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團菊祭を見に行く

先日歌舞伎座へ行ってまいりました。
毎年5月は恒例の團菊祭です。

團菊祭1a

團菊祭というのは、明治時代の名優、9代目市川團十郎と5代目尾上菊五郎を偲んで
行われる興行で、毎年5月に歌舞伎座で行われます。

團菊祭5a
劇聖と云われた9代目市川團十郎。
荒唐無稽なストーリーが多く庶民の娯楽だった歌舞伎に、時代考証や写実性などを
加味させて日本文化を代表する舞台芸術にまで育て上げた功労者。
歌舞伎の世界では単に「九代目」というと、この人を指します。

團菊祭6a
5代目尾上菊五郎。
父は12代目市村羽左衛門。そのため最初は13代目羽左衛門を名乗ったが、母親が
3代目菊五郎の娘だったため、5代目としてその名跡を継ぐ。
当たり役は「白浪五人男」の弁天小僧菊之助。作者の河竹新七(後の黙阿弥)はまだ
羽左衛門を名乗っていた少年がいずれ菊五郎を継ぐことを予測して、弁天小僧の
名前に菊の字を当てたという。

この二人に初代市川左團次を加えて「團菊左時代」と呼ぶ、明治の歌舞伎一時代が
築かれました。たぶん、日本史の教科書にも出ています。

團菊祭は成田屋(市川團十郎家)と音羽屋(尾上菊五郎家)が共演でそれぞれの家
の演目を出す、歌舞伎界の恒例行事なのです。
ただ。2020年はコロナ禍で講演が中止。昨年は興行自体は行われたものの、20年
に行われるハズだった13代目市川團十郎襲名興行が延期になって以来、海老蔵は
歌舞伎座の舞台に出ておりません。
今回の團菊祭は菊五郎・海老蔵・菊之助が第2部に出るというので、楽しみにしていま
した。

團菊祭2a

第2部の演目は「暫(しばらく)」と「土蜘(つちぐも)」。
「暫」は成田屋の歌舞伎十八番の一つ。
「土蜘」は音羽屋の新古演劇十種の一つです。

團菊祭7a
ワタクシの座席は2階6列目。
開場したばかりの劇場内なので、まだ観客はパラパラ。
座席は2席おきに空けてありますが、開園時間には制限数のいっぱいになりました。

團菊祭3a

「暫」は初代團十郎が創始した芝居ですが、元々は「参会名護屋」という演目の
1場面だったものが設定を変えながら独立したものです。
ストーリー的には勧善懲悪の単純な話で、見どころは主人公鎌倉権五郎のド派手
な衣装と小気味の効いたセリフ、大立ち回りなどになります。團十郎家の芸風は
「荒事」といいますが、「暫」はその代表的な演目です。
海老蔵が演じる主人公の鎌倉権五郎、こう見えてまだ15歳前の少年という設定
です(月代を剃らず前髪がある)。なので、セリフにも無邪気さがあり、悪者の要求
にも「いーやーだー」などと駄々をこねるような喋り方をする。また、長台詞をつらね
といいますが、そこにアドリブなども入れたりします。例えば今回の舞台では「昨年の
オリンピック開会式で登場して以来・・・」と語り、場内を笑わせていました。
荒事はただ勇ましく見せるだけでなく、こういうユーモアが大事で、そういう所は
12代目團十郎も上手だったし、海老蔵も上手いと思います。

さて、もう一方の「土蜘」は謡曲の「土蜘蛛」を素材とした演目で、能舞台をイメージ
した舞台で演じられる「松羽目もの」と云われるジャンルの芝居です。
源頼光が病で臥せっていると、一人の僧がやってきて病気平癒の祈祷をしようと
言います。しかしその僧こそ妖怪の土蜘蛛で、その妖術で頼光は病になっていた
のです。最後は糸を繰り出しながら暴れる土蜘蛛を頼光の家臣四天王が退治する
というお話です。三味線、笛、鼓、唄に合わせた舞踊劇が見どころの演目です。
今回は源頼光を菊五郎、土蜘蛛を菊之助、太刀持ちを丑之助と、親子3代共演
という、まさに團菊祭ならではの演出もあって楽しめました。
コロナ禍なので、現在は掛け声が禁止中なのですが、通常であれば大向こうから
多くの掛け声が掛かったことでしょう。
にしても、丑之助くん、めっちゃ成長してて芝居も上手くてビックリしました。

ということで、久しぶりの團菊祭を堪能してきたワケですが、ネットにはこんな話も
上がっておりました。
成田屋と音羽屋の合同ではあるけれど、共演ではないではないか、と。
確かにその通り。海老蔵は「暫」のみ。菊五郎、菊之助は「土蜘」のみの出演。
以前ですと1本の芝居に成田屋も音羽屋も出演して、それが團菊祭の面白さ
だったりしたものです。たとえば「白浪五人男」で菊五郎が弁天小僧、日本駄衛門を
團十郎が演じるみたいな、ね。
今回はそういう意味での本来の共演が無い。

どうもね・・・海老蔵サン、ゴタゴタが続いてるじゃないですか。ヨメの義姉さんとか
といろいろねぇ。まぁ、そんな成田屋の状況を音羽屋があまりよく思ってないん
だとか。
まぁ、ネットで見かけた話なので、どこまでホントかわかりませんが。
あまり他人のプライベートに触れたくはありませんが、あのヨメ義姉。文句の一つも
言いたいのはわかるとしても、あんなに公にベラベラ喋るのはどうなんでしょう?
海老蔵はともかく、二人の子供がどう感じるか、ソコんとこ配慮してもいいんじゃ
ないの? って思います。

最後に。

團菊祭4a

歌舞伎座は3階通路に、鬼籍に入られた名優の方々がパネルで紹介されている
のですが、その末尾に先日亡くなられた中村吉右衛門さんが入っていました。
その上には昨年亡くなられた片岡秀太郎さんも。
お二人ともまだまだお芝居を見せていただきたかったのに。残念です。


「なんだー。このボタンちょっと押してみるんだな。うーん、なんだー。」



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[ 2022/05/26 ] 番外編 | TB(0) | CM(4)

大向

3階のパネル写真を見て、勘九郎も八十助も若くして亡くなったんだんだなあ と思ってしまいました。
[ 2022/05/27 22:30 ] [ 編集 ]

泉大福さま

本当にそうですね。先代芝翫さん、雀右衛門さん、藤十郎さんは年齢的に仕方ない
としても、團十郎さん、勘三郎さん、三津五郎さんは若過ぎましたね。
[ 2022/05/30 20:48 ] [ 編集 ]

承認待ちコメント

このコメントは管理者の承認待ちです
[ 2022/07/04 22:49 ] [ 編集 ]

Re: 9代目

9代目は歌舞伎を西洋のオペラなどに匹敵する舞台芸術に昇華させようとして、それまでの荒唐無稽でエログロな要素も多分にあった歌舞伎を変えようとしたんですね。それは改良劇と呼ばれ一時成功するんですが、やがて「それは歌舞伎の姿なのか?」と疑問を投げかける人も出て、河竹黙阿弥や坪内逍遥などが従来の江戸歌舞伎の雰囲気を復刻させる作品を作り、初代左團次や5代目菊五郎がそれらの脚本で活躍するにいたります。ちょうど明治30年代の終わりころで、世相的にも明治政府の急速な欧化政策に庶民が反発し、江戸回帰の風潮が高まる動きと重なります。
9代目は明治36年に亡くなりますが、たとえば真山青果の「元禄忠臣蔵」など歌舞伎の技法・伝統を守りながら、史実にも忠実な「新歌舞伎」というジャンルが生まれるようになり、現在に続いています。9代目團十郎は江戸から近代に移る日本の演劇史のターニングポイントであったことは間違いないですね。
ちなみに、浅草寺の駐車場脇にある「勧進帳の弁慶像」は9代目團十郎の弁慶がモデルです。晩年の9代目は古典の復古継承にも力を入れていました。

[ 2022/07/10 12:02 ] [ 編集 ]

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