Let's農兵 訓練はじめます!

周りの環境も整い、農兵も次の段階に入ります。
いよいよ訓練です。

農兵の特徴っつーか、ウリの一つが「近代武装化」。つまり銃装備ですよね。
農兵に支給される銃が、当時の日本でホントに新式の銃なのか?て言うと、
そりゃまぁ疑問符もつくでしょうが、ちょっと前までは悪党の取締りに竹槍を
持ちだすレベルだったんですから、一気にステージアップの感はあります。

元治2年(1865)3月1日、蔵敷村組合のもとに江川代官所の手代・三浦
剛蔵さんから、一通の書状が届きました。
農兵に貸渡す銃を引き渡すので、人足を連れて自分が宿泊
している田無村の宿まで取りに来いと言うのです。
そこで蔵敷村名主の杢左衛門さんは、その日のうちに人足2人を連れて田無
村に向かいました。
杢左衛門さんらが受け取った銃、付属品一式は以下のものでした。

「一、ケヘル     10挺 但し鉄バンド
 一、同タス     10  背負革共
 一、同カン入    10
 一、胴〆革     10
 一、三ツ股     10
 一、万力       1
 一、玉抜      10
 一、胴乱      10

右は農兵たちにお貸渡しになる銃と付属品であり、書面の通りお渡しなされた
ものである。これらは封印しておき、放っておいたりしないよう心掛け、追って
御教授される方々が村にやって来るまで大切に保管しておくように言い渡され、
承知いたしました。これより連印の御請書を差し上げ申します。
     元治2年3月朔日 
               当代官所 武州多摩郡蔵敷村
                       組頭 重蔵
                       名主 杢左衛門
  江川太郎左衛門様御手代 三浦剛蔵様                」


なにやら、わからない単語が並んでおりますな。
ケヘルってのはゲベール銃のことのようです。「但し鉄バンド」ってあるのは、銃身
と銃床を鉄のバンドで固定してあるタイプのモノって意味です。
銃身の中にライフリングが刻んであるヤーゲル銃になると、銃身と銃床は目釘で
固定されるようになります。
おそらく、このとき貸渡された銃は、韮山の江川代官所で作られた国産銃だった
のではないでしょうか。
カンというのは雷管のこと、胴乱は銃丸を入れる革製の袋を言います。
その他はどういうモノなのかわかりません。
銃を提げるベルトかなぁ・・・とか、銃丸を込めるときの道具かなぁ・・・とか?
誰か、当時の銃に詳しい方、教えていただけませんか?

万力を除いては全て10セットの支給だったことがわかります。
それと、貸し出しはしたものの、先生が廻ってくるまで触っちゃダメ!ってことで、
お上もそーとーに神経を使っていたことがわかりますね。

さぁ、それじゃ、いつから訓練を始めましょうか?
「いつやるの?イマでしョ」
東進ス〇ールのハヤシ先生ならそう言うでしょうが、農兵訓練にハヤシ先生は来て
くれません。

「右の通り御請書を差し上げ、鉄砲10挺をお貸渡しになった。3月11日より下稽古
を始めたいとのことを、三浦剛蔵様が日野宿の旅宿にいらっしゃる3月7日にお伺い
したところお聞きになっていただいた。村々の村役人が付き添いとなって、農兵人は
来て、名主・杢左衛門宅の庭で稽古を始める。」


てことで、3月11日から下稽古が行われることになりました。
まだ教授方は村を廻ってきませんから、この下稽古は以前に新銭座で幹部教育を
受けた、杢左衛門さんの弟・恒吉さんたち指導の下で行われたようです。
「東大和市史」によると、下稽古の日程は11日から15日までが蔵敷村杢左衛門庭、
16日から20日までが高木村庄兵衛庭、21日から25日までが野口村正福寺庭、
都合15日間としたそうです。
さらに4月からは、月の前半5日間は蔵敷村、中盤5日間は高木村、後半5日間は
野口村で下稽古を行い、5月5日まで続けられました。

このとき、世話掛りから稽古に当たっての注意事項が定められました。
「     定
一、砲術下稽古を始める上は、稽古場の外へみだりに出たりせず、たとえ村方より
  用向きを言ってきて、他人と面会するときは出張村役人から世話掛りへ届け出る
  こと。
一、下稽古中、銃は世話役の了解のもと大切に取扱うことはもちろん、その日の稽古
  が終わったら念入りに掃除すること。
一、稽古中は禁酒で、弁当は質素にすること。米飯は決して使ってはならない。元来
  の身分をわきまえ、質素倹約を第一とすること。
一、お互いに行儀正しく、礼法を厚く心掛け、ケンカ口論はもちろん、無益な雑談を
  禁止し、粗暴傲慢の振る舞いをせず、謙遜を第一に心得て慎ましく、技術の巧拙
  の批判をしないこと。また、すべて世話掛りの指図に従うこと。
一、稽古は出席順で行い、到着次第世話掛へ届けること。もし、出席簿に洩れた者は
  稽古の順番に遅れることはもちろん、時間によってはその日の稽古はできないと
  いうことにもなるので心得ること。稽古場の外へ散乱しないよう心掛けること。
  稽古時間は朝五ツ(8時)より始め、夕七ツ(16時)までとする。雨天は順延と
  する。」


農兵同志でケンカするなとか、他人の評価はするなとか、まぁその辺りは解るとして、
弁当にまで注文つけられちゃってますね。
米がダメってことは、パンならいいんだ!・・・・って、そういうコトじゃないですよね。
キャラ弁なんてもっての他ですよ、ケンちゃんママ!(誰?)

20130609.jpg

まぁ、このマンガ自体が「間違いだらけ」ってのは、一先ず置いといて。
正解は「カレンダーが元治2年3月11日なのに山南さんがいる」です。
日めくりカレンダーがあること自体間違いだろ、てのも一先ず置いといて。
山南さんは、この年の2月23日に隊規違反(脱走)により切腹しています。
だから、ココにいるのはおかしいんですね。

でも。
このマンガはギャグだし。四コママンガだし。
何よりもワタクシが山南さんのファンですので、今後も各シーンで支障のない
範囲で山南さんは登場し続けます。


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#268 組頭は商家
 名主と行動を共にする組頭は、村で唯一の商家でした。穀物から肥料、油などの日用品まで手広く扱い土蔵造りの家を構えていました。そして、農民から生産物を預かって、当時の市場であった所沢で売るような仲介業もしていました。
 このあたりに、農兵創設時の地域組織の変化が見られます。
 野火止用水
#269 野火止用水さま
組頭について、ありがとうございます。
この頃の文書には組頭の名前を書いたものが多くなります。
仰るように、商業経済が村々の重要なカギになってきている兆候と言える
かもしれませんね。
#270
 こんにちわ。
 4コマ楽しませていただいております。江川坦庵先生を調べに韮山まで行きましたが、末端の農村にとっては迷惑至極だったでしょうね。とはいえ江川大明神を大河ドラマで見てみたいものです。
#271 サムライ銅像研究会さま
韮山に行かれましたか!
ワタクシも行かねばと思っております。2年ほど前に近くを通ったのですが、
時間がなくて寄れず、残念な思いをしました。
勝海舟や象山は、幕末ドラマには頻繁に出てくるのに、江川大明神は1シーンすら
出てきたことないですねぇ。明らかに知名度の差ですね。
#272 田無に何か
稽古規則がずいぶん細かいのに感心します。
特権意識や過剰な競争を戒める意味で、弁当も規制したのでしょうか。
規則がないと、提げ重箱に詰めた花見弁当みたいなの持ってきたりして(笑)

日野農兵組合への鉄砲支給も、田無で行われました。
田無が拠点のようになった理由は何かあるのでしょうか?

古式銃の付属品に、前装銃から不発弾などを排出する道具があると聞いたので
「玉抜」というのがそれかと想像します。
#273 東屋さま
「玉抜」の解説、ありがとうございます。
今回ご紹介した稽古規則は「心構え」で、実際に訓練に入るときにはもっと細かい注意に
なってきます。そのあたり、次回書こうと思います。
田無が拠点になった理由はよくわかりません。代官所からの出張所なら、府中辺りが適当
のような気もしますね。代官所や組合でこの時期、何らかの力関係が働いていたのかも
しれません。

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