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「青天を衝け」幕末多摩ひがしやまと流見方④

いきなりなんですが、PCが壊れてしまいました。
もうかなり長い間使っているモノなので、最近は動作が不安定でもあり、
新しいPCを発注した矢先のことでした。
ということで、大事なデータは外付けのHDDに保存した後だったので、
それは問題ないのですが、しばらくはこちらのブログもスマホかiPadで
閲覧したり書いたりになります。
使い慣れてないと...ホント不便^^;
一応、Bluetoothのキーボードを買っておいて良かったです。

さて、前回の「青天を衝け」。
安政の大地震が起きて、水戸藩の藤田東湖が亡くなってしまいました。
せっかくの渡辺いっけいの登用、もう見られなくなるのは惜しいとは思い
ますが、まぁ史実ですから仕方がない。

東湖が地震に巻き込まれたのは江戸の水戸藩邸。現在の後楽園ですね。
やや東京ドームに近い場所だと思います。
東湖さん、最初は地震の被害を免れたのですが、お母さんがまだ家の中に
残っていることを知るや再び家の中へ引き返します。そしてお母さんを
救うために柱の下敷きになって圧死してしまうんですね。

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後楽園の敷地内にある藤田東湖の顕彰碑。「護母」の文字が見えます。

今回の話では代官(藩)からのムチャな御用金取り立てに怒りまくる栄一と、
惇忠、喜作(成一郎)でした。しかし後年、同じムチャな要求をそのうちの
2人がするとは夢にも思わなかったことでしょう。

パリ万博に随行した栄一ですが、そのまま日本に残っていれば彰義隊に参加
して戊辰戦争に身を投じていた可能性がかなり高かったんじゃないでしょうか。
栄一は幕臣時代のほとんどを海外で過ごしましたが、渡航前は陸軍奉行支配
調役という役に付いていました。
この時代の栄一のエピソードとしては、京都で新選組の土方歳三と共同で捕物
を行う話が有名です。それはドラマでも扱うでしょうから、楽しみに待ちましょう。

ここで注目したいのが「陸軍奉行支配調役」という役職です。
栄一と同じく成一郎もこの役職に就き、その後奥祐筆格に出世しています。
二人とも能力が高く、慶喜からの信任も厚かったということでしょうね。

鳥羽・伏見の戦いの直後、慶応4年(1868)1月14日、幕臣の伴門五郎、本多
敏三郎、須永於菟之輔の3人が幕閣に建言書を提出します。その中身は今後の政局
についてで、徳川家を中心に全国から有能な者を身分の上下なく募り、集議所
(現在でいう所の議会)を作って、挙国一致体制を図るというものでした。
しかし、これは取り上げられませんでした。

同年2月12日、謹慎の意を示すため、義信が東叡山寛永寺に入ります。

同日、雑司ヶ谷に伴ら一橋時代からの慶喜に近い幕臣らが会合を持ちました。
会合に先立ち、伴や本多、須永らは旧幕府の撒兵方に慶喜にかけられた逆賊の嫌疑
を晴らし、命を賭して主君を護ろうという内容の檄文を送っていました。
撒兵方とはフランス式調練を受けた、幕府の陸軍歩兵隊です。

伴、本多、須永はそれぞれ幕府の陸軍調役でした。いずれも慶喜が一橋時代から
目をかけてきていた者たちです。ついでに言えば、須永於菟之輔は栄一と成一郎が
一橋家にスカウトされた時に、同じく一橋家に取り立てられた彼らの従兄弟です。

この3人が会合のまとめ役と期待していたのが、陸軍奉行支配調役から奥祐筆格と
なった成一郎でした。
皆同じような身分から慶喜に取り立てられ、その中で一番の出世頭だったのが成一郎
だったからでしょう。
もし、栄一が日本にいれば当然、伴らは栄一にもこの話を持ってきていたハズです。


「なんだー。このボタンちょっと押してみるんだな。うーん、なんだー。」



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[ 2021/03/18 ] 大河ドラマ | TB(0) | CM(0)

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