新選組漫画 166 鮎のシーズン

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先日、江戸文化歴史検定(略して江戸検)1級の同期会がありました。
ちょうどシーズンだというので、鮎料理をいただいてきました。
といっても専門店ではなく、今回は会長格のMさんがよく通っていらっしゃるという
和食のお店で、季節料理ということで鮎を出していただきました。

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西新橋のお店「茶寮つくし」。
地下鉄の虎の門駅から歩いて2~3分のビルの2階です。

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お造りや煮物なども出まして、鮎は焼き鮎に、写真の揚げ物と鮎めしでした。
この鮎めしが絶品で、おかわりをいただきました。

この日の鮎は長良川で獲れたものだそうです。
長良川の鮎漁といえば鵜飼いが有名ですね。この日の鮎もそうなのかな?
網かな?簗かな?

多摩川も戦前までは鮎の漁場として、とてもメジャーな川だったといいます。
現在でも「釣って釣れないことはない」程度には、鮎はいるみたいです。
ワタクシ、釣りは全くやりませんので、詳しいことは知りませんが。

江戸時代は、多摩川の中でも中流の日野辺りで獲れる鮎が一番美味しいと
いうことで、日野の鮎は名物でした。
「江戸名所図会」でも日野は鮎漁の様子が描かれています。
日野時代の歳さんや源さんも、きっとたくさん食べたことでしょうね。

日野でも鵜飼い漁が行われていたそうで、将軍も上覧されたとのこと。
しかし、日野の鵜飼い漁は長良川のように夜に篝火を焚いて船に乗った鵜匠が
鵜を操るのではなく、昼間に鵜匠も川の中に入って鵜を操る「徒歩つかい」でした。
長良川ほどショーアップされてなかったんですね。

安政4年(1857)4月には多摩川の羽村堰を視察にきた老中・阿部正弘の
一行が昼食に鮎を食べています。
「里正日誌」にはこの時の事として「鮎猟有之候而御中飯御立」と書いてあります。
鮎漁を見て楽しんだ後にその鮎を食べたような書き方ですね。
羽村で阿部ちゃんが見た「鮎猟」も、鵜飼い漁だったのでしょうか?


「なんだー。このボタンちょっと押してみるんだな。うーん、なんだー。」



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#1466 はけの粂蔵
立川の『公私日記』によく登場する人物として「はけ(柴崎)の粂蔵」親分がいます。非常にフットワークの軽い人で、博奕を打ったり、相撲興行を開いて出役に怒られたり、無宿人を捕縛したり、自分も捕まったりと目立つ活躍をしています。その正体は玉川鵜飼の元締めで、表向きは漁師として生計を立てていますが、天保15年からは日野宿の道案内にも就任しておるのです。
立川の普済寺に墓がありますが、早世した倅・捨蔵の墓石には「近藤周平門人」とありますので、粂蔵親分の倅は近藤・土方の兄弟弟子ということになります。多分土方さんとこの粂蔵親分とは面識もあったでしょう。漫画みたいな使われ方は無いかもしれませんが、謎の多い土方さんの半生の中には、粂蔵親分のところで鵜飼業を試したことも一二度はあったかもしれません。(粂蔵、姓は中島)
#1467 甚左衛門さま
「公私日記」は多摩郷土史フェアで見かけるのですが、記述が安政の頃までなので、読んでいませんでした。しかし、甚左衛門さんのお話を聞くと、やはり興味のあるエピソードがありそうですね~。いずれ手にとってみることにします。
鵜匠が道案内をしていたというのは、初めて知りました。さらに、その子が天然理心流の門人だったというのも、なかなか興味を惹かれる話です。
やはり、博徒や親分といった人は多摩の歴史を調べる上で、大きなポイントになりそうですね。貴重なお話をありがとうございました。

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