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新選組漫画 163 仙台市幕末紀行①

先週末に宮城県仙台市に行ってまいりました。

学生時代に共に演劇に明け暮れた友人が、今仙台と秋田に住んでいまして、
ちょっとプチ同窓会でもやりましょうか、ということで集まることに。

東北新幹線にはかなり久しぶりに乗りましたが、大宮駅から「はやぶさ」に乗って
1時間ちょいで仙台駅に到着。
昼前には仙台駅で迎えに来ていた友人らと合流です。

昼食後にワタクシのリクエストとして「仙台市幕末紀行」に出かけます。
日本史に、幕末に特に興味があるというワケでもない友人たちも付き合って
くれました。Cくん、車を出してくれてありがとう!

先ず向かったのは、若林区にある保春院です。

IMG_0002a.jpg

ハイ、こちらが保春院の山門でございます。
・・・ウソです。
駐車場がお寺の裏側にありまして、そこからの入り口がココなんです。
ちなみに保春院の本堂は、ただ今改装真っ最中。工事のため覆いがかかっていま
したので写真には撮れませんでした。

「保春院」は伊達政宗の母親、義姫のことですね。
ここは政宗が母親が亡くなった後に、その供養のために建てたお寺です。といっても、
義姫の墓があるわけではありません。
こちらに来たのは、この方のお墓参りをするためです。

IMG_0003b.jpg

IMG_0004b.jpg

仙台藩士玉蟲左太夫です。
名前だけ見ると、丸尾末広の漫画の登場人物みたいな名前ですね。「お前の目玉を
舐めさせておくれ・・・!」とか言いそうですが、全く違います。

彼は江戸の湯島聖堂の塾頭になるほどの秀才で、万延元年(1860)の日米修好通商
条約の批准書交換使節の一員として、アメリカに渡っています。
聞くところによると、なんでもかんでもメモしまくり、正確に記録に取る特技があったそうで、
そんな真面目な性格が外交随員として重宝されたんでしょうね。
戊辰戦争がはじまると、軍務局副頭取となって奥羽越列藩同盟成立のため
に会津に走るなど活躍します。
ところが、肝心の仙台藩が新政府軍に恭順してしまったために捕まり、最後は獄中で
切腹を申し付けられるという非業の最期を遂げます。

写真の左側にあるちょっと黒っぽい墓石が左太夫本人のお墓です。
左太夫の友人が建てたようですが「玉虫拙斎之墓」と刻んであります。

続いて向かったのは青葉区の清浄光院

IMG_0012a.jpg

こちらのお寺に眠るのは、仙台藩が誇る最強洋式銃隊額兵隊の隊長だった
星恂太郎です。

IMG_0009a.jpg

山門を潜ってすぐ左に顕彰碑があります。

IMG_0010b.jpg

お墓は本堂の脇にあります。
「星家之墓」とあって、側面に代々祀られた人の法名・没年・俗名が刻まれています。
恂太郎の名もあるのですが、薄くなっていてやっと判読できるかんじです。

恂太郎は仙台東照宮の神官の家に生まれます。そのせいかゴリゴリの攘夷で、仙台藩の
開国派を斬ろうとまでしますが、逆に説得され、その後は積極的に海外の知識を取り入れ
ます。そんなところは坂本龍馬に似てますね。
横浜で西洋戦術を学び、戊辰戦争がはじまると仙台に呼び戻され、洋式銃隊部隊額兵隊
の隊長に就任しました。
しかし、仙台藩が恭順に傾くと「そんなんやってられっかーッ」と、隊を率いて脱走。
旧幕府軍に合流し、蝦夷に上陸。土方歳三の指揮下に入って活躍します。

額兵隊はその実力もさることながら、別の部分で佐幕ファンから人気です。
その理由は西洋式の隊服。
通常は真っ赤な表側、戦闘時には裏返して黒色という、イギリス式リバーシブル制服を
採用していたからです。
この額兵隊のコスプレは、今でもイベント等で大人気。
まさしく、幕末のオシャレ番長です。by ドーーーーーン小西!

20160617.jpg


いつも史跡レポは長くなるので、今回は小分けにしてアップします。

仙台のマイナー史跡廻りに付き合ってくれたワタクシの友人たちのブログを
紹介します。
人生の役にはまったく立ちませんが、面白いので、ぜひどうぞ!

chihiroイグレシアスのぼんくら日記

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「なんだー。このボタンちょっと押してみるんだな。うーん、なんだー。」



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[ 2016/06/17 ] 史跡へゴー | TB(0) | CM(6)

仙台行きお疲れ様です

仙台はかなり前に行ったきりなので、懐かしく拝見しました。

当時、サムライの制服というと「揃いの羽織」だったのでしょう。
西洋の軍服が導入されても、袂も袴のヒダもなく、まるで人足の恰好みたいに見えて、多くの人は「サムライらしくない、カッコよくない」と感じたようですね。
黒い戎服の上に、あちこちの農兵隊が揃いの羽織を着たり、戊辰戦争で諸隊の隊長が陣羽織を着たりしたのも、その辺りが理由かと思います。
それに比べると、ホシジュンの額兵隊はかなり先進的ですね。
[ 2016/06/21 19:40 ] [ 編集 ]

玉虫

甲州武田軍の中に城景茂(城伊庵とも)という足軽武将がいまして、この人は横田康景と並んで、中期武田軍「第一級の勇士」と讃えられたといいます。この城景茂は元々上杉家の家来で、旧名「玉虫景茂」と言い、弟はそのまま玉虫姓を継いだそうです。(兄弟共々武田に奔りました。)
いずれにせよ武田信玄、上杉謙信という二大巨頭に仕え、存分に武名を上げた人物の旧姓として「玉虫」という人のことは記憶していたんですが、幕末にも逸材を生んでいたとは。ちなみに佐太夫さんの先祖は武田か上杉なんでしょうか。それとも土着の玉虫か。
[ 2016/06/21 23:07 ] [ 編集 ]

東屋梢風さま

額兵隊の赤い隊服は、一見派手なように見えますが、考えてみると
戦国時代には赤備えなどもあったのですから、決して派手という
感覚はなかったのでしょうね。
それよりも、リバーシブルという合理性がなんとも素敵です。
ホシジュンは神官の家に生まれながら、すぐに開国強兵策を受け
入れたり、写真を見てもすでに断髪をしていたり、かなり柔軟
で合理的な考えの持ち主だったことが伺えますね。
[ 2016/06/24 10:12 ] [ 編集 ]

甚左衛門さま

さすが甚左衛門さん、甲州武士にお詳しい!

玉虫(玉蟲)姓についてちょっと調べてみたのですが、ルーツは
越後国古志郡玉虫を出自とする、桓武平家の城氏。あるいは清和
源氏の多田氏の系統があるようです。
左太夫のご先祖が武田、あるいは上杉の家臣だったかどうかは
わかりませんでした。

ワタクシが知っている玉虫さんといえば、あとは横溝正史の
「悪魔が来りて笛を吹く」に出てくる玉虫伯爵くらいです(笑)
[ 2016/06/24 10:37 ] [ 編集 ]

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[ 2016/11/05 00:05 ] [ 編集 ]

玉蟲さま

ご子孫の方からコメントをいただけるとは、感激です。
いろいろと失礼なことがありましたら、お許しください。

今回の仙台行きでは、左太夫さんのお墓参りをぜひにと思って
おりました。戊辰戦争史の中で、もっと認知度が高くなって欲しい
と願う人物のお一人です。

今後ともよろしくお付き合いくださいませ。
[ 2016/11/07 23:28 ] [ 編集 ]

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