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比翼塚 維新哀話①

久しぶりに軌道修正。「里正日誌」に戻ります。
と、その前にコチラの写真をご覧ください。

比翼塚

東大和市内に高木神社という神社がありますが、その東側、道路を挟んだ場所に
石碑が二つひっそりと並んで建っています。
写真では見づらいかもしれませんが、向かって左側の石碑には「宮嶋巌」、右側の
やや小ぶりの石碑には「宮嶋喜與」と刻んであります。お察しの通り、この石碑は
名前を刻むお二人のお墓であり、地元では「比翼塚」と呼んでおります。
今回は、この比翼塚にまつわる幕末から明治維新期の話です。

比翼塚とは、二つ並んで建てられた男女の墓石、供養碑のことをいいます。
一般的には恋人同士か夫婦の場合、しかも心中とか悲恋の結果亡くなった男女の
場合が多いようです。で、その二人を鳥の翼に喩えて比翼塚と呼ばれます。
全国に比翼塚と呼ばれる史跡はあるようですが、都内だと目黒区の目黒不動瀧泉寺
の門前にある「平井権八と遊女小紫の比翼塚」が有名ですね(下写真)。

平井権八・小紫 比翼塚

というような予備知識を入れまして、東大和市の比翼塚を見て参りましょう。
明治6年の「里正日誌」に次のような記載があります。
高木村で起こったある事件の、役所への報告書です。

変死人御訴

「宮嶋きよ自殺之件」  第11区拾番組高木村 仮神官 宮嶋岩保亡後家きよ
                                    当酉11月45才8ヶ月、

右の者の義、亡き夫岩保、本年8月に死去の後、とかく物寂しいなど申し聞き、
折々逆上いたし候儀もこれあり候につき、村内の子供両3人づつ止宿致させ、
しかるところ、本日24日午後6時頃、副戸長宮鍋庄兵衛の長女まさ13才5ヶ月
相成り、例のごとく泊番にまかり越し候ところ、常のごとく戸締りいたし午後8時
過ぎ、銘々寝所へ入り睡眠いたしおり、翌25日午前4時頃苦声これ有るにつき、
まさ目覚め、気分にても悪しき候やと存じ呼び立てそうらえども一言の答えこれ
無く、打ち驚き、隣家徳五郎へ相報せ、同人もそれぞれへ急知し一同馳せつけ
見届け候ところ、前書きよ臥せ、床に出血おびただしく気絶候あいだ、様子相
あらためそうらえば、喉元3寸ほど突き疵これ有り。側に平日同人所持の小刀
1本血に染めこれ有り。
右は全く逆上自殺いたし候儀に相見え、他に怪しき義は御座無きそうらえども、
右変死につきとりあえずこの段、御訴え申し候なり。

   明治6年11月26日   右 隣家 尾崎徳次郎
                     親類 同 金左衛門
                     副戸長 宮鍋庄兵衛
                     戸長 内野杢左衛門
第11区会所御中

「右相届け候ところ、即日、副区長小川弥次郎代兼出張り、邏卒高橋知行殿
検使相なし御ただし、請書並びに継添え受け書きとも差し出し相済み候。
右書類は別に当時美濃版にてこれ有り候」


史料によれば、仮神官を務めていた宮嶋岩保(墓石では厳)の妻、きよさんは
夫に先立たれた後から、精神不安定になりました。なにをするかわからないので、
村の子供たちを3人づつ泊まらせ注意していたところ、6月25日の明け方ついに
短刀で喉を突いて自殺してしまった・・・ということです。
添え書きを読むと、副区長や邏卒(巡査)などが出張ってきて、検使(死)を行って
います。小さな村では大事件だったのでしょう。
「逆上いたし候」と、きよさんのかなり激しい精神状態の様子が記録されています。

しかし、そんな女性の側に、監視役としてつけられたのは小中学生くらいの女の子。
しかも宮鍋家は、江戸時代は高木村の名主を務めた家ですから、名主の子供が
その役目を負わされたわけです。
ちょっと考えても「危なくね?」と思いませんか?

そして、逆上した末に自ら果てた女性がなぜ比翼塚に?

「里正日誌」に記録された、役所への報告書だけではわからない事件の真相があり
そうです。

続きは次回。
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[ 2019/11/20 ] 我が東大和市 | TB(0) | CM(0)

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