fc2ブログ
2024 02123456789101112131415161718192021222324252627282930312024 04

「青天を衝け」幕末多摩ひがしやまと流見方㉑ 

昨年の秋に渋沢成一郎について講座を行ったときに、受講生の方からこんな
質問が出ました。
「『青天を衝け』の箱館戦争のシーンで、土方歳三と渋沢成一郎が同じような
洋装で戦っていたが、実際はどうだったのですか?」

土方と成一郎a

コレですね。右が土方歳三(町田啓太)、左が成一郎(高良健吾)。

土方については、洋装で撮った写真が残っていますから間違いはないですね。

②土方歳三

上の町田啓太さんの衣装は、とても良く再現されています。
当時のことなので服の素材はラシャですかね。箱館は寒いし。
かなり重かったと思います。

ただ、成一郎がどんな服装で戦ったのかを記している資料は、ワタクシの知る限り
ないんですよね。
成一郎が作った彰義隊は、上野戦争では和装で戦ったようです。戦争時の写真は
ありませんが多くの錦絵でそのように描かれていますので、大筋間違いはない
でしょう。

上野戦争a

「新彰義隊戦史」によれば、杉浦日向子さんの「合葬」に描かれている姿が彰義隊
隊士たちの服装を巧く表現していると書いています。ご興味のある方はご一読を。
成一郎は上野戦争には参加していませんが、飯能戦争でもほぼ同じ格好だったの
ではないでしょうか。
彼が和装から洋装の軍服に着替えたとすれば、榎本艦隊に合流した後のことだと
思います。この時の様子としては、寺沢儭太郎が坊主頭だったと証言しています。

⑩旧幕軍将校a

上の写真は箱館での旧幕府陸軍首脳の面々。けっこう有名な写真ですね。
ワタクシが数年前に五稜郭タワーに訪れたとき、戊辰戦争集結150年記念のスタ
ンプラリーをやっていて、達成したらこの写真のクリアファイルを頂きましたw
ここに写っているのは前列左から、細谷安太郎(伝習隊)、ブリュネ、松平太郎、
田島金太郎(通訳)、後列左からカズヌーヴ、マルラン、福島時之助(通訳)、フォル
タン。
陸軍はフランス式の部隊編成にもなったことですし、幹部以上はこのような完全な
洋装になったと思われます。成一郎も現時点で写真は見つかっていませんが、
高良健吾さんのような洋装だったでしょう。
まぁ、緊急事態時ですので、それぞれの服に多少の違いがあるのは仕方ないで
すね。

⑦幕府歩兵a

ところでこの写真は「幕末ハードボイルド」(伊藤春奈・原書房)に掲載されている
写真で「洋装した幕府軍の歩兵隊」の説明があります。
歩兵は武士ではなく、民間の百姓や肉体労働者、火消、博徒のような人たちが
金で雇われて勤めました。武士のような格式にこだわったプライドが無いので、
洋装にもすぐに馴染んじゃう。
この写真は上野戦争以前でしょうけど、彰義隊は(天野八郎らが経歴不問に隊士
を集めたとはいえ)幕臣・他藩士が多かったでしょうから、和装の隊士が多かった
のでしょうね。
箱館での旧幕府軍の兵士たちは、伝習隊や衝鋒隊など幕府陸軍が母体となって
いる部隊の兵が多かったので、こんな服装でしょうか。

さて、今回の最後に。
旧幕府軍側の軍服といって忘れていけないのは、コレでしょう。

⑧額兵隊a

仙台藩からの脱藩部隊、星恂太郎率いる額兵隊の「リバーシブル隊服」!
通常は赤い方を表に着て、いざ戦いとなったら黒い方を表にして出動すると
いう、画期的制服。基地内勤務では青いブレザー、出動時にはオレンジ隊服
へと替わる科学特捜隊を思わせるシステムですね。
とにかく通常時に、目立つ赤を採用するところがオシャレ。
幕末イチのオシャレ番長。ドン小西にも文句は言わせません。

昨今、こっちの学校の方がカワイイから、と制服のデザインで進学校を決める
子も多いそうですが、ワタクシも当時の仙台藩士だったら「あのリバーシブルが
着られる!」ってだけで、額兵隊に入隊しちゃったかもしれません。


「なんだー。このボタンちょっと押してみるんだな。うーん、なんだー。」



にほんブログ村 歴史ブログ 幕末・明治維新へ
にほんブログ村


にほんブログ村 漫画ブログへ
にほんブログ村


人気ブログランキングへ
スポンサーサイト



[ 2022/02/11 ] 未分類 | TB(0) | CM(1)

せめて画像の引用元ぐらいきちんと書いたらどうでしょう。
[ 2022/02/26 19:03 ] [ 編集 ]

コメントの投稿













管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

この記事のトラックバックURL
http://mikemiketenko.blog.fc2.com/tb.php/441-151e216a