役人の要求

蔵敷村名主の杢左衛門、三ツ木村年寄の藤吉、粂川村年寄の太左衛門。
内藤新宿への代助郷を回避するために、彼らが起こした「袖の下大作戦」は
どのような展開を迎えたのでしょうか?

元治元年11月、大坂屋八十八なる人物から杢左衛門さんのところに「ぜひ
会ってお話したい」との密書が届きます。
そこで杢左衛門、藤吉、太左衛門の3人は11月18日に江戸にいる八十八
の元に向かうことにします。
しかし、この大坂屋八十八とは、何者なのでしょう?

江川太郎左衛門の代官所によく出入りをしていた者に植木屋藤兵衛という
人物がいました。彼は芝柴井町(東京都港区)で公事宿(くじやど)を営んで
いましたが、八十八はその藤兵衛の手下だったのです。
公事宿というのは、江戸時代、訴訟のために江戸に来た人が泊まった宿
です。訴訟には面倒な手続きが必要ですが、公事宿はその諸事務の代行
も扱いました。
江川代官所内で起きた訴訟事の一切を取り扱う人物が藤兵衛であり、同時に
代官所に非常に顔の利く人物であったことが想像できます。八十八はその
藤兵衛の元で実際に動いていた者なのでしょう。

3人が八十八に面会すると、彼は1通の書状を彼らに見せました。
それは助郷調査のために村々を巡察していた御普請役格・中村晋平から
江川代官所の手附・上村井善平に宛てた手紙でした。八十八はこの手紙を
3人に見せるように上村井さんから言付けられたようです。
手紙を包んである上書には「御直披(おんじきひらき)」と書かれています。
「自ら直接開封してください」という意味であり、手紙の内容はくれぐれも内密
にという意味が含まれているわけです。

「一つお手紙を差し上げます。寒くなる季節ですが、皆さま益々ご勇健なことと
お喜び申し上げます。
先日は遠方のところわざわざお出で下されましたが、何のおもてなしもできず、
申し訳なく存じます。その時の内密の一件、追々に調査してそれぞれ
交渉もして、だいたい八、九分はご依頼通りになるはずに決めましたので、その
ようにご承知いただき、名主の方々へも密かに知らせてください。ついては蔵敷
分そのほかの村の増番人による助郷免除の嘆願書の写しを、参考までに小生
までお廻しいただけるようお願いいたします。御勘定所のお使いを遣わしてくだ
さい。いろいろと申し込みが多く、どうにも近所へ外出することもままならず当惑
しております。ご推察ください。以上のことを申し上げたく乱筆で書きましたので、
ご覧になりましたらこの手紙は破棄してください。その他のことはお会いした時
にお伺いいたします。
 11月12日認(したた)める。
尚、時節柄お体大切にお祈り申し上げます。恐れながら皆さまにも宜しくお伝
え下さい。さて、依頼したことも困難なことと存じますが、万が一にも願い通り
になりましたら天城炭を年内少々よけいに融通
していただけますようお願い申し上げます。

くれぐれもご迷惑とは存じますが、とかく不足がちなので仕方なく申し上げる
次第です。お聞き下さるようお願い申し上げます。以上。」


どうやら杢左衛門さんたちの「袖の下大作戦」は成功したようです。
つーか、何でしょう!
役人の中村さんは「天城炭をくれ」と、自分の方から「もっとちょーだい」コール
を出しちゃってます。天城炭っていうのは、伊豆半島の天城で取れる上等な炭
です。
なんといいますか、自分の方からこうも堂々と言ってこられると、何も言えませ
んな。しかもよく読むと、「いろいろと申し込みが多く・・・」と他からも嘆願が出て
いることを匂わせ、「読んだあとは破棄してください」と証拠を残さないように
仕向けるなど、この手の駆け引きに場馴れしている感じですね。

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池田屋事件でよく語られるのが「沖田総司の喀血」ではないでしょうか。
小説やドラマでは、ここから沖田さんの闘病が始まります。
しかし、沖田さんは翌慶応元年に脱走した隊士の酒井兵庫を追跡して
斬るなど、隊の仕事をフツーにこなしています。喀血までした人にこんな
事ができるものでしょうか?
「池田屋で沖田喀血」と最初に書かれたものは昭和3年に出された
「戊辰物語」で、この本の新選組のページを担当した子母澤寛が書きま
した。
池田屋で一緒に戦った永倉新八は、大正2年の新聞連載で「持病の肺
患が再発」と書いてますが、喀血とまではしていません。
さらに、新選組のスポンサーだった小野路村名主・小島鹿之助の書いた
「両雄士伝」(明治7年)には、沖田が肺病を患ったのは慶応3年からと
あります。
池田屋で沖田さんが昏倒したのは事実でしょうが、その原因が肺病とか
喀血とかいうのは、後の死因から憶測したものに過ぎない可能性がある
と思われます。

・・・ところで、

IMG_0065 a 

大事な原稿用紙にこんなイタズラしたのは誰ですか!?

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あ、キミは去年の夏に、ブロック塀と物置の間に挟まっていたのを
助けたら、そのまま居ついちゃった黒猫のポンちゃん!
こーゆーのを「恩を仇で返す」と言うのですよッ!

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良くないでしょ、テンちゃん!
あなたからキチンと言っといてくださいねッ!



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コメント一覧

#191 杢左衛門は苦労人
 この時代の杢左衛門はなかなかの人で、筆まめな上に、近所の人々の面倒もよく見たようです。忙しい中、江戸市中への駄賃稼ぎには、組頭以下を先導して引き連れ、内藤新宿の役人とも掛け合いをやっていたと、杢左衛門さんの後裔(大和村村長)から聞きました。そう言う積み重ねが、幕府や手代との交渉に現れているようです。
 野火止用水
#192 野火止用水さま
やはり、そうでしたか。
日誌を読んでいると、交渉の順序というか手順にとても慣れている感じがします。
当時の武家役人と農村の関係を考える上でも、貴重な証言・資料になりそうですね。
#193 コネクションの重要性
袖の下作戦、うまくいったようで重畳です。
ただ、仲介者への謝礼も含めて相当な出費が嵩んだのではないでしょうか。
そうまでして回避したい助郷負担とはどれだけ重かったか、窺い知れます。

同時期の小島鹿之助さんは、2ヶ月ほど泊まりがけで増助郷差村の免除嘆願に取り組んでいました。
滞在先は、小伝馬町の鍋屋甚八という公事宿。
嘆願を始めたのは東海道の増助郷を警戒してですが、途中で内藤新宿も懸念材料に。
ただ、内藤新宿に関しては心配無用、という知らせがまもなく入っています。
その情報源が、なんと御普請役格・論所地改出役の中村晋平さんなのですよ。

器量よしのテンちゃん、縁起の良いカラス猫のポンちゃん、イッセーさんは猫福者ですね。
#194 東屋さま
小野路村の資料にも中村晋平さんが出ていましたか。そうなると、どうも彼が助郷の
実質的な差配をしていたと思えますね。ありがとうございます。
助郷はその仕事の内容もさることながら、働き手や馬を一定期間供出しなければなら
ず、その間に自前の耕作ができないという点でかなりの負担だったでしょうね。
特に生産性の低かった武蔵野では、労働力を取られることはかなりの痛手になった
ことでしょう。

ネコたちへの温かいお言葉、Thanksです。
#195 管理人のみ閲覧できます
このコメントは管理人のみ閲覧できます
#196 極骨!さま
地方史とか郷土史ってのが、そもそもマニアックかもしれないですね。
しかし、細かいトコロほどはまると面白いのは極骨!さんもよく
御存じでしょう!
#197 管理人のみ閲覧できます
このコメントは管理人のみ閲覧できます
#377 斉藤さん関係の記事、教えて下さってありがとうございますm(__)m
ひとつひとつ大切に読ませていただいています。
ユーモアとウイットがあって楽しいですね(●^o^●)
週末の強みで読みふけってしまいます。^^

しかし、総司が斉藤より年下だったなんて・・・
イメージってこわいものですね。
なるほど、こんなふうに序列が決まっていたのですね!

八重の桜でも、総司はひどく喀血し、倒れ込んで(てっきり亡くなったかと思いました)
斉藤は覚馬を助け、クールにひとこと”スキだらけだ”と、キメていました。

ぼんちゃん、てんちゃん可愛いですね(#^.^#)
二匹も飼ってらっしゃるのですか。
ケンカもせず仲良しでおりこうさんですね。
うちのポメ(ポロン)とチワワ(チー助)はケンカばかりしていました。
おもに、ソファーや毛布のとりっこなんですが(汗)
#379 美雨さま
ウチも毎日ケンカばかりですよ。
テンちゃんは6歳、ポンちゃんは1歳と歳がはなれてるんです。
ポンちゃんは遊びたいんで、しょっちゅうテンちゃんにちょっかい出す
んですが、うざったいんでしょうね。テンちゃんがすぐ起こります。
スゴイですよ。取っ組み合いで。
でも、しばらくすると、ふたりして並んで寝てるんで、マジケンカじゃ
ないいんでしょうね。
動物はいいですよね。

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