助郷回避のお値段は?

杢左衛門さんたちの「袖の下大作戦」は功を奏し、内藤新宿への助郷の
一件はなんとか回避できそうになりました。
ここで気になるのは、「で、いくら包んだのさ」ってことですよね。

元治元年(1864)11月12日に、江川代官所の手附元締である上村井
善平から大坂屋八十八の元に手紙が届きます。
封書の上書きには「極内用書無異」と書かれていました。つまり、極秘
文書ということです。

「今日下御勘定書の元締からの呼び出しがあり出かけると、折よく御普請
役の横山信太郎に会った。以前から彼に話しておき、また御普請役格論
所地改手附の中村晋平にも内密で話していた件につき、昨日晋平より
信太郎へ内密の話で両人の調査の策略として、羽村・川崎村(現東京都
羽村市)・福生村・熊川村(現東京都福生市)・砂川村(現東京都立川市)
・蔵敷村・三ツ木村・粂川村の全八ヶ村を内藤新宿助郷から除く予定として
取決め、組頭その他に書類を差し出したところ、右の通り定まったので
早速お知らせするところですが、今日信太郎に会ったのでとりあえず、調査
段階での重要な内密の話があり、恐らく右の通りに決まると思われるので、
重兵衛・源五右衛門・杢左衛門・藤吉その他へお伝えください。
この件については成就したときには横山・中村両人へは
1万疋以上の御礼
をしてもらいたく、今度の事だけではなく
後日の役にも立つように、私から強いて話すことではないけれども貴方だけ
の胸の内に入れていただき、願いが成就したのに不誠実だと思われない
ようにお取り計らいください。
私に対する配慮はもとより、支配の間柄などで決して御礼はいりません。
その代り下女を一人至急手配してください。家内が出産のため家におらず
大変困っておりますので、よろしくお願い申し上げます。
右のことは厳重に秘密にしてください。」


横山信太郎とは、中村晋平と共に巡察に来た役人です。
上村井さんは中村さんだけではなく、横山さんのも同じ策略を持ち掛けて
いたようですね。
で、この2人の裁量で蔵敷村など8つの村が内藤新宿の助郷からハズさ
れたようです。おそらく他の村も杢左衛門さんたちと同様の策略を仕掛け
ていたのでしょう。コレ、それぞれの郷土資料で裏付けができると面白い
でしょうねぇ。
そしてココが重要。
御礼の中身がズバリ書かれていますよ。1万疋=25両ときたもんだ!
この金額は、だいたいこういった場合の相場なのか、それとも中村さん
たちから出た要求額なんでしょうか?

さて、大坂屋八十八さんからこの手紙を見せられた杢左衛門たちは、ひと
まず安心したようです。
そして、前回ご紹介した中村晋平さんからの要求にあったからでしょうか、
金1両3分と銀4匁を払って本所で炭10俵を購入し、中村さんに届けて
います。
そして、杢左衛門さん、三ツ木村年寄藤吉さん、粂川村年寄太左衛門
さん、大坂屋八十八さんと4人で協議の上、御礼の金額を次のように
決めたようです。

「一 金15両        横山信太郎様
 一 金5両         中村晋平様
   他に炭10俵 代金1両3分と848文
 一 金3分         3人のお共の方
 一 金15両        上村井善平様
   他に1両1分(下女雇用金)
 一 金3両         根本慎蔵様(江川代官手代)
 一 金5両         大坂屋八十八
   他に1両2分

   合計48両1分と848文

 他に1両1分と824文    酒食代

 総合計 49両3分と1貫672文」


現在の価値にすると500万円くらいでしょうか。けっこうな金額です。
配分を見ると、御普請役の横山さんの方が御普請役格の中村さんより
も取り分が多いですね。
それと、自分では「いらないッス」なんて言ってた上村井さんに、15両
も支払ってます。さらに、八十八さんにも5両の支払い。このことから
村民と御普請役の間に入ってくれた代官所と公事宿に、相当の心配り
をしていることが想像できます。
この金額は3つの村で割り、各村のそれぞれの負担は

「15両3分と550文     蔵敷村
 17両1分と556文     三ツ木村
 17両1分と556文     粂川村

右は11月20日夜、大坂屋八十八宅にて出金御礼の46両2分を封
金して八十八に預け、追って完全に助郷免除が決まったら3人同道
して御礼を申し述べることとして、それまでは大坂屋八十八に預け
置くこととした。」


翌慶応元年(1865)3月22日、大坂屋八十八から各名主たちへ
蔵敷・三ツ木・粂川の3村は正式に内藤新宿の助郷から外されたとの
手紙が届きました。
めでたし。めでたし。

かつてはお上からの過酷な負担には、強訴や一揆といった強硬手段
でしか訴える術を知らなかった村々が、この幕末期を迎えると金銭に
よる贈賄という手段で解決を図っているという所に時代の新しさを
感じます。
さらに言えば、当初「わが村は貧しくて・・・」と表面では言いながらも、
多額の賄賂を使えるほどに村々が貯えを持っていたという点も注目
ですね。この辺り、以前取り扱った貯穀制度と合わせて見てみると
おもしろいです。

意外な発見としては、このような裏工作に公事宿が大きな働きをして
いたということですね。
八十八、暗躍してるなぁ~。

20130318.jpg

池田屋事件のあと、幕府から会津藩を通して池田屋に討ち入った
隊士たちに報奨金が下されました。近藤さんと共に真っ先に斬り
込んだ永倉さんは20両。井上源さんは応援に駆け付けたので
17両のご褒美です。
ところで、試衛館時代からの大幹部である山南さんが、この池田屋
討ち入りに参加していません。これが不思議です。
事件後に近藤さんが郷里に出した手紙によれば、当日は隊内に病人、
怪我人が多く30人ほどしか出動できなかった、とのことです。
山南さんもその中に入っていたのでしょうか?
また、長州が古高を奪還しに壬生の屯所を襲いに来るという危険性
もあったため、何人か腕の立つ者を残していたともいいます。
あるいは山南さんはその責任者だったのかもしれません。
しかし、池田屋討ち入りに参加しなかったことは山南さんにとって
大きな曲がり角になってしまいます。
これ以降、山南さんの新選組内における立場が非常に薄くなって
いってしまうんですね。



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#198 大坂屋八十八
 この案件の裏で実質的な役割を果たしている公事宿の実態を知りたいですね。
 地方文書では割会い多く出てくるのですが、その実が知られません。宿泊施設でありながら、江戸の裁判制度の中で、名主クラスには欠かせない相談相手というか、取り持ち依頼の役割を演じています。
 どなたか、お教え頂ければ幸いです。
 山南の脅し文句が効いてます。
 野火止用水
 
#199 野火止用水さま
私も公事宿の実態はとても気になります。「里正日誌」にあたる前までは
公事宿がこんな仲介をするとは思ってもみませんでしたし、文面からはこういう
事が常套化していたような印象を受けました。
また、通説では江川代官は賄賂など絶対に受け取らない施政官だったとありますが、
その手付がかなり高額の金銭を受け取っていることにも注目ですね。この時代は
坦庵(英龍)ではなく子供の英武が代官で、まだ12歳という年齢でしたから
このような弛みも出ていたのかなぁ、と推測しています。
#200 馬2頭分
礼金や付け届けが慣例であり、賄賂との境界が曖昧な時代とはいえ、
内密のやりとりをここまで詳しく記録に残したのは稀有な例ではないでしょうか。
杢左衛門さん&『里正日誌』スゴイ!と改めて思いました。
貴重な記録を紹介してくださったイッセーさんに感謝します。

馬1頭が25両とか聞くので、この総合計額で馬が2頭も買えてしまうと思いました。
それでも、助郷役に必要な人馬そのほかに比べれば安いですね。

実態は不明ながら、公事と賄賂とは不可分のものだったとも推測され
公事宿がプロとして賄賂の仲介をすることは、半ば当然だったのかもしれません。

池田屋事件後、容保公を通じて幕府から新選組に報奨金が下賜されたこと、
「抜群相働」「忠勇義烈之志」とお褒めにあずかったことは『会津藩庁記録』に明らかです。
「八重の桜」では池田屋事件は「新選組の勝手な暴発」として描かれていましたが、
暴発して褒美をもらえるはずもなく、ドラマと史実を混同する向きがないよう願うばかりです。
#201 東屋さま
まったく、よくこんな書状の写しを残しておいたものだと思います。
実際にかかった費用、間に入った人たちなど、非常に具体的で驚きます。
公事宿については仰るとおりで、突き詰めていくと江戸の訴訟の実態が
見えてくるかもしれませんね。

「八重の桜」の池田屋事件は、東屋さんの危惧される描かれ方にされて
しまいましたね。ドラマ・・・特に大河は史実と思って見ている人も多いので、
また新選組のヒールのイメージが強くなりそうです。

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