昨年の秋に渋沢成一郎について講座を行ったときに、受講生の方からこんな
質問が出ました。
「『青天を衝け』の箱館戦争のシーンで、土方歳三と渋沢成一郎が同じような
洋装で戦っていたが、実際はどうだったのですか?」

コレですね。右が土方歳三(町田啓太)、左が成一郎(高良健吾)。
土方については、洋装で撮った写真が残っていますから間違いはないですね。

上の町田啓太さんの衣装は、とても良く再現されています。
当時のことなので服の素材はラシャですかね。箱館は寒いし。
かなり重かったと思います。
ただ、成一郎がどんな服装で戦ったのかを記している資料は、ワタクシの知る限り
ないんですよね。
成一郎が作った彰義隊は、上野戦争では和装で戦ったようです。戦争時の写真は
ありませんが多くの錦絵でそのように描かれていますので、大筋間違いはない
でしょう。

「新彰義隊戦史」によれば、杉浦日向子さんの「合葬」に描かれている姿が彰義隊
隊士たちの服装を巧く表現していると書いています。ご興味のある方はご一読を。
成一郎は上野戦争には参加していませんが、飯能戦争でもほぼ同じ格好だったの
ではないでしょうか。
彼が和装から洋装の軍服に着替えたとすれば、榎本艦隊に合流した後のことだと
思います。この時の様子としては、寺沢儭太郎が坊主頭だったと証言しています。

上の写真は箱館での旧幕府陸軍首脳の面々。けっこう有名な写真ですね。
ワタクシが数年前に五稜郭タワーに訪れたとき、戊辰戦争集結150年記念のスタ
ンプラリーをやっていて、達成したらこの写真のクリアファイルを頂きましたw
ここに写っているのは前列左から、細谷安太郎(伝習隊)、ブリュネ、松平太郎、
田島金太郎(通訳)、後列左からカズヌーヴ、マルラン、福島時之助(通訳)、フォル
タン。
陸軍はフランス式の部隊編成にもなったことですし、幹部以上はこのような完全な
洋装になったと思われます。成一郎も現時点で写真は見つかっていませんが、
高良健吾さんのような洋装だったでしょう。
まぁ、緊急事態時ですので、それぞれの服に多少の違いがあるのは仕方ないで
すね。

ところでこの写真は「幕末ハードボイルド」(伊藤春奈・原書房)に掲載されている
写真で「洋装した幕府軍の歩兵隊」の説明があります。
歩兵は武士ではなく、民間の百姓や肉体労働者、火消、博徒のような人たちが
金で雇われて勤めました。武士のような格式にこだわったプライドが無いので、
洋装にもすぐに馴染んじゃう。
この写真は上野戦争以前でしょうけど、彰義隊は(天野八郎らが経歴不問に隊士
を集めたとはいえ)幕臣・他藩士が多かったでしょうから、和装の隊士が多かった
のでしょうね。
箱館での旧幕府軍の兵士たちは、伝習隊や衝鋒隊など幕府陸軍が母体となって
いる部隊の兵が多かったので、こんな服装でしょうか。
さて、今回の最後に。
旧幕府軍側の軍服といって忘れていけないのは、コレでしょう。

仙台藩からの脱藩部隊、星恂太郎率いる額兵隊の「リバーシブル隊服」!
通常は赤い方を表に着て、いざ戦いとなったら黒い方を表にして出動すると
いう、画期的制服。基地内勤務では青いブレザー、出動時にはオレンジ隊服
へと替わる科学特捜隊を思わせるシステムですね。
とにかく通常時に、目立つ赤を採用するところがオシャレ。
幕末イチのオシャレ番長。ドン小西にも文句は言わせません。
昨今、こっちの学校の方がカワイイから、と制服のデザインで進学校を決める
子も多いそうですが、ワタクシも当時の仙台藩士だったら「あのリバーシブルが
着られる!」ってだけで、額兵隊に入隊しちゃったかもしれません。
「なんだー。このボタンちょっと押してみるんだな。うーん、なんだー。」


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せめて画像の引用元ぐらいきちんと書いたらどうでしょう。
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