蔵敷村組合農兵は一揆勢と戦ったのか!?

東大和市域の農兵は、芋窪村が拝島村組合に組み込まれた以外、残る全村が
蔵敷村組合に入っています。その農兵たちは、一揆勢とどのように関わったので
しょうか?

6月16日、粂川村の役人から「大岱(おんた)、柳久保で打ちこわしが発生!」と
連絡を受けた杢左衛門さんは農兵を引き連れて現場に急ぎます。しかし、事態は
沈静化した後だったので、人足たちを村々に返し、残りは警備に着かせました。

ところが今度は、そんな杢左衛門さんの元に日比田村(埼玉県所沢市)から
緊急の知らせが届きます。

「同日(16日)粂川村に出張中、日比田村から早打ちで知らせてきた。
打ちこわしの者どもから、人足を急いで差し出すように言ってきた。断るようなら
村の責任者たちの家を打ちこわすと言っているので、一時も安心できない。
早急に農兵を出動していただき、この危機をお救いくださいとの申し出である。」


一揆勢もトンデモないことを言ってきますね。
日比田村は蔵敷村組合に属していますが、この度の粂川出張には参加して
いません。杢左衛門さんは粂川村警備中であることを理由に、いずれ様子を
見て出動するからと日比田村に伝えますが、日比田村からは再三に渡って
「一亥も早く」との要請が入ります。
そこで杢左衛門さんは、粂川村の名主と年寄を連れて

「同夜九ツ時過ぎ(午前1時頃)に粂川村を出立し、田無村のご宿泊所である
名主の下田半兵衛宅へ17日暁六ツ時(午前6時)頃着いた。代官所の教示
方である長澤様・田那村様ご両人にお目見えの上、日比田村の危機が切迫
していることを申上げ、農兵出動の許可をお願いすると、放ってはおけないと
早速お聞き届けになった。よって、田無村組合の農兵を召し連れて清戸通り
に差し向かわせ、蔵敷村組合の農兵を連れ立って早急に出動するように仰せ
渡された。」


さァ、蔵敷村組合農兵は一揆勢にガツンと言ってやることはできたのでしょうか?
代官所教示方の長澤・田那村の両名が農兵隊を引き連れ、日比田村へ向かいます。

「日比田村へ夕刻に着き、村内を警固している所に南永井村(所沢市)の役人が
来て申し出るには、村で酒造をしている惣左衛門方に、今晩打ちこわしに来ると
一揆勢が話している。心配のあまり、何とぞ農兵を連れて滞在してくれと願い
申しだされ、答えるにお気の毒とは思えども、ご支配様にお伺いをたてご命令が
ないうちは、勝手に他の支配地へ任せ頼るのも取り計らいかねる。このことを
悪しからずご承知くださいと申してきて、届けて引き取っていった。
右のことなので、同夜九ツ時過ぎ(午前1時頃)まで日比田村を警固していたが、
近くでは騒がしい様子もない。日比田村への出動を付け込んで、粂川村がカラに
なったところを暴徒たちに押し込まれるのも心配なので、同夜子ノ下刻頃(午前
1時半頃)、およそ100人ほどが高張の御用提灯を先に立てて日比田村を出立
した。」


・・・てことで、ココも空振りに終わったようですね。
ていうか、一揆勢が襲いに来るっていう話も、なんか怪しく見えてきて・・・。
まぁ、緊急時だったことは確かですから、情報が錯綜していたんでしょう。
農兵隊は途中休憩を取りながら、明け方には粂川村に到着します。
ところが、農兵隊が日比田村に出張中、別件で緊急の知らせが粂川村に届いて
いたのです。
「おいおい、今度は何じゃいな?」
書状を送ってきたのは、砂川村の名主でした。

「暴徒どもが昨日(16日)青梅より大久野(日の出町)へ討ち越し、同村の
暴徒がこれに加わり五日市へ向かった。同村・檜原・川口の猟師が集まり山の
難所で一戦に及び、暴徒は大敗して大久野へ引き返した。そして同村にて
猟師の鉄砲を集め五日市へ再戦のため走りやってくる、と只今注進があった。
当組合が牛浜で防戦し食い止める作戦で、日野・田無の農兵も助勢してくれる
ことになっているが、何分人数不足なので、そちらの組合の農兵も出動し早急に
ご加勢してください。江川様御出役ご両人よりお指図があります。早々以上。」


またまた出動要請ですよ。
モテモテですな~、杢左衛門と蔵敷村組合スーパースターズ。
しかしこの時点でスーパースターズは日比田村へ出張中です。杢左衛門さんは
五日市への出動は今できないが、日比田村が沈静化したら加勢に向かうことを
伝えます。
しかし、その後すぐに砂川村から情勢が変わったとの連絡が入りました。
代官所教示方の岩嶋廉平様が農兵を引き連れ、五日市に向かったというのです。
砂川村とお互いに連絡を取り合っていこう、ということで五日市には向かわなくて
済んだようです。

ということで、我が東大和市域の農兵たちはあちこち出動したようだけど、実戦には
及ばなかったようですね。
この大規模な一揆に対し、各村々が連携を取って農兵を主力に防戦しようとして
いた実態が「里正日誌」を読みわかりました。支配地の問題で融通の利かない部分
もあったようですが、これは現代も同じですなぁ。
情報も入り乱れ、杢左衛門さんたちにとっては身も心も休まる時のない何日間か
だったでしょう。

20130907.jpg

前回の「八重の桜」で、藤田五郎こと斎藤一(降谷建志)と新島襄(オダギリジョー)
が酒を酌み交わし、語り合うシーンがありましたね。
フルヤ斎藤が幕末京都をオダジョーに語って聞かせるんだけど、オダジョーは同じ
大河の「新選組!」で斎藤一を演じてるんですよね。とーぜん「新選組!」の方が
京都時代の斎藤を詳しく描いています。
聞いてるオダジョー氏の顔が「うんうん、キミに言われなくても十分わかってるヨ。
ボクも斎藤だからネ」
と言ってるように見えたのはワタクシだけでしょうか?

さて、上のマンガではわかりやすいように「俳句」と言っていますが、俳句という
言葉ができたのは明治以降です。江戸時代までは「俳諧連歌」略して「俳諧」と
言いました。
元々は和歌のスタイルの五・七・五・七・七を長句と短句に分けて、連歌のように
続けていく滑稽さをねらったものでしたが、松尾芭蕉の出現などにより、文芸として
確立されていきました。
長句の五・七・五のみ独立させた部分は、当時は「発句」と言いました。これが
明治以降の「俳句」になります。
だから、トシさんの句集も「豊玉発句集」というんですね。


「波動砲、発射ッ!」
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#337 名主クラスの対応
 この打ち壊しで、特に気になるのが村の指導者達の対応です。瑞穂町史に「時の名主村山為一郎をはじめとする村の人々の説得と機をみた応対によって交渉がつき事なきを得た。」(p477)という一節があり、一揆側と襲われる立場であった村の対応が微妙に語られます。蔵敷村の杢左右衛門も名主であり、幕府・江川の指揮の中で、村と農兵の出動と一揆側の動きを見極めるのに極限まで追い詰められていたことが推定できます。
 情報が乱れ飛ぶ中で、村の指導者達が一揆側にどのように対応したのかの面を知ることができれば、当時の真相の一端がさらに解明されるのでは、との思いが強まります。 野火止用水
#338 野火止用水さま
次回ご紹介しますが、多摩川の築地河原で一揆勢と戦った日野や八王子は、農兵の他に
撃剣組を組織して応戦しています。その姿勢はかなり積極的に迎撃したと見受けられ
ます。
地域によって、一揆に対する考え方も違ったのだと思います。
江川代官所支配地域の中で、各村々が名主を筆頭にどのような対応を見せたのか、
仰るように細かく分析できると、より当時の各村の状況がわかりそうですね。
#369 右往左往
情報錯綜による混乱の模様が伝わってきます。
6月15日の日野農兵隊について、佐藤彦五郎の日記に概ねこんなことが書いてあります。

◯朝、八王子宿御用先の石川政之進様から「打ち壊し乱暴人多数が所沢辺りから
八王子へ押し寄せる様子につき、農兵を全員出動させよ」と命令があった。
◯日野農兵24人は、増山健二郎様に率いられ、昼頃八王子へ行った。
◯八王子で聞いた話では、昨夕、井上漣吉様が八王子農兵10人ほどを引き連れ
拝島村から砂川村へ行くと、「一揆勢1万人が所沢村から三ヶ島村へ押し寄せる」とかで、
少人数では防戦できないと考えて戻ってきたそうだ。
◯一揆勢の動向がはっきりせず、日野農兵隊はいったん日野へ戻った。
すでに日が暮れ雨も強いので、八つ頃まで玉薬を拵えるなど戦闘準備を整えてから休んだ。

日野農兵隊や八王子農兵隊も、状況不明のため
余分な移動をしていた様子がわかります。
築地河原の戦いは、この翌日のことです。
#371 東屋さま
後世の我々が様々な史料を見比べて、ようやく俯瞰的に事象を捉えることが
できるワケで、当時とすれば現場の情報が混乱しているという認識はたぶん
なかったのでしょうね。
ただ、こうした中で、同じ百姓でありながら一揆勢と農兵と、対立する立場に
なってしまった自分たちが、どのようにこの事件を考えていたのかが気に
なります。
#372 キャ~!!斉藤さんっ!!
イッセーさま、斉藤一を漫画に描いて下さってありがとうございます\(^o^)/

この無骨な漢!っぷりが、いかにも斉藤さんぽくて、吹き出してしまいました。
でも今日は可愛いみーちゃんがいなくてちょっと寂しいです(近藤さんのにゃんこなのかしら?)
そういえばオダ襄が「新選組!」に出ていたのは知っていましたが、毎回は見ていなくよく覚えていなくて、斉藤さんの活躍、あまりなかったような・・・
フルヤ斎藤が幕末京都をオダジョーに語って聞かせるシーン、すごくご機嫌そうだったのは、なるほど、そういう訳だったからでしょうか。毎年大河をみてらっしゃる方々はいろんな視方ができて楽しいですね!
あちらの「新選組!」では時尾さんとのロマンスや、成長なども描かれたのでしょうか。

>聞いてるオダジョー氏の顔が「うんうん、キミに言われなくても十分わかってるヨ。
ボクも斎藤だからネ」と言ってるように見えたのはワタクシだけでしょうか?

あはは、そういえばそうですね。
たしか、第35回ですよね?
よろしければ参考にでも♪(斉藤さんいます)http://yonipo.blog13.fc2.com/blog-entry-1081.html
しかし、役者が違うと、こうも隊士のイメージ変わるものでしょうか。
私はフルヤ斉藤も男臭くて好きなんですけれど。(ちっちゃいのだけが玉にきず!)
#373 管理人のみ閲覧できます
このコメントは管理人のみ閲覧できます
#374 MIUMIU 美雨さま
いつも来ていただき、ありがとうございます。
美雨さんの「八重の桜」レビューも、とても丁寧で面白く読ませていただいて
おります。

「新選組!」のオダジョー斎藤は無口でクール。いわゆる「冷静な暗殺者」という
当時一般的だった斎藤一のイメージで演じられていました。
でも、このドラマ以前は斎藤も「知る人ぞ知る」といった認知度で、実像もよく
知られていませんでしたから、かなり年齢が高く設定された作品が多かったのです。
オダジョー斎藤は、実際の年齢に近い初めての斎藤像だったかもしれません。

会津での新選組を描いたドラマ自体が、「八重の桜」が初めてだと思いますので、
時尾さんとのロマンスや藤田五郎と改名後の様子が描かれるのは、フルヤ斎藤が
本邦初でしょう。
「新選組!」では「私は会津に残ります」と土方さんに別れを告げるオダジョー
斎藤のシーンがありました。そこまででしたね。

斎藤一の風貌については、縁者の「背が高くイカつい感じで、眉毛がふさふさ」と
いう証言が残っていまして、ワタクシの漫画もそれを生かした絵にしております。
#375 Re: イッセーさまの漫画
こんなマンガでよろしければ、ぜひ宣伝してください。
う~ん・・・でも、ファンの方なら逆に怒られてしまいそうで・・・恐縮です。
斎藤初登場の記事は2013年3月3日の記事です。以降、3月13日、6月1日、7月17日、
9月7日、22日、10月6日に登場しています。

それと、ミーちゃんは最近出てきたキャラでして、初登場は8月2日の記事です。

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