天狗党と水戸藩の悲劇

二月ももう終わりに近づいてきましたね。この時期、日本史で有名な
事件といえば、昭和11年(1936)に起きた二・二六事件でしょう。
前回の記事に書きました「天狗党の挙兵」。これは水戸藩の中で起きた
「幕末の二・二六事件」と言えるかも知れません。

前回ご紹介した、元治元年(1864)5月の関東取締出役からの廻状に
続き、8月にも同役所から廻状が東大和市域の村々に廻ってきました。

「子(元治元年)8月25日関東取締出役様よりの廻状の写し
筑波山に集まった賊徒どもは、ことごとく討ち取られたと然るべき筋から
知らせてきた。村々においてもその事を心得て、賊徒どもが金銭の押し
借りなどに来たときはもちろんのこと、潜伏や徘徊などしていたときは
竹槍やその他の武器を使って躊躇なく打ち殺すようにすること。
ついては、村ごとに小百姓の末々まで相互に話し合い、仲間をよく調べ
て賊徒どもに同意したり内通などしている者があれば、たとえ親族の
間柄であっても少しも容赦することなく取り押さえ、最寄の取締出役が
廻っている村へ早々に申し出ること。もし、見逃したことが発覚するよう
なことがあれば厳重に追及するとのことである。この度の賊徒どもの追討
のご趣意をありがたく心得て、組合ごとに申し合わせて行き届くようにし
て、大小惣代ならびに寄場役人たちは一所懸命に力を尽くすように世話を
すること。」


書状の冒頭に「賊徒どもは、ことごとく討ち取られた」とあります。
まさにその通り。天狗党は悲劇の末路を迎えるのです。
前回はサラッと流しちゃいましたけど、このように東大和に資料も残って
いることですし、水戸藩と天狗党についてちょっと触れてみましょう。

そもそもの発端は東野英治郎・・・もとい光圀公が始めた「大日本史」の
編纂事業です。これは水戸藩のライフワークとして江戸時代を通して校訂が
重ねられたんですけど、やっぱりって言うか、まぁ有りがちだよねって言うか、
内容を巡って二派に分かれ対立してしまうんです。
これが幕末の藩主選びにまで発展。幕政を改革しようとする一派に推された
徳川斉昭が第9代の藩主になります。
とーぜんのことながら、斉昭は自分を推してくれた改革派を登用し、それまで
の重臣である保守派を退けました。このとき保守派が悔し紛れに改革派の
ことを「天狗」と呼んだのでありますね。

斉昭さんは当然攘夷派ですから、幕府が勅許も得ずにアメリカと条約を結ん
のが許せないんですが、大老の井伊直弼に疎まれて蟄居させられちゃう。
さらに戊午の密勅事件というのが起こり、水戸藩は大パニックに巻き込まれて
しまいます。
ふつう、天皇からの勅書は関白を通して出されるのですが、この時は関白を
通さずに水戸藩に出されたので「密勅」といいます。(戊午は安政5年のこと)
密勅の内容は「朝廷の許可を受けず通商条約に調印した幕府は許せまへん
から糾弾し、他大名と連携して攘夷を実行しなはれや」というもの。
幕府(てゆーか直弼)は激怒して「そんなモン突っ返せ!じゃねェと、いくら御三
家といっても取り潰すからなッ」と竹内力バリに水戸藩に詰め寄ります。
水戸藩では勅書を「返す」という保守派と、「返さない」という改革派=天狗党
でさらに藩内の対立を深めることになったんです。
この改革派の藩士がマジメにも各地に飛び攘夷を呼びかけますが、幕府の手
でことごとく逮捕され処刑されてしまいます。安政の大獄ですね。
さらにこの反動が桜田門外の変を呼びます。

桜田門外の変から少しして斉昭さんも亡くなります。水戸藩内では保守派が
実権を奪い返してきます。起死回生を目指した改革派がとった行動=それが
「天狗党の挙兵」だったんです。
お話したように水戸藩の複雑な事情が絡んで、内戦は長期化。幕府軍も出動
して沈静化に努める事態。
ご紹介した書状を読むと、天狗党は攘夷を全面に押し出して騒乱でも起こそう
かというような印象を受けませんか?
しかし、この時、天狗党には「騒ぎを大きくして幕府の基盤を揺るがしてやろう」
なんて気持ちはさらさらなかったようなんです。
挙兵という手段に訴えれば、幕府も攘夷に本腰を入れてくれるだろうという、
言っちゃーなんだけど、かなり青い考えでヤラかしちゃったんですね。
ある意味ピュア。
このあたりが「二・二六事件」とよく似てるな、と思うのです。

ピュアな人の考えは、時に常人の思いもよらぬ境地に至ることがありまして。
「こうなったら京都にいる一橋慶喜に会って、我々の訴えを聞いてもらおう」
と京都に進軍する決定をします。で、使者を送るというのならわかるんですが
「全員で行くべし」となるんですね。全員ピュア。
800人ですよ。これが追討軍を避けながら山中を行軍してゆくんです。
どんな道を行ったかというと、日航ジャンボ機が墜落した御巣鷹山ってあるで
しょ。あの近くを通ってるんです。先祖伝来の鎧兜に馬を連れて、大砲まで
引っ張っていったっていうんだから、苦行以外のなにものでもありません。

ところが慶喜曰く「許さん!」
幕府の屋台骨を支える立場となっていた彼は、たとえ自らが出身の藩の藩士
でも「騒乱を起こした賊徒」以外の見方を変えなかったのですね。
加賀藩に捕えられた天狗党の、首謀者の武田耕雲斎、藤田小四郎以下400
人以上の者を処刑したんです。

「賊徒どもは、ことごとく討ち取られた」顚末です。
関東取締出役が多摩地域に出した書状は、この「天狗党挙兵」を一例にあげて
「不穏な行動は一切許さんよ!」という幕府の姿勢を示したものなんですね。

水戸藩は尊王攘夷という考えの発祥の地であり、有能な人材も抱えていたんで
すが、藩内の対立とこの天狗党の一件で「そして誰もいなくなった」状態に
なっちゃったんですね。
明治新政府の要職に水戸藩の人は一人もいません。

20130225.jpg

京雀たちは新選組=壬生浪士組を「壬生浪(みぶろ)」とか、着ている着物が
汚いことから「みぼろ」などと呼んだといいます。しかし、「壬生狼」とオオカミ
にたとえたという話はなく、「壬生狼」は後世の創作だと思われます。
でも、あえてネタにしてみました。
前回から今回までの間の2/22は「猫の日」。2/23は当ブログのマスコット、
テンちゃんの誕生日。
ってことで、こんな四コマ。

030 a

マジですよ、テンちゃん。


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#173 物価高で苦しんだ
 新撰組が「みぼろ」と呼ばれる頃、多摩では「諸色の値段以前の三倍となり・・・、金銭の流通よろしく、世上普請・造作多くして・・・」(指田日記)とアンバランスな不思議な社会情勢であったようです。独特の空気は、郷土を思う隊員にも、何かと影響した事と思い、壬生猫チャンの冷や汗顔に拍手です。
 野火止用水
#174
大河ドラマにとうとう新撰組登場ですよ!!
斉藤一が Dragon ash!
どうですか このキャスト?
先生の感想が聞きたいですなー^^p
#175 ネコさんたちによろしく
2/21のBS歴史館「徹底検証 二・二六事件~日本をどう変えたのか?~」を見て
将校らの考えが幕末の尊王攘夷(≠倒幕)運動に似ているな~と感じたので、
イッセーさんのお話に同感です。
水戸徳川家は、尊王論で武装し徳川本家に対するご意見番を自任してはいても
やはり御三家ですから、幕府を倒すなど思いも寄らないことでしょう。

テレビドラマなどでは「安政の大獄」ばかりが大きく描かれがちですが、
「戊午の密勅」を過小評価しては、井伊直弼が残酷な独裁者にしか見えません。
2/28のBS歴史館は「井伊直弼 鬼か改革者か!?」なので、
そのあたりの解説があるかもしれませんね。
#176 野火止用水さま
当時はかなりのインフレが進んでいたと言いますが、金が回るところには回っていたと
いうことでしょうか。攘夷流行の影には、このような世情もあったのでしょうね。
「指田日記」の情報、ありがとうございます。
#177 月猫さま
新撰組、出てきましたね~。
相変わらず「不気味な人斬り集団」という描かれ方をしているのが、「あ~あ」という
カンジなんですが、まぁ、これからどうなりますか。
Dragonさんについては、俳優としてのキャリアを存じ上げないので、今のところ何とも
言えません。今回のドラマは「斉藤一」ではなく、「藤田五郎」になってからが重要だと
思いますので、そこをどう演じるかですね。
「藤田」になってからの斉藤を描いたドラマって今までなかったと思うので、俳優として
は演じ甲斐がありますね。
#178 東屋さま
仰るとおりで、ドラマなどでは相変わらず井伊直弼は稀代の悪者、吉田松陰は悲劇の
改革者、日米条約は幕府の弱腰外交で描かれてますよね。
もうちょっと視点を変えられないのかな、といつも思います。
私も2/21のBS歴史館を見て、改めて挙兵した天狗党と二・二六事件を起こした
皇道派の青年将校が重なりました。幕府に逆らう気持ちなどカケラも無いのに、慶喜
から極刑を命じられた気持ちを考えると何とも・・・。

28日のBS歴史館も必見です!

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