高校時代からの友人が「今日は息子の運動会」とブログで書いていました。
ワタクシの高校生の甥も、先日が運動会でした。
ワタクシが中高生の頃は運動会といえば秋に行うもの、と決まっていましたが、
今はこの時期に行う学校も多いみたいですね。秋は展覧会や舞台発表会など
のイベントが多いので学習に遅れが出てしまうから、なんだそうですが、我々の
時代は土曜日も学校に行ってましたからねぇ。
6月の運動会は気温も高い日が多いので、やる方も応援する方も大変ですね。
熱中症などには、十分に気を付けてください。
近藤勇が佐藤彦五郎に贈った短銃は、文久元年に渡されたと云います。
まだ勇らが京都に行く前ですが、当時の幕府領では治安の悪化が懸念されて
いた時だったので、勇としては兄弟子を気遣ってのことだったのでしょう。
銃が発見されたのは平成17年といいますから、つい最近のことです。
漫画ではつい「拳銃」と書いてしまいましたが、形は先込め式の古いタイプの
もので、短銃とか短筒と言った方がピッタリします。
しかし、天然理心流の道場主であり、剣一本で戦うイメージのある近藤勇が、
実は護身用として短銃を持っていたというのは、彼の実像を探る上で大きい
遺品だと思います。
資料館に行かれたことのある方ならよくご存知のエピソードですが、この銃の
鑑定をしたのが漫画家の松本零士先生。
資料館では、この拳銃が発見された時のことや、松本先生が「新選組大好き」
だというお話を、佐藤館長が楽しく語ってくれます。

「なんだー。このボタンちょっと押してみるんだな。うーん、なんだー。」


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公開直後、佐藤彦五郎新選組資料館へ見学に伺ったら、館長様からどういうものと思うかとご下問があり、ドギマギしました(笑)
和製雷管式短銃の一種で、たしか銃身の左側に腰差しがついているベルトピストルでしたね。
例えば暴漢に襲われた時、相手を倒せるかどうかはともかくとして、怯ませる効果はかなり大きいと思います。
この話題で松本零士とくれば、『陽炎の紋章』でしょう。
土方歳三とスネルと高杉晋作が登場して、銃器の蘊蓄が山ほど出てくる傑作です!
当方ブログでも以前紹介しましたが、未完なので続きを描いていただければ…と思うこと頻りです。
それはそうと、今回の新選組漫画は162じゃないでしょうか?
資料館の近藤さんの銃は、仰るように「護身用のお守り」といったくらいのものだったのでしょうね。
ワタクシが気になっているのは、この銃を元々近藤さんが自分用に持っていたものなのか、それとも彦五郎さんのために買い求めたものなのか、というところです。
東大和の旧家にもピストルが残されています。
近藤さん、彦五郎さんのどちらにしても、お守り代りとはいえ短銃を持っている必要性があったということは、改めて当時の江戸~多摩地域の治安の悪さを物語っているなぁと感じます。
松本零士先生は四国の出身で九州育ち。なのに、ナニがきっかけで新選組ファンになったのでしょうねぇ・・・。
近藤勇が銃を入手していたという事実はとても興味深いです。しかもそれを兄弟子に差し上げているということは「自分には必要ない」という剣術使いとしての矜持があったのか、それともこの時局には当然必須の物として認識されていたのか。気になるところです。
日野では確か綿屋十兵衛も短銃を所持していて、旅の途中それを見咎められ、問題になったとかいう記録があったように思いますが、こういう銃器は一体どこで買うんだろう?
上の東屋梢風さんのコメントによると、銃は和製雷管式短銃とのことですね。和製雷管作成は江川坦庵が天保13年に成功し、その後雷管式短銃が幕府官僚などの注文によって作られているそうです。
近藤勇が持っていた銃は、そのようなものの一つだったのではと思うのですが、どうやって入手していたのかはワタクシも知りたいところです。
おそらく買ったというよりも、誰かから譲り受けたものではないでしょうか?
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