「農兵訓練の栞」 が見つかった鈴木家は、旧幕時代に蔵敷村の組頭をしていた家です。
名主を勤めていた内野家とともに、村内では指導者的な立場にありました。
農兵政策に関していえば、農兵取立入用のための上納金として文久3年(1863)11月に
「金五両也」、元治2年(1865)正月にも
「金五両也」を献金しています。
元治2年3月の
「村高家数人別農兵人数取調帳」を見ると、
「一 高3石3斗4升5合 家内6人暮らし 組頭重蔵倅 啓蔵 丑22才」 との表記があり、丑(元治2年)当時22歳だった組頭の息子が農兵に参加していたことが
わかります。
さらに慶応元年(1865・4月に改元)6月23日、田無村で行われた
「火入稽古」 参加者
9人の中に啓蔵さんは入っており、実弾射撃訓練を受けたものと思われます。
さらに7月には代官所の増山健次郎から、啓蔵さんは
「農兵稽古人世話掛り」5人の中の
1人に任命され、一層勉強し熟練の域に達するように期待を寄せられています。
「農兵訓練の栞」は、世話掛りを命じられた啓蔵さんが、増山氏などの教官から教えられた
ことをメモし、組合の農兵を指揮するときに使用したものと考えられます。
ところで、この冊子には名称がついておりません。「農兵訓練の栞」とは郷土博物館が便宜
上つけた名前だと思ってください。
では、実物を見ていきましょう。
栞のサイズは横17cm、縦12,5cmの横型。
ページ数は表裏の白紙を入れないで、25ページです。


巻末にはこのように目次らしき項目が書いてありますが、これが必ずしも本編の内容と
一致しておりません。
さらに本編では第四部と、それにプラスした内容の記載があります。
全体として五部、あるいは六部から構成されていると思われます。
第一部は「第一教 整頓」「第二教 隊列開閉」「第三教 技芸」の3項目に分かれます。
「第一教 整頓」では
「番唱へ
気ヲ=着ケ
右(左)三組三歩(二歩)前ヘ進メ
右(左)=凖ヘ 但シ左整頓ノ儀ハ司令官左ト告グ
直レ
司令士左(右)肩前
右(左)三伍司令士ニ凖ヘ
右(左)ヘ=凖ヘ
直レ
司令士左(右)肩故トヘ」このようなことが書いてあります。全体の整列の仕方のようです。
農兵隊は
「隊伍仕法」によって、25人で1小隊と決められました。
小隊の中に5人の懸り役人がいて、他の20人は5人1組の伍卒組に編成されます。
懸り役人は伍卒組の目附として差引役が1名。その上に組頭として2名。代官所との
連絡役として代表者の頭取が2名(1名は頭取並)でした。
但し、これはあくまでも基本パターンであり、各組合によって農兵の人数が前後する
ため、多少の変更はあったようです。
蔵敷村組合も11ヶ村で29名の農兵がいました。
上の史料を見ると
「三組」「三伍」という記述が見えます。
おそらく蔵敷村組合は3組の伍卒組で小隊(あるいは分隊)が構成されていたのでは
ないでしょうか。司令官(士)は組頭と思われます。
「第二教 隊列開閉」は
「押伍左
後列後トヘ 進メ
直レ 押伍故トヘ入
隊列閉メ=進メ」とだけ、記述があります。
「第三教 技芸」

こちらは銃の持ち方のようです。
さらにこの後に続けて
「小隊打方 小隊=准備
狙ヘ 打て
込め 打ち方止め タイコ
故トヘ タイコ
各列打方 小隊=准備
二番(一番)狙ヘ 打て 込め
打方止メ故トヘ タイコ
二列打方= 小隊=准備
打カカレ 打方止メ 故トヘ」このように銃を撃つまでの手順が書かれています。
先ず隊列を組んで「気ヲ=着ケ」から始め、隊列を組み、銃を操作する。
江川英龍の目指した西洋式軍隊の形式で、農兵の訓練が行われたことがわかりますね。


「なんだー。このボタンちょっと押してみるんだな。うーん、なんだー。」


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『燃えよ剣』の中で後半の土方歳三が、フランスの歩兵教本に没頭しながら「おもしれえ」とつぶやくシーンを思い出しました。
この時代、完全に西洋流の兵法に準拠して歩兵訓練をしていたことがわかり、たいへん興味深いです。
元治元年の「歩兵心得」の復刻本を見たことがあります。おそらく「農兵訓練の栞」は、「歩兵心得」に沿って訓練を受けた物がメモ書きをして、さらに他の物に訓練をさせるときに使ったものと思われます。
「気を付け」「右向け右」等の号令は、オランダ語の掛け声を江川英龍が和風に考えたものといいますが、それが現実に書かれているのを見ると、とても興味深いです。
以前お話を伺って以来、この史料の登場をずっと心待ちにしていました。
お忙しいにもかかわらず丁寧に解説してくださり、ありがとうございます。
拝見した感じでは、複数の軍事教本の影響を受けていそうですね。
『歩兵心得』翻刻書を出させていただいた立場として、同書とどの程度共通するのか、大変興味があります。
ゆっくりでも結構ですので、続きをよろしくお願いいたします。
歳月堂さんの「歩兵心得」はとても参考にさせてもらっています。
「農兵訓練の栞」はそこまで詳細な記述があるわけではないので、まさにメモ書きの要素が強いものと思われます。
しかし、甚左衛門さんのコメにもあるように、当時軍制改革の遅れていた諸藩が多くあった中で、徹底した洋式訓練を農民が行っていたというのは、非常に興味のあるところです。
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いつもありがとうございます。
更新が少なくてすみません(汗;)
これからも、どうぞよろしくお願いします。
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