尾張藩鷹場と農兵訓練②

元治元年(1864)12月に、鷹場を支配する尾張藩から農兵に対する質問状を受けた
江川代官所では、翌年2月には全て対策は整っているとの返答を出しました。
しかし、尾張藩からはその後の連絡が無かったようです。
代官所としては一日でも早く農兵訓練を始めなくてはならなかったので、その年の閏5月
(元治2年は4月に慶応と改元)に尾張藩へ書状を出し、教授方の長澤房五郎と鉄砲方の
三浦剛蔵を日野宿に派遣し、訓練を開始するのでした。

すると11月になって、尾張藩から江川代官所へ次のような書状が届きます。

「御支配所の農兵どもの銃隊お取立てが決まった武州多摩郡村々の内には、尾張藩の
鷹場もあるので、小銃の火入れ稽古をするについては、昨年末以来話し合いを尾張藩
江戸屋敷にて申し越されてきました。それを尾張藩主へ伝えましたところ、その鷹場に
ついては大猷院様の時代に元祖源敬院殿が出仕したときに、台徳院様の思し召しに
よって拝領された格別の由緒のある鷹場なので、火を用いることは旧来より特別厳重
に取締りを申し渡してきたことです。多く取締りの筋へ関わりを持たれることばかりで
なく、差支えのある道具もあることについては、最近の時勢によりお達しの通り以外の
ことしかないとはいえ、公儀御鷹場の内へ火を用いることは除くようにとされています。
尾張藩鷹場内においても、右の取り決めに準じていただかれたく、このことをお答えして
掛け合いいただくよう、家老たちも申しております。
 慶応元丑年11月                                     」


一言で言うと、尾張藩としては自分の鷹場内で小銃の訓練などしてもらっては困る、と
言ってきたわけです。
原文では「鷹場内放火の義」と書いてあるのですが、「火を用いる」と訳しました。
射撃訓練のことでしょう。
文中に出てくるちょっと聞きなれない言葉として、大猷院、源敬院、台徳院があります。
大猷院は3代将軍家光、源敬院は尾張藩祖徳川義直、台徳院は2代将軍秀忠のそれ
ぞれの法号です。
つまり多摩地域の鷹場は家光の時代に、藩祖義直が大御所の秀忠からいただいた
由緒ある鷹場なので、鷹場の取り決め通りに鉄砲の使用は控えてもらいたい。と、この
ように訴えてきたのです。

これに対し、江川代官所では翌日に返書を差し出しています。

「御書面の農兵は、拙者の支配地に限って銃隊取り立てを仰せ付けられました。
尾張藩御鷹場内の村々において小銃火入れの稽古をすることについては、昨年の12
月中に両者が掛け合いましたが、その後そちらからご連絡が無いので今年の閏5月中
に当方からご連絡の上、火入れ稽古をいたしました。
公儀の御場所へは火を用いないようにするとの決め事により、尾張藩御鷹場について
も右の取り決めに準じて、火は省くようにしていただきたいとの旨、お掛け合いの趣旨は
承知いたしております。
しかしながら、公儀御場所内については去年12月中、その筋に掛け合ったところ、即日
に差支えないとの挨拶がありました。
同月より火入れ稽古をするため尾張藩御場内についても、公儀御場内に準じてもよい
と心得て、前書の通り今年の閏5月中より火入れ稽古を申し付けたところです。
最近の容易ならざるご時勢であることについても、これまで通り火入れ稽古をいたします
ので、このことに及んでご挨拶させていただきます。
  慶応元丑11月            江川太郎左衛門                   」


気持ちイイほど、ズバッとした回答。
尾張藩の申し出をものの見事に拒否しています。
幕府からは支配地については勝手次第の許可が出ているのだから、それは鷹場であろ
うが関係ないよ、ということです。

これまで代官支配地でありながら鷹場でもあるということで、二重支配を受けていた
東大和地域を含む一帯でしたが、農兵政策は家光時代からの旧来の慣例を退け優先
されることが決まった一瞬でした。
時勢が時勢ですから、鷹場よりも農兵を優先させるのは現代人の目から見れば当然
と言えば当然ですが、江戸時代270年間の武家社会は慣例としきたりの社会です。
行政官と農民の活動が御三家の御威光に勝ったというのは、驚くべきことかもしれま
せん。
逆に言えば、尾張藩の面子はツブされたワケです。

戊辰戦争が起こると、尾張徳川家は御三家筆頭でありながら、さっさと将軍家を見切っ
て新政府側についてしまいます。
まぁ、尾張家は将軍継嗣で吉宗に敗れてから幕府と溝があった関係ではありますが、
このような鷹場一件も幕府との溝をさらに深めた要因となったのかもしれません。

メガ71


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#1472 江川バンザイです
 幕末の緊張の最中、藩と国防と地域安定を担当する当事者との間の認識違いに驚かせられます。
 元治元年(1864)は禁門の変、下関戦争と対内的にも対外的にも緊張関係が高まり、元治2年・慶応元年には高杉晋作、坂本龍馬などが大活躍する時代です。
 この時期に「鷹場内で銃砲の使用を控えろ」などとはなんの戯言と庶民は思ったはずです。この時の江川家の回答はすばらしく、もし発表されていたら、地元民は流石と喜び、もやもやの胸のつかえを一挙に霧散させたと思います。
 今後も、興味あるお話を紹介下さるようにお願い致します。
#1473 野火止用水さま
全く尾張藩の対応は、まるで危機感や緊張感がなく滑稽にすら感じてしまいます。
江川家のこの毅然とした回答は、おそらく柏木総蔵らの答えだと思いますが、農兵政策へのぶれない姿勢が出ていると思います。
仰るように、村人たちは頼もしく思ったことでしょうね。

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