講座では番外編として、コチラの2件の出来事も取り上げました。
ひとつは、いかにも江戸時代らしい話。
ちょい、ホラーなお話で、ハロウィンの今どきにはちょうどいいんじゃない
でしょうか?
もうひとつは、安政大地震に関する記録。
これまた、再び同じような災害が起きたときの、何かの参考になるのでは
ないでしょうか。
いずれも、以前ブログでご紹介した出来事ですが再度ご紹介いたします。
番外編 大船の建造と神明社大木の呪い幕府は外国船に負けない大船を作る計画を立て、そのための木材を調達しました。
後ヶ谷村の神明社(現在の東大和消防団第二分団前)にケヤキの大木があり、幹周り
1丈4尺の神木と呼ばれていましたが、安政2年(1855)3月4日この大船建造のために
伐り出し、深川の御用商人原屋角兵衛に売ってしまいました。角兵衛の手代・粂川村
升五郎から代金25両を受け取ったところ・・・
村内関田忠右衛門は根の切屑を貰い焚物に用いし処隠宅焼失す。其の後盗賊質蔵を
切り破り財物を奪い且つ火を掛けたり。久米川村升五郎は大熱病を煩いしが神罰なるを
悟り日参して神慮を慰(なぐさ)めると云え共は終に妻を失うに至る。当時の村用掛眞野
彦四郎ほか役人一同はじめ氏子一同も大いに驚き右売却金25両をもって25座の神楽を
奏して神に詫びしがかなわず、疫病流行し村内交々と煩い5ヶ年目に漸く退散す。あまりの
不思議の恐ろしさに境内の落葉下草枯枝など堆(うずた)かくなるも更にとる人なし。(杉本村用日誌)
もう少し詳しく事情を説明しましょう。
この神明社の神木と云われたケヤキの木。実は、文化年間(1804~1817)にも一度伐られ
そうになったことがありました。
神明社の別当寺である円乗院の本堂を建替えるというので、このケヤキの木なら五寸角の
柱が36本も取れるね、となり、檀家一同が協議をして建材にすることにしたんだそうです。
住職の宥詳法印さんが一心に読経をして、神木の霊を慰めます。
それでも村人は心配だったのでしょう。吉と凶を書いた2本のおみくじを神前に供えて、無心
無垢の子供にそのおみくじを引かせました。
ところが
ドーーーン。
引いたおみくじは見事に凶。
この結果に祟りを恐れた村人は、このときは伐採を中止にしていたのです。
ところが、今回は幕府が造る大船のため。村人は文化年間のときの御神託が気になって、
伐採に反対したのですが、建材を手に入れたい御用商人が江川代官所に手を回して、伐採
するように仕向けてしまったということなのです。
木材売買に関わった人が火付盗賊にあったり、大病を患ったり、村内に疫病が5年も続い
たりと、これが本当にケヤキの神木の祟りだとしたら恐ろしいですねぇ。
冒頭にも書いたように、神明社はもうなくなっていて、石碑が残るだけとなっています。
100mほど離れた場所にある狭山神社に合祀されているのですが、境内にある灯籠は
神明社にあったものを移してきたものです。
機会がある方は、ぜひ見に行ってみてください。
番外編 安政大地震安政2年10月2日、江戸直下大地震が起きました。倒壊14000戸、7000人以上の
死者を出した安政の大地震です。このとき、蔵敷村の名主・内野杢左衛門は浅草に
出掛けていた最中で、貴重な体験記を残しています。
●
「何度となくゆり返し振動ミリミリ、建家の潰れる音、からから瓦の落ちる音あたかも
大山崩れるかとあやしまれ・・・・・浅草通り外神田あたり、小川町丸の内下谷あたり、
本所深川そのほか所々に火事始まり火の手焔々と燃え上りさながら昼夜の如く・・・」※火事は四つ時(22時)におきた
●
「最寄り廻り見候所無事の建物これ無く、いずれも大小破損潰れもこれ有り・・・」●
「鎌倉河岸へ差掛り・・・青砂泥は喰出し、横嶋に見え油断いたし候わば足を踏込の
気遣い実に驚愕の思いをなし、飯田町、九段坂も同様地裂け番町通りは潰家少し」●
「四ツ谷通りは下町の割りより潰れ家少なし」※食べ物を求めたがどこにもなく、中野村で前夜の残り飯を無心してようやく3日の
朝食にありつく
●
「3日夕刻帰宅、家内のものあるいは村内より来り候ところ、江戸近辺より何分か
軽き方のよし」下町など江戸東部は壊滅的な被害が出た一方、新宿より西部では比較的被害は軽かった様子
がわかります。「青砂泥は喰出し」など液状化を指しているのでしょう。
それにしても、火災や建物の倒壊に巻き込まれず、よく1日で帰ってこられたものです。
再録ばかりだと、手を抜いていると思われるので、今回の漫画は
描き下ろしです。
壬生の屯所をお寺さん(西本願寺)に移したのって、案外こんな
理由だったりして。
「なんだー。このボタンちょっと押してみるんだな。うーん、なんだー。」


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これは大変面白い話ですね。オカルトが文書史料にも残っているとは!
実際の処、今の人があまりオカルトを信じないのは
機器(携帯・スマホ等)の進歩によるのではないかと思います。
どこもかしこも明るし、一人ではいられないのだもの。
近世の古民家なんかを覗くと、どの宅も静寂と暗さに満ちていて、「やっぱりこういう生活圏で生きてると霊とか、神様とか信じるよな」と思わされますね。
そういえば、子どもの頃、
夏には必ず「あなたの知らない世界」とかやってました。
同感ですね!
水木しげる先生も「今の世の中は夜も明るすぎて、妖怪お化けの類が出てこられない」と何かの本に書いてました。
暗闇や静寂が人の神経を研ぎ澄まし、そこに人は畏怖を感じる。それが妖怪やお化けの正体なのかも。
それにしても、この手の史料は面白いですよね。
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