新選組漫画 164 仙台市幕末紀行②

清浄光院を出て、次に向かうのは同じ青葉区内のお寺。
しかし、仙台市はさすが城下町というか、お寺が集中しているエリアは一方通行
や細い路地が多く、ナビ通りに進んでも迷うことしばしばです。

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で、やっと着きました~。
龍雲院です。
コチラのお寺にも幕末仙台藩の偉人が眠っておられるのですが・・・その前に、ここには
江戸時代のかなり有名な方のお墓もありますので、最初にそちらをご紹介します。

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ひときわ立派なお堂の中に祀られている林子平のお墓です。
あ、それって笑点の新しいレギュラーになった人?
・・・って違います。そりゃ三平。
この人、林家一門じゃありませんから。

林子平は江戸時代後期の学者・・・ていうか国防評論家ってカンジですかね、
今風に言うと。
お姉ちゃんが仙台藩主の側室になった縁で、仙台藩の禄をもらう身となったの
ですが、よせばいいのに藩の経済改革とか藩士教育とかやたらに首を突っ込む
もんだから「お前、新参の分際でいいかげんにせーよ!」と上級藩士から怒られて
しまいます。
すると子平、「じゃ、いーよ。自由にさせてもらいます!」と禄を離れ、身分を兄の
厄介に落として、自分さがしの旅に出ちゃいます。
全国を歩き廻り、様々な人に会い見聞を広めた子平ですが、松前まで行くと、すぐ
そこまでロシア船が来ていることに驚愕し警戒感を強めることに。

江戸に帰った子平は早速「海国兵談」を執筆
「およそ日本橋から欧羅巴まで、その間ただ一つの水路あるのみ」

と書いて、日本は周りが全て海で囲まれているんだから、海防にしっかり取り組まなきゃ
ダメだお!と警告するんですね。

ところが、当時は国の軍事に関わることを発言できるのは幕府内の者だけ。
本は発禁となり、子平は仙台藩に強制連行となってしまいます。
しかし、「海国兵談」」はその後も写本などが読まれて、後の幕末の海防政策へと発展
していくのですから、幕末に縁のある人・・・とも言えるでしょう。

林子平は高山彦九郎、蒲生君平と共に寛政の三奇人と云われています。
奇人とは、現代でいうところの天才というニュアンスです。

では、ワタクシのメイン目的の方のお墓参りといきましょう。

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細谷十太夫のお墓です。

彼は仙台藩では軽い身分の藩士でしたが、行商人などに変装して各地を廻り情報を
集める仕事に才能を発揮します。そして、その過程において、地回りの親分衆や博徒
といった無頼の徒とも知り合いになり、彼らを味方につけるのです。こういった人をつかう
才能に秀でていたのでしょうね。

さて、戊辰戦争が始まりますが、仙台藩は白河の戦いで敗走し、新政府軍から「大砲
1発ドーンと撃つと、5里逃げる。ドンゴリ、ドンゴリ~!」と馬鹿にされる始末。

これに怒った十太夫は、仲間となった博徒やら農民やらと共に衝撃隊という
戦闘部隊を組織し、新政府軍に戦いを挑むのです。
衝撃隊は全員黒装束を身にまとい、カラスを描いた旗を振りかざして夜襲を敢行。
武器は刀や鎗だけながら、勇猛果敢に戦い、連戦連勝。
その神出鬼没ぶりから「鴉組」と呼ばれ、新政府軍を恐怖のズンドコに落とし入れた
のです。
隊長の細谷に至っては、実際に生きた1羽のカラスを従えて指揮を執っていたといいます。
まるで、男塾の三号生、男爵ディーノそのものではないですか。

しかし、仙台藩が恭順すると、十太夫もこれに従い衝撃隊も解散。
この辺りが額兵隊と違うんですが、十太夫は裏から手を回し、星恂太郎ら額兵隊の隊士
らを榎本艦隊に乗船させる手引きをしたと云われています。

さて、上の写真からもわかる通り、十太夫のお墓は無縫塔です。
彼は晩年出家して、ここ龍雲院の住職になっていたのです。
カラス隊長男爵ディーノ(まぁ、違うんですが)が、なぜ僧侶に?と不思議に思うのですが、
彼はとても林子平を尊敬していたようで、当時荒れ果てていた龍雲院を再興したいと
いう思いが強かったからだと云われています。

星恂太郎や細谷十太夫に関係する史跡がもう1ヶ所あります。

そこへは翌日、鉄道で向かいました。
といっても、仙台駅から仙石線で一つ目の駅、榴ヶ岡駅で下車。
徒歩で3~4分ほどにある榴ヶ岡天満宮です。

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この場所は額兵隊が訓練を行ったとの伝承もあるようです。
そのためでしょうか、ここには額兵隊や星恂太郎の顕彰碑が建っているのです。

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星恂太郎碑です。
ちょっと木陰になって見えづらくなり、申し訳ありません。
この顕彰碑は明治30年に、額兵隊の幹部だった人たちや、カラス隊長細谷十太夫
らによって建てられました。

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その星恂太郎碑と向かい合わせで建っているのがコチラ。
額兵隊・見国隊碑です。
この碑は明治31年に、両隊の幹部だった元隊士が建てたとのこと。

見国隊も、戊辰戦争で活躍した戦闘部隊の一つです。

で、この額兵隊・見国隊碑のとなりにあるのが、見国隊の隊長を務めて五稜郭の戦いで
戦死した二関源治を顕彰する石碑です。

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二関源治顕彰碑

二関は額兵隊の隊士でしたが、新政府は仙台藩が恭順しても領地を半減するなど
の処分を下したため不満を持ちました。
同じような怒りを持つ藩士の二、三男らを取りまとめ、石巻で結成されたのが
見国隊です。蝦夷に渡って、箱館戦争を戦いました。
この二関の碑は、星恂太郎碑と同じときに建てられたようです。

幕末には〇〇隊、〇〇組といった、いわゆる「幕末諸隊」というものが各地でたくさん
発生しています。
一般によく知られるのが新選組や白虎隊、奇兵隊、海援隊といった部隊ですが、
それ以外にも各地の諸部隊を一つ一つ見ていくのも、なかなか興味深いものです。


20160623.jpg


・・・ちなみに。
ご紹介した榴ヶ岡天満宮の最寄り駅、仙石線の榴ヶ岡駅ですが、プロ野球楽天
ゴールデンイーグルスの本拠地・koboスタ宮城の最寄り駅でもあります。
ゲームのある日はけっこう混雑するようですので、行かれる方はお気を付けください!

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「なんだー。このボタンちょっと押してみるんだな。うーん、なんだー。」



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コメント一覧

#1451 鴉仙和尚
なんか細谷十太夫が一気にネタキャラ臭くなっちゃいましたね(笑)
彼は庶民に慕われた人で、新政府の追及をかわして逃亡生活を長く続けられたのも、博徒侠客を含む民衆の支持が高かったからでしょう。
大佛次郎、子母澤寛、早乙女貢などが彼を主人公に小説を書いてますね。
二関源治のお墓は、仙台市からはちょっと離れた黒川郡の糟川寺にあります。

前回記事の件、『官武通紀』の著者が玉蟲左太夫、と言えばわかりやすいのでしょうか。
『玉虫左太夫略伝』によると、伊達家世臣家譜に「玉虫氏は平氏、七左衛門宜茂を祖とす」とあるそうです。宜茂は孫兵衛高茂の二男だそうで、生家を継がず、別に玉蟲家を立てたという意味なのかも。
七左衛門宜茂→幸茂→暢茂と代を重ね、暢茂の子は尚茂と武茂の兄弟。
兄・尚茂がまた別に家を立て、その子が伸茂。伸茂の五男が勇八こと左太夫誼茂です。
というわけで、武田氏や上杉氏との関係はこれといって窺えませんでした。
#1453 No title
お知り合いの方のお宅のお墓があるのを聞いてましたので
驚いて、、そして感激。
六無齋のお話もそれで知ったんですよ。
ありがとうございました。
#1454 甚左衛門さま
当ブログは「猫でもわかる幕末史」をテーマにしていますので、東屋さんレベルの方には物足りないかもしれませんが、玉虫左太夫で今ひとつ書き足すことがあるとするならば、ポーハタン号乗船中に「日本で初めてビールを飲んだ感想文を書いた人」ということでしょうかね。
現在左太夫は、仙台に住んでいる人にもあまり知られていないようですが、これからの季節、テレビCMで「夏本番!爽快生ビール!」とかの映像が流れたら、ちょっとでも左太夫さんを連想していただきたいと思います。
どんな些細なことでもメモにとる生真面目さ。肖像にもその性格が表われているような気がいたします。
#1455 hippoponさま
六無斎こと、林子平のご感想をいただきありがとうございます。
ワタクシは子平の「海国兵談」にはちょっとした思い入れがあるのです。
江戸検1級の試験を受けたときに、ブログ記事でご紹介した一文が出題されました。日本橋の部分が空欄になっていまして、そこを「漢字3文字で答えよ」という質問でした。
ワタクシ、「隅田川」と書いてしまいまして不正解。
まぁ、1級には合格できたのですが、それで試験後に子平についてちょっと勉強したという次第です。

今回のお墓参りで、そのときのことを思い出しました。
#1462 カラス組かっこよす
手許にある資料は昭和55年の『歴史読本』新年号ですが、期待を裏切らず「幕末侠客特集」に細谷十太夫率いるカラス組のことが出ています。しかも執筆者が岡本喜八ときている。
鴉組の活躍といい、十太夫晩年のエピソードといい、実にかっこういい人ですね。(正直ブログで取り上げられるまでほとんど知りませんでした。)
十太夫がスカウトした博奕打ちの名として「掛田ノ善兵衛」「桑折ノ和三郎」「櫻井ノ千吉」「佐藤ノ喜平」の四名の名が上がっていますが、もっと詳しい資料がほしいものです。彼らと関係があるかはわかりませんが、仙台には「丸谷ノ忠吉」という四隣に響き渡った大侠客がいたそうです。
#1463 甚左衛門さま
細谷十太夫という人は、本当に実在したのかと思うほどカッコイイし、キャラが立っている人ですよね。
なぜ今まで映像化されていないのかと、首をかしげるばかりです(ワタクシが知らないだけ?)
甚左衛門さんが挙げていただいた4人の博徒を四天王にすれば、宮下あきら先生が漫画にしてくれそうに思います。
「魁!鴉組!!」

まぁ、それはともかくとして、周辺の博徒たちが新政府軍に抵抗して戦ったということは、多摩に住むワタクシや甲州を研究されている甚左衛門さんにとっても、非常に興味のあることですね。

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