fc2ブログ
2021 09123456789101112131415161718192021222324252627282930312021 11

会津若松 阿弥陀寺と七日町

雪が吹き付ける如来堂を後にして、七日町に向かいました。
目的地は阿弥陀寺です。
JR只見線七日町駅の真ん前。
実は如来堂に向かう途中で阿弥陀寺の前を通り、ハンドルを握る友人に
「ココに後で来たいんだよね」と言うと、「あぁ、この寺目立つから前から気に
なってたんだよね」と返答があった場所なので、ちょうど良かった。

阿弥陀寺2a

阿弥陀寺は浄土宗のお寺で、創建は江戸幕府が成立した慶長8年(1603)と
いう古刹です。戊辰戦争で堂宇が燃えてしまったため、明治3年(1870)に
若松城から小天守を移築して仮本堂としました。
それが写真の左側に写っている三重の建物で「御三階」と呼ばれています。
外観は3階ですが、内部は4階になっていて、若松城内にあったときは密議の
場にも使われていたとか。また、1階の唐破風も本丸玄関を移築してきたもの
だそうです。なかなか見応えがあります。

会津戦争終結後、ようやく半年経って会津方戦死者の埋葬許可が下りたわけ
ですが、その墓所として選ばれたのが、ここ阿弥陀寺(と長命寺)だそうです。
阿弥陀寺には1281体の遺体が埋葬されました。

阿弥陀寺14・戦死墓a

寺の入口を入ってすぐ左側に、柵に囲われた一段高い場所があります。
ここが戦死者を埋葬した墓所。柵の中には3基の石碑が建っています。
向かって右側に「戦死墓」。はじめは「殉難之墓」と入れた墓碑を建てたそうですが、
新政府により撤去されてしまい、コチラの墓碑に改められました。なんか、上野の
彰義隊の墓を連想させますね。
左側にあるのは「報国尽忠碑」。明治10年(1877)西南戦争で殉死した佐川官兵衛
ら70人の旧会津藩士の霊を祀った碑です。
そして、二つの石碑の奥にあるのは「萱野長修遥拝碑」。会津藩再興のために若い
人材を残すために、会津戦争の全責任を一身に背負って切腹した、家老萱野権兵衛
を祀る碑です(お墓は天寧寺と東京の興禅寺に有り)。

そして、ここ阿弥陀寺には新選組幹部であるこの人のお墓もあります。

阿弥陀寺9・斎藤一墓a

新選組三番隊組長・斎藤一の墓です。
会津戦争当時、斎藤は「山口二郎」と名乗っていました。元々、山口が彼の本姓
と云われています。
その後、会津戦争終結時には「一瀬伝八」と名乗り、さらに斗南に移ってからは
「藤田五郎」と名乗りました。この名前を大正4年(1915)に亡くなるまで通します。
そのため、墓石には「藤田家之墓」と刻まれています。

斎藤一と永倉新八は、新選組大幹部の中でも大正時代まで生き延び、長寿を全うしま
した。二人がその後半生において違っていたのは、永倉が「浪士文久報告記事」や
「七ケ所手負場所顕ス」「新選組顛末記」などの手記を残したのに対し、斎藤は新選組
時代の日記、記録の類を残さなかったことです。
おそらく二人とも新選組の大幹部だったという過去は、自分の中ではプライドとして大事
にしていたことでしょうが、当時の世相では黒歴史と捉えられても仕方のないことだった
でしょう。
そんな時代に敢えて新選組の歴史を語った永倉と、黙して語らなかった斎藤。二人の
性格がこんな所にもよくでているなぁと、いつも感じております。
もっとも、作家の子母澤寛は斎藤の口述を記録した「夢録」という文書があると書いて
いるのですが、いまだ見つかっておりません。私はフィクションだと思っているのですが、
さて・・・?

七日町通りはタイムスリップしたかのような、レトロな建物が連なる街並みです。

七日町2a

一時衰退した街を活性化させるために、大正ノスタルジックな街並みを再現したのだ
そうで、喫茶店や土産物屋などちょっと足を止めたくなるようなストリートになっており
ます。

七日町4a
この手の自販機も、こういう街のお約束。

お昼ご飯は、コチラの店を友人が予約しておいてくれました。

田事a

めっぱ飯の名店「田事」。

田事・めっぱ飯a

こちら、めっぱ飯とこづゆのセット。
このめっぱ飯はシラスと大葉になっております。
こづゆは具沢山の汁ですね。これも郷土食。
この他、写真にはありませんが、棒ダラの佃煮、田楽などの小鉢が付いておりました。

「姐さん、こいつは、わっぱ飯とはどう違うんだね?」と藤枝梅安風に聞いてみれば、
「へぇ、同じでござりやすが、この辺りではわっぱのことをめっぱと言うんで・・・」
「ほう、そうかい。土地の言葉なんだねぇ。そうだ、こいつを取っときな。いや、いい
んだ、たいした額ぢゃねぇ、心付けだ、取っときなって」
「いえ、そんなことをされたら、旦那さんに叱られます・・・!」
「心配すんな、こちらから主人には言っとくよ・・・ところで、隣りの部屋の様子がチョイ
と気になってね・・・いやなに、ワケがありそうな侍とお女中さんじゃねェかえ?」
・・・と、池波正太郎ごっこ(後半かなりフィクション)。
まぁ、そんな会話も似合うような様子のお店でした。

ということで、今回の大内宿と会津若松廻り。
車を出してくれて、マイナー史跡廻りにも付き合ってくれた友人に感謝!
次回、雪のないときに天寧寺とか行こッ!
スポンサーサイト



[ 2020/02/24 ] 旅の思い出 | TB(0) | CM(2)

七日町

去年関東は結局雪が降らなかったので、やはり雪景色の写真は良いですね。
(作昨日降ったらしいですがウチのとこは降らなかったです。)
また「七日町」とか「十日町」とか、多分「市」が開かれたのでしょうがそういう地名は殊の他好きです。

「わっぱ飯」は知っていても「めっぱ飯」は初めて聞きました。
「会津藩再興のために若い人材を残すべく、会津戦争の全責任を一身に背負って切腹した」とは、萱野さん、こんな立派で凄い方がいたんですね。勉強になります。

子母澤寛先生の手にかかっては創作の中に実に自然に史実が混ざり、またその逆もあり、一筋縄ではいきませんが、どれを読んでも素晴らしく名文で面白いことだけは確かだと思っています。
「夢録」、ホントに存在していたら素晴らしいですね。
[ 2020/03/16 21:31 ] [ 編集 ]

甚左衛門さま

15日は神奈川にいたのですが、一時はかなり本気の雪だったもので帰りを心配しました。東大和でもけっこう降ったと聞きましたが、甚左衛門さんの周りでは降りませんでしたか?

子母澤寛の「新選組始末記」「新選組異聞」「新選組物語」はとても面白いですが、史料というよりやはり読み物ですからね。でも「夢録」かどうかは別として、なにか書いたものが残っていたら嬉しいですよね。
[ 2020/03/17 21:54 ] [ 編集 ]

コメントの投稿













管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

この記事のトラックバックURL
http://mikemiketenko.blog.fc2.com/tb.php/393-cb991852