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天寧寺 近藤勇墓参

新選組展2022や飯盛山の余韻に浸りながら、宿は東山温泉にとりました。

あ、ところで昨日あたりTwitterで回ってきたのですが、飯盛山で夜中に地元の
中高生と思しき男性らが3~4人で花火を打ち上げて遊んでいるらしい。
監視カメラの映像は山下の茶店の前でしたが、投稿では上に登って打ち上げ
てもいるらしい。もし、さざえ堂にでも燃え移ったら大変なことになるので、ぜひ
止めていただきたい。いや、もちろん茶店やお土産屋にも引火したら、キミらじゃ
責任取れないでしょ。アホなことはやめなさい。こんなブログ読んでないだろうけど。

話を戻して。
会津はソースカツ丼が有名だと聞いたんですよ。
アレって山梨が元祖かと思ったんですが、違うのかな?
宿は素泊まりで取ったので、夕食は東山温泉内の食堂で、そのソースカツ丼を
食べてみました。

卯之家2a

半ラーメンとのセット。カツはそんなに厚いわけじゃないが、衣にソースがよく
馴染んでいて美味かったです。
このお店は「卯の家」。東山温泉の中ほどにありますが、店の前まで車で行くと
ドツボにハマるので、1本下の道の足湯前の駐車場に停めましょう。向かいに巨大な
土方歳三の壁画が見えるのが目印です。なんのこっちゃわからん人は、現地に行けば
わかる。

翌日。今回の旅の2番目の目的地である天寧寺へ。近藤勇局長のお墓参りです。
天寧寺は東山温泉のすぐそば。武家屋敷の北側の小道を入っていきますが、温泉側
から車で走っていくと見逃がしやすいので注意です。

天寧寺5

萬松山天寧寺。駐車場は10台くらい置けそうです。

天寧寺4

駐車場前で案内板を確認。
以前、江戸検一級の仲間から「けっこう山道歩くよ」と言われていました。それに昨日雨だった
ので真夏ではありますが、L.L.ビーンのハンティングシューズを履いてきました。

ガムシュー

靴ヒモの結びが左右違うね。まぁ、いいや。オシャレってことで。
朝から快晴ではありましたが、昨夜も雨がまた降ったようで墓域までの道は舗装も
されておらず、所々ぬかるんでいる場所もあったので、この装備は正解でした。
雨の影響がなければスニーカーで十分です。

天寧寺6

上り坂が続きますが、ほぼ一本道ですし案内板が所々にあるので迷うことは無い
でしょう。ただ、先客の方とすれ違ったとき、その人がクマよけの鈴を鳴らしながら
下りてきたので、ちょっと「マジかよ?」と思いました。出るんかい?
辺りを気にしながら5~6分ほどで到着です。

天寧寺2

右が近藤勇墓。左が最近になって新しく建てられた土方歳三墓です。
「貫天院殿純忠誠義大居士」(近藤)
「歳進院殿誠山義豊大居士」(土方)
と墓石に刻まれます。
お二人の戒名は日野の高幡不動尊でも位牌として並んで見ることができますが、
墓石として見られるのはココだけでしょう。

近藤さんのお墓の下には何も無い、とか遺髪が納められているとか様々な説が
あります。一番スゴイのが京都で晒されていた首を奪い取ってきて納めたという
ものですが、ワタクシはけっこう可能性が高いと思ってます。
ご存じの方も多いと思いますが、若松市長だった松江豊寿所持の日本刀「阿洲
吉川六郎源祐芳」の覚え書き「下僕首を盗み生前の愛刀になりし此の刀を持ちて
会津に走り密かに葬る」。霊山資料館がこの刀を近藤勇が所持していたと認めて
いますし、下僕も会津小鉄こと上坂仙吉とわかっていますので、まんざら嘘でも
ないだろう、と。

墓が作られた当時、身分の高そうな侍がここで指示を出していた、それrが土方
さんだったといいますね。どの辺りで指示を出していたんだろうと周りを歩きました。

天寧寺3

最近、多摩から運ばれて植樹された「血梅」。
少し大きくなった頃に、また来ます。

天寧寺には会津藩家老だった萱野権兵衛のお墓もあるので、そちらにも行って
みます。駐車場近くまで下りてきて別の小径を上って行くのですが、これが近藤さん
のお墓より距離は近いのですが足場は悪い。樹々の根っこがあちこちに張り出して
いるし、枝も張り出ているので歩きづらいです。
ここまでお参りする人も少ないのか鬱蒼としていて、さっきのクマよけ鈴を持っていた
人を思い出し、ビビリながら到着。

天寧寺1

萱野権兵衛長修墓(正面)と次男長正墓(左)。
萱野権兵衛は会津戦争の責任を一人で負って、江戸で切腹しました。墓石らしいものが
見当たらなかったのですが、この菩薩像がその代わりなのでしょうか。
長正は会津復興のための留学生に選ばれ、福岡の小笠原藩に派遣されました。少年
ながら文武に秀でた秀才でしたが、ある日突然自刃。原因は不明だそうです。
長修が切腹したため、長男以外は茅野ではなく郡の姓を名乗ったそうで、郡は茅野家
の初代長則の母親の姓だそうです。正面の石碑に茅野家のことが書かれていますが、
茅野家は元々、加藤嘉明の家臣として会津に移り住み、加藤家が転封となった後も
そのまま保科正之に召し抱えられて会津に住んだとのことです。
「八重の桜」で萱野権兵衛は柳沢慎吾さんが演じてましたね。切腹シーンは辛かった
なぁ。

さて、会津若松市内では他にこんな所を散策。

清水屋跡1a

吉田松陰や土方歳三も泊まった旅館「清水屋」跡。現・大東銀行会津若松支店。
建物前に案内板があります。
道路の向いには会津塗のお店「白木屋」。店の奥が会津塗の資料館になって
いて見学もOKです。「八重の桜」で綾瀬はるかさんが身に着けた帯留めなども
展示されていました。

中野竹子2a

中野竹子殉節の地、中野竹子像。
七日町駅前の通りをまっすぐ北上した、周りが工場か何かの建物で囲まれた
公園らしき広場の一角にあります。
車1~2台くらいなら駐車可。
地図で見ると、位置的には斎藤一が戦った如来堂の東ですね。

そんな感じで会津を後に、帰路猪苗代方面に向かいます。


「なんだー。このボタンちょっと押してみるんだな。うーん、なんだー。」



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[ 2022/08/26 ] 史跡へゴー | TB(0) | CM(2)

半ラーメンとのセット

なんというか、ちょうどいい、かつ最強の組み合わせですね。
ラーメンの澄んだスープとメンマが実にいい。
むかし、山梨では「かつ丼」とだけ言うと、本当にソースカツ丼が出てきてしまい、
わざわざ「煮かつ丼」と頼まないと、一般に世間(東京近郊)で食べてる卵とじのカツ丼は出ないと言われていましたが、今ではそんな文化も無くなりましたね。(チャーシュー麵もなぜかチャシュウ麺とメニューに書かれてました。)
しかし、こんな北に近藤さん、土方さんのお墓があるとは!存じませんでした。
しかも日野の血梅まで移植されていたとは。
「新選組」ってのは、その時代での負けや勝ちを越えて、後世の文化に大きな影響力を与えてくれるすごい存在なのだな、と改めて思い知らされました。

それと、熊は最近ホントにどこにでも出ますね。鈴とラジオは必需品ですな。
[ 2022/08/29 23:09 ] [ 編集 ]

甚左衛門さま

私も以前、テレビ番組かなにかで「山梨でかつ丼を頼むとソースカツ丼が出てくる」というのを知ったので、山梨が元祖とばかり思っていました。
気になってちょっと調べてみたら、大正時代にドイツで料理修行をした方が東京早稲田に店を開き、そこでソースカツ丼を出したのが最初のようです。もちろん諸説あるようで、福井あたりも元祖を言っているようです。
ご飯の上にキャベツの千切りをのせ、その上にウスターソースに浸したカツをのせるのが会津スタイルのようですが、山梨ではいかがですか?

近藤勇のお墓は三鷹、板橋、会津のほか岡崎にもあります。そのうちに行ってみようと思っています。
[ 2022/08/30 11:57 ] [ 編集 ]

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