てことは、先発隊の佐吉郎さんたちもそうしたのか・・・と言いますと、それは
わかりません。
8月にこの第2次隊も任務を終えて帰村してくるのですが、その時は船を使って
ないんですよね。それでも3日間で蔵敷村に着いています。
ちなみに途中泊まった場所も、帰りは藤沢と府中です。
時間とか天候とか、その都度の状況によって同ちゅうの細かいことは、農兵たち
に任されていたのかもしれません。

と、ここまで読み進めてみて、観音崎警備の仕事はほぼ1ヶ月交代で行われて
いたんだなぁということが見えてきました。
このまま行けば、8月にも第3次隊が出発したことになりますね。

ところが先発隊が帰ってきたその日、7月11日。杢左衛門さんは代官所の手付、
柏木総蔵さんの元を訪ねています。

「7月11日、柏木様がご出勤する前にご自宅に伺い、農兵のことについて事実
を内密に申し上げた。その中身は、当組合は生産量3300石余りであり、相州
御備え場警備のために農兵3人を差し出すことは、服装を整えることはもちろん
経費として3人に10両余りがかかります。
また、軍人として行くので非常時の際は、家族も心配します。とにかく差し出す
方は歓迎しませんので、村々役人が相談の上手当として一人につき15両
をつけることを約束いたしました。
すでに3人差し出した所については、
一番勤めには55両あまりかかり、二番勤めには110両余りの金額を分担しまし
たが、この先なお出動を命じられましては、経費が堪えられず難渋すると言う者も
あります。丁寧に説明いたしますが、他の代官所にこんなことをしている所はなく、
ご支配様の領地に限って費用が嵩み、難儀に及ぶなど口々に苦情を申す者もあり
ます。
私どもが愚考いたしますに、元々堀田相模守・松平丹波守の両大名が御警備して
いた後任に、わずか俸禄150俵の当お代官へ仰せ付けられたことは、本当に
御先々代(英龍)の名声が続いていて、その威光が輝いているからなのです。
そのご支配下の農民ももったいないことだと存じ奉っておりますが、村々の愚かな
小作人の末々の者は、最近の指導に当惑していますことを申上げます。
柏木様の仰せには、子細を始めに承り驚きましたが、かかる経費は一切が代官所
の賄いですむとのことで、村々の雑費はないものと思っておりましたところ、内情
の事実をお洩しになっていたことを初めて知りました。

なるほど、予想外の出費があっては零細農家から苦情が出るのはもっとものこと。
ほかの組合ではどのようにしているのか、聞き込んでもあるので、遠慮なく質問
せよとのことなので、杢左衛門は次のように言った。
だいたいどこの組合でも農兵を選べとのご沙汰なので、村役人の倅、あるいは
役人本人、または身元が確かで村の重要な人物を差し出し稽古致しましたところ、
武家方の勤め向きが遠慮勝ちなので組合の役人が相談しました。すると前段の
通り誰もが同様だと申しました。
しかる上は、もはや三番交代の回状を差し出されましても、その筋へ申し立て
必ずこれまでとし、今後は免除していただけますよう取り計らっていた
だき、安心できますようそのことをお上に仰ってください。」


丁寧な口調ではありますが、村としては「今後の観音崎出張は断固お断り」という
強い意見がぶつけられています。
その理由として、警備に行くことは出兵するに等しいことであり、村民の賛同を得られ
ないこと。説得を含めた費用が掛かりすぎること。経費負担について事実を知らされて
いなかったこと、が上げられます。

確かにこれまで大名2名が担当していた番方の仕事(軍事)を、旗本の代官に押し
つけるというのはスジが通ってないように思えます。代官とは本来徴税官であり、
役方(事務官)なのですからね。
このムチャ振りに江川代官所は、何も言えずに従ってしまったことになります。
いや、代官が英龍さんであれば、何かウルトラCを使ってこの難問を幕府・農村納得
のいく形で解決したかもしれません。
しかし、当代の代官所はすでにノー・アイデアだったのです。

また、杢左衛門さんからすると代官所が都合のいいことばかりを言って、真実を隠し
ていたことに失望したことも感じられます。
代官所の苦しい内情を打ち明けてくれていたら、村としても協力できることはあった
かもしれない。でもウソをつかれていたわけです。英龍時代の善政を知る杢左衛門
さんにとって、この代官所の堕ちようはショックだったことでしょう。

最後の3行部分。
丁寧な言葉使いではありますが、心の中ですでに代官所を切り捨ててしまった
杢左衛門さんの意志が感じられるのですが、いかがでしょうか?

歴史の教科書では近世の農村において、農民は支配者である武家の完全なコント
ロール下にあったという印象がとても強いと思います。
しかし、現実には農村の指導者は早くから経済力をつけ、お上とは巧みな交渉術で
少しでも有利な条件を引き出し、この幕末期に至っては代官所に強く意見するだけ
の実力をつけていたのです。

観音崎へ第3次以降の農兵派遣は、ついに行われませんでした。
「農村がモノを言う」時代へと変わりつつあるようです。

20131110.jpg

ぜんっぜん関係ない話なんですが、現在日曜夜にBSフジで放送されている
コメディ時代劇「猫侍」がとても面白いです。
北村一輝さん演じる「まだら鬼」の異名を持つスゴ腕浪人が、化け猫退治の
依頼を受けます。ところが現場にいたのはとってもカワイイ白猫。まだら鬼は
斬り捨てたとウソを言って、その白猫を飼うことに・・・てのがストーリー。
布団や着物にオシッコされたり、ノミを移されたりと猫に振り回されながらも
その猫を愛してやまないまだら鬼が面白いんですが、なによりもこの白猫が
とってもカワイイので、ワタクシのような猫好きは必見です。


「だって早く押さないと、古代くんが死んじゃうッ!」
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コメント一覧

#394
こんにちは。

金沢から浦賀にかけては十三峠の辺りで相当に険しい道になるので、実際は横須賀廻りの船便がかなり使われていた様ではあるのですが、鎌倉からわざわざ金沢に向かってそこから舟に乗ったのだとすると、恐らく誰かから入れ知恵があったのでしょうねぇ。これだけ往来が増えていれば情報交換も相当にあったでしょうし、多少なりとも楽が出来れば…という思いもあったのでしょうしね。
#395 交渉
農村の指導者は...「お上とは巧みな交渉術で少しでも有利な条件を引き出し」...文書表現力も大きかったのでしょうね。「鴨居」、カミさんは鴨居小学校だったと聞いたことがあります。
#396 kanageohis1964さま
さすが、神奈川事情通のkanageohis1964さん。ありがとうございます。
日誌によると、人足の継ぎ場で、掛かった費用とともにその村(宿)の名主の
名前や役人のことが書かれています。ということは、それらの人々に挨拶を
しながら村々を通過していったのでしょう。そこでいろいろな道中の情報を
入れていったのかもしれません。
#397 Junpeiさま
「里正日誌」にしてもそうなんですが、多摩の多くの村々の名主クラスの
人が、このような記録を残しています。かなり教養が高かったことがわかり
ます。
交渉術では、府中押立村の川崎平右衛門のようなスーパー名主がいて、彼が
多摩の村々を指導していったことは大きいでしょう。
また、多摩は多くの土地が天領で税率が恵まれていたことと、江戸時代後半期
は江川英龍が善政を執ったので、農民が力をつけたということも影響があると
思います。
#400 キットこれまでにて
 名主が代官に向かって「急度(キット)是迄にて、・・・」と言うのは、普通は村人がお上に申し訳なくて云う言葉でしたが、この時点では「・・・此後は御免・・・」と名主が宣言する立場になっています。まさに、大きく世の中が変わろうとしていることがわかります。
 前月には、台風状況で作物が大被害を受けます。その時も、「とりあえず、被害をお届けします」としながら、「立ち直る見込みはない」と宣言しています。
 イッセーさんの云われるように、村の実力者には、幕府末端の支配層にそろそろ、見切りを付ける時期が見えていたように思います。 野火止用水
 
#403 野火止用水さま
杢左衛門さんが、幕府に見切りを付けるような言動に出たのは、やはり
江川代官所が無力化してきたことも大きいと思います。
しかし、一方で日野宿あたりは同じ江川支配地でありながら、戊申戦争
(勝沼戦争)にまで参戦するほどの佐幕ぶりを見せています。新選組の
母体があった地域とはいえ、同じ多摩でもこの温度差というのはどこから
来るものなのか興味があります。

また、幕府に見切りを付けつつある杢左衛門さんたちが、次にどの支配下
に入ることを望んでいたのか・・・知りたいことは山のように出てきます。
#404 斉藤さまの差し入れ最高(ハァト)
きゃははは☆
もう、お茶吹きました。とういうか、鼻血でちゃいそうな(爆)
土方さんばかりモテてズルいと思っていたので、胸がすいたおもいです。
でも、送りつけられた人は、たとえ応援でも怖かったでしょうね(ププ

時代劇「猫侍」私も知ってますよ♪
でも、ここのみーちゃんもやんちゃそうですね。^^

お祝い事があって遠くにきているのですが、イッセーさまの漫画で
疲れも吹き飛びました。ありがとうございます。
#405 美雨さま
ワタクシの漫画の中で斎藤さんはいいように使われているので、そのうち
ファンの方に刺されないか心配です。
斎藤さんは京に上る以前から、試衛館の人たちとは知り合いだったという
説が強いのですが、おそらく市ヶ谷の道場だけで日野には顔を出しては
いないと思います。たぶん、源之助クンも知らなかったでしょう。

遠方からのコメ、ありがとうございます。
気を付けて帰ってきてくださいね。
#408 管理人のみ閲覧できます
このコメントは管理人のみ閲覧できます
#425 帰りは道草も
日野農兵の相州派遣について、佐藤彦五郎の日記には概ね以下の記述があります。

5/27 代官所より台場警備の回状。5/29 組合寄合。6/2 日野宿5名を届け出。
6/7 増山様からの命令により、5名が出立。荷物持ちの弥吉がついていく。
同日朝、柴井町へ遣わした清太が、5名分の羽織・稽古着を持って木曽村へ回り、
途中で市ヶ保村に1泊、翌朝木曽村で渡し、弥吉を連れて戻る。
6/21 鉄砲の長持を、弥吉と八五郎に届けさせる。6/22 現地にて引き渡し、6/24 帰宅。
7/3 代官所より農兵交代の回状。7/5 組合寄合。谷保村2名、柴崎村3名を選抜。
7/18 後期5名が出立。鉄砲・弁当を弥吉に運ばせる。(8/1頃、前期5名が帰宅の模様。)
8/6 後期のうち2名が1日に勤務終了、2日に現地出立、江戸を回って昨日帰宅する。
8/8 後期のうち残留1名が、昨日現地を出立し、帰途に立寄る。
他2名は江ノ島を回ってから帰るという。

日野宿では、どうやらユニフォームと長持を急いで誂えた様子です。
また、羽織・稽古着を後から追いかけ途中で渡しているところ、
後期組が帰りに江戸や江ノ島へ寄り道しているところを見ると、
往復道中は勤務外とみなされ、身なりは一般的な旅装と推測しました。
勤務中の稽古着とはどんなものか…少なくとも羽織は着ていたようです。

「猫侍」、放映前に宣伝写真を見た瞬間、玉之丞の可愛さにしびれました。
公式サイトからデスクトップ壁紙をダウンロードしちゃいました(笑)
主演の北村一輝も猫好きのようですね。
#428 東屋梢風さま
やはり往復道中は、比較的自由行動だったのですね。スッキリしました。
荷物を後から届けに行くというのも、なかなかあわただしさを感じますね。
羽織についてですが、ワタクシは勤務終了後に宿舎で着るためかも・・・
とも想像してみました。

玉之丞、目が真ん丸でカワイイですよね。
気に入らないご飯にソッポ向いたり、仕事の邪魔をして気を引いたりと、
ネコマニアのハマるツボを心得てますね!

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