江川太郎左衛門史跡を中心にした今回の伊豆旅行でしたが、ココからは江川代官以外の
史跡もご案内です。
こんなトコロにも行って参りました!
我々がお世話になった江戸検1級同期のOさんの別荘は、東伊豆の富戸にあるの
ですが、その東伊豆の海岸を散策していますとこんなモノがゴロゴロしております。
高さ180cm、幅150cmほどのデカイ石。
そしていかにも人の手による小さな四角い穴が一列にあいております。
これは江戸城を作るときの
石垣石、それが使われずに海岸に残されたものです。
江戸城は家康が各大名に命じて作らせました。石垣はその大名たちが伊豆の山中から
切り出して、船で江戸湾まで運んだといいます。
こちらが東伊豆山中の
石丁場。
けっこう勾配のキツイ斜面に大きい石が地面から露出しております。
大きい石があると、その石に楔(くさび)を打ち込んで1列に矢穴という穴を作ります。
その矢穴にキチキチの大きさの木の杭をはめて水をかけ、一晩置いておきます。
すると水分で杭が膨張してバキッと石が割れる・・・ということだそうです。
ただ、とあるテレビ番組が再現したところでは、楔をそのまま打ち込んで石を割る方法が
とられていましたから、そういうやり方もあったのでしょうね。
で、いい大きさに割った石を海岸線まで運んでいったということです。
ただね、写真では伝わりにくいかもしれませんが、この場所はかなり足場が悪いんですよ。
よくそんな力仕事ができたなぁと思うと共に、かなりの事故があったに違いないことも確信
いたしました。
1枚目の海岸に残された石は、その場で割ろうとしてやめちゃったモノでしょうか?
東伊豆の町中にはこんな石も残されています。
これは
畳石。
石の側面に「御進上 松平土佐守 十内」と刻まれています。
土佐藩主山内忠義の石丁場は稲取にあったそうで、土佐藩は2240個の築城石を納めた
のだそうです。ただ、その後、もしかしたら幕府から石の追加発注があるかもしれない。
そうなったときのために少し多めに切り出しておいて、いつでも運び出せるようにしておいた
石。それがこの石なのだとか。
こんな石が町中に10個あるそうですが、この畳石はその中の代表格だそうです。
コチラは山中の道路脇にありました。
ぼなき石。
ぼなきってのは、土地の言葉でぼやきってことだそうです。
プロ野球風にいうと「ノムさん石」ですね。
「途中まで運ばれたのに、ここに残されるんかい。どうせぇっちゅうんじゃ、ホンマに・・・」
切り出されたものの、この場所に放っておかれたので石がぼやいてるってことのようです。
「ワシは月見草やわ・・・・」ぼやいてるとか、いないとか。
でも、もしかしたら、畳石のように予備として置かれたものかもしれないですね。
ちなみに、このぼなき石にはこんな刻印がありました。
どちらの家中の刻印でしょうか?カタカナの「ナ」を二つ合わせたようなデザインです。
お分かりの方、教えてくださいませ。
ところで、東伊豆のありがたくない観光名所といえば・・・
この吊り橋・・・!
「嫌だッッ」っていうのに、みんな渡るもんだからさぁー。
「だって車はこの先に駐車してるし」とか言われちゃうしさぁー。
仕方なく渡りましたよ・・・。
怖えー、怖えー!
昔、学生時代のサークル仲間とこの吊り橋に来て、あのときもさんざん高所恐怖症をからか
われましたが、怖いモノは怖いんだす!
吊り橋の近くにあるのが
黒船防備砲台跡。
伊東市観光課の説明板によると、外国船からの防備として幕府は江川代官に伊豆、相模、
上総、下総、安房の海辺防備と巡視を命じ、沼津藩水野家では富戸、川奈に砲台を築き、
大砲4門を据えたのだそうです。
こちらはその砲台の跡。
モルチール砲はレプリカでしょうが、いかにも海上の外国戦艦までは届きそうにない佇まい
ですね~(汗;)
坦庵さんが反射炉の鉄でカノン胞を作りたかった気持ちがわかります。
「なんだー。このボタンちょっと押してみるんだな。うーん、なんだー。」
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石や岩っていいですよね。大岩がごろごろ転がってるだけでもロマンを感じます。そこに何か刻まれてると、なお良い。「ナ」を二つ合せたマークは何を意味してるのでしょうか?気になります。
神社などの境内にしめ縄を張った大石などを見ると、頭の中でいろいろなストーリーを思い描きますよね。
ぼなき石のマークは、これを切り出した大名家の刻印だと思いますが、よくわかりません。家紋を省略したものでしょうか?
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