尾張藩鷹場と農兵訓練①

幕府領の江川代官支配地にて農兵の取立てが行われることになりました。
支配地の村々では幹部候補生が選ばれ、芝新銭座の調練場で訓練が行われます。
訓練を受けた幹部候補生たちはそれぞれの村に帰り、村役人宅の庭や寺社の境内、
あるいは新たに作られた村内調練場で、村の農兵たちと訓練を行うことになります。
代官所からは手代・手附が教官として派遣されてきました。

多摩地域は行政的には代官から支配を受けていますが、しかし一方で尾張徳川家
の鷹場に指定されている地域があり、土地の利用については制限がかけられても
いました。
今まであまり注目されていないようですが、尾張藩は自分の鷹場に農兵が設置される
ことについてどう感じていたのでしょう。
そして、代官所と尾張藩の間でどのようなやりとりがあったのでしょうか?
「里正日誌」にはその辺りのやりとりが詳しく記されています。

元治元年12月、江川代官所は尾張藩に以下の書状を提出しました。

「尾張殿御城付                     江川太郎左衛門

拙者が支配している武蔵・相模・伊豆・駿河国において、農兵の取り立てを伺いま
したところ、拙者の支配地に限り銃隊を取り立てるよう致すべしと御下知があり
ました。
ところで、武州多摩郡村々のうちには御鷹場もありますが、来年の春より小銃火入
訓練をいたすつもりです。もっとも羽鳥を撃ち殺すことはいたさぬように、きつく申し
つけますので、右のお達し方々についてはお問合せください。

 元治元子年12月  」


全く同様の書状が、鷹場役人の後藤与兵衛、田口小右衛門、石田久次郎の3名に
も出されていて、彼らからは

「御書面と御問い合わせにつきましては承知いたしました。羽鳥殺生はいたさぬよう
きつくお申し付けくださる上は、御鷹方としては差支えのことはありません。」
                              (石田久次郎)


このような回答が出されています。
鷹場内の鳥を撃つことがなければ、役人としては農兵訓練をすることに差支えはない
と答えたようです。
しかし、翌元治2年(1865)2月に「尾張殿御城附」から江川代官に問い合わせの
書状が届きます。
尾張藩はどのようなことを聞いてきたのでしょうか?

「農兵どもの銃隊をお立てになったことにつき、村々の百姓どもへは特別に取締りの
心得を話すことがいろいろあるが、右のことを承知させたのか。

農兵どもの角打ち(射撃)並びに調練場等を、いずれの村方に設置するのか。右の
度ごとに御支配所からの者の出張もあるのか。そうであれば、出張の者の御役名
と姓名を知らせていただきたい。

農兵どもが稽古場へやって来る途中、筒袋入れに木札などの目印をつけて鉄砲を
持参するのか。又は貸袋に入れないでそのまま持参するのか、これまた承知してお
きたいことである。
ただし、農兵どもが所持する鉄砲の目印などがついているのであれば、鷹場内の
取締りのために合わせ札を受け取りたい。また、鉄砲を銘々が居住する村へ持ち帰り、
筒払いなどをすることはことはないのか。農兵どもはどこの村の人別が出てくるのか。
村名、名前どもを毎回承知しておきたい。」


さすがに鷹場役人とは違うようで、城代ともなればいろいろと細かい所を聞いてきます。
この質問に対しての江川家の回答が、次の通りです。

「御書面の最初の条項の農兵取締りについてです。先般にお問合せました書面にも
ある通り、羽鳥殺生はいたさぬようきつく申し付け、稽古中は取締りのために手附・
手代を差し出しおくつもりです。

二ヶ条目の角打ち銃隊調練場の場所、出張する鉄砲方ともども手附・手代らの姓名は
別紙に上げます。

(別紙)
武州多摩郡
田無村 小川新田 箱根ヶ崎村 青梅村 氷川村 檜原村 中清戸村 蔵敷村
砂川村 福生村 拝嶋村 中藤村 三ツ木村 山田村 柴崎村 上谷保村 
本町田村 日野宿 八王子宿 駒木野・小野宿
相州高座郡
小山村 藤澤宿 瀬谷野新田 
同津久井県
日連村 中野村
同大往郡
寺山村

教授方
山田清次郎 中村小源二 田那村淳 長澤房五郎 齊藤四郎之助 森田留蔵
岩嶋廉平 中村惣次郎 長澤三治
御鉄炮世話方
松岡正平 柏木総蔵 上村井善平 根本慎蔵 雨宮新平 手代・増山健次郎
手代・三浦剛蔵

三ヶ条目の農兵は特別に印鑑などはありませんが、御貸し渡しの銃なので、いずれの
胴乱にも御紋が付いているので紛れることはありません。
もっとも銃を御貸し渡しにならない間は、そのままで稽古場を行き帰りします。
農兵どもが銃を家に持ち帰るといっても、自宅にて筒払いなどをするのではありません。
農兵人別については、拙者の支配所が武相豆駿州でありますが、未だ武相州は取り
立てが始まりません。ご挨拶の教授方並びに世話方の手附・手代らの出張人を選んだ
上申し付けますので、未だその者らの姓名は決まっておりませんが、差掛りこのことに
ついてはお差支えの有無もあり、早々にご挨拶できますよう存じております。
この段、下げ札をもってお答えいたしました。
                                    江川太郎左衛門
 丑2月                                                」


最初の質問では、農兵が銃で鳥を撃たないことなどの取締りの徹底を要求しています。
次いで調練をする村、代官所から出張してくる役人について聞いています。
やはり注目するのは「三ヶ条目」でしょうか。
尾張藩としても農兵の銃や、誰が農兵になるのかを管理しておきたいという考えが見ら
れますし、農兵たちがそれぞれの家に銃を持ち帰ることにも警戒感を表しているようです。
やはり、農民が銃を持つことへの心配があったのでしょうね。

メガ70

ワタクシの卒業した高校の正門前の道路は「鷹の道」と呼ばれています。
尾張藩の鷹狩りに使う道だったのでしょうね。
高校時代はそんなコトも全く知らずに、通っていましたが。


「なんだー。このボタンちょっと押してみるんだな。うーん、なんだー。」



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