
東大和周辺の桜は、都内と一週間ほど開花時期がずれるので、四月に入ってからが
見ごろとなっています。ただ、今日(4月3日)の雨で少し色が褪せてしまうかもしれま
せん。
上の写真は多摩湖(村山貯水池)入口の桜の写真。きれいに桜が咲いております。
多摩湖は桜の名所でもあり、毎年都内近郊からお花見のお客様がいらっしゃってくれ
ます。ここ2年ほどはコロナ禍で少なくはなっておりますが。
多摩湖は大正末期から昭和2年にかけて、都民の飲用水を確保するためにつくら
れた人造湖です。当時はその景観を楽しむためにホテルが作られたり、女優さんが
グラビア写真を撮りに来たりして、都民の観光地として楽しまれたようです。
その観光の目玉の一つが多摩湖周辺の桜です。
昭和9年(1934)に服部時計店(現SEIKO)社長の服部金太郎氏が亡くなった際に、
遺族から1万本の桜の寄付があり、翌10年に多摩湖の周囲に植えられました。植え
られた品種もソメイヨシノだけではなく、白山桜、紅山桜、紅彼岸桜、里桜など数種が
植えられ、訪れる人の目を楽しませました。
太平洋戦争で残念ながら伐採される木々が増え、その残ったものが現在の多摩湖に
咲く桜となっています。
ところが、ご存じの方も多いと思いますが、花見の主役ソメイヨシノは江戸時代に作ら
れた人工種です。エドヒガンとオオシマザクラを交配して作られたといいますが、自家
和合性に劣り種子から発芽に至ることはありません。つまり、世界中の全てのソメイ
ヨシノはかなり限られた数の原木のクローンということになります。
このことがソメイヨシノが一斉に開花する理由になっているのですが、その一方で
特定の病気にかかりやすく環境変化に弱い理由にもなっています。
寿命も短くて60~100年ほどと云われています。外から見ると幹は太くて立派でも
中は空洞化していて、台風などでポッキリ折れるなんてことも・・・。
ということで、多摩湖周辺のソメイヨシノもそろそろ寿命となり、最近では伐採が進んで
行われています。放っておいて急に枝が折れて通行人や車に直撃したら危ないです
から。
伐採したあとには、新たな苗木が植えられています。
上に載せた写真は数年前に植えられた若い木です。
で、この若木。ソメイヨシノのように見えますがソメイヨシノではないのです。
公益財団法人・日本花の会では2009年からソメイヨシノの苗木販売を中止し、替わって
病気に強く、花や開花時期がソメイヨシノと類似するジンダイアケボノへの植え替えを
推奨しているとのことです。
とういことで、写真の多摩湖の桜はソメイヨシノではなくジンダイアケボノということに
なります。
さて、一方コチラの写真。

ここは東大和市内の住宅地の道路ですが、ここにもかつては道路沿いにソメイ
ヨシノが植えられ見事な花を咲かせていましたが、樹齢50年を過ぎて立ち枯れ
等が出てきたために全て伐採。ご覧のように新しく苗木が植えられています。

ソメイヨシノよりも若干花の色が濃いように感じられます。
市役所の環境課で聞いたところ、コチラは陽光桜という品種だそうです。
やはり日本花の会の推奨で、病気や害虫に強い品種だそうです。多少ソメイヨシノ
よりも開花時期が早いような気がします。
日本人が桜を愛でる習慣は、梅に替わって桜を詠む和歌が増えた平安時代頃と
云われています。
花見の風習が庶民に広まったのは江戸時代。天海大僧正が上野に植えた桜が
名所となってからですが、寛永寺の境内では宴会をすることは禁じられました。
享保5年(1720)に徳川吉宗が浅草隅田川堤や飛鳥山へ桜を植えさせて、庶民
の行楽を奨励したことが現在まで続く「お花見」の風習となっています。吉宗と
しては享保の改革による庶民の不満を逸らす、ガス抜き政策だったのでしょう。
桜の品種にはヤマザクラ、オオシマザクラ、エドヒガンなどの11種の野生種が
あり、これらを組み合わせて現在400種以上の品種があるそうです。
その主役が今までソメイヨシノだったわけですが、これまで書いてきたように、
今後はアケボノやヨウコウなどの品種へと移行が進んでいきます。
残っているソメイヨシノを見られるのも今のうちかも知れません。
「なんだー。このボタンちょっと押してみるんだな。うーん、なんだー。」


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