蔵敷村の農兵献金

文久3年11月、寄場組合(改革村組合)とは別に、新たに組織されたいわゆる
「農兵のための組合村」が組織されました。
「里正日誌」の著者である内野杢左衛門さんが名主を務める蔵敷村は、現在の
所沢市に位置する上新井村組合に編入されます。
現在の所沢市、東大和市、東村山市の各市域にあたる村々21ヶ村が、この組合を
組織することになりました。

ここには、農兵政策を実現化させるために協力的な村々を中心に組合を再編させた
という代官所の意図が見えています。
さらに、この協力という言葉の中には「経費面での負担」ということも、大きな要素
として入っていたことがわかります。

代官所の役人から田無村に呼ばれた杢左衛門さんと市右衛門さん(上新井村名主)
は、組合村21ヶ村の献金書き上げ帳を持参してこれを提出しています。
それによれば、21ヶ村の133人から合計520両もの大金が、農兵のために献金
されていることがわかります。
一例として、蔵敷村ではどのような人たちがどれくらいの金額を献金したのか見て
みましょう。

「文久3亥年
上書(朱書) 御支配所村々献金書上帳
 11月  上新井村組合弐十壱ヶ村
           蔵敷村

一 金10両也       名主 杢左衛門
一 金5両也        組頭 重蔵
一 金5両也        百姓 銀右衛門
小計、金20両也                 」

まぁ、予想通りといいますか、名主、組頭といった村役人がそれなりの金額を納めて
います。これはどこの村でも同じです。

ところが別にもう一つ、覚書きというものも残されています。
これは代官所に提出した書状ではなく、村内で取り決めた内容を書き留めておいた
もののようです。

「文久3亥年11月中、御支配御出役にて農兵お取立てにつき献金した事実の
内割りの覚え

元治元子年12月4日半金取立 元治2丑年2月26日御役所納

一 金5両也 内金2両2分 残金2両2分 名主 杢左衛門
一 金5両也 内金2両2分 残金2両2分 百姓 銀右衛門 印
一 金3両也 内金1両2分 残金1両2分 組頭 重蔵 印
一 金3両也 内金1両2分 残金1両2分 百姓 三左衛門 印
一 金1両也 内金2分    残金2分   組頭 𠮷右衛門 印
一 金1両也 内金2分    残金2分   同   常七 印
一 金1両也 内金2分    残金2分   百姓代 平五郎 印
一 金1両也 内金2分    残金2分   百姓 武左衛門 印

右の通り、一同申し合わせ取り決め置いた   」
 
このように村では2回に分けて献金を集め、元治2年(慶応元年)に役所へ全額を
提出したようです。
また、献金をしたのは3人だけではなく、他にも5人の村人が少しづつ負担していた
ことがわかります。これはおそらく、上新井村組合の他の村々でも同じだったのでは
ないでしょうか。
農兵政策の必要性を、村役人だけではなく、村のみんなが共通認識としていたと
いうのが特徴的だと思います。

特に蔵敷村では、一般の百姓である銀右衛門さんが一人で5両も負担していること
に目がいきます。彼は武左衛門さんと共に自分の息子を農兵に出していますから
「農兵書上帳 蔵敷村の場合」 クリック!
その熱の入れようがわかります。

さらにもう一つ、面白い例を見つけましたのでご紹介いたします。
蔵敷村と同じく、東大和市内の奈良橋村の献金書上げです。

「奈良橋村
一 金5両2分也 名主 藤九郎
一 金3両2分也 百姓 喜三郎
一 金3両2分也 百姓代 冨右衛門
一 金3両也    本山修験 大徳院
一 金2両也    同     覚宝院
一 金3両也    百姓 太郎兵衛
一 金1両2分也  同  伊右衛門
一 金3両也    同  源七
小計、金25両也             」

奈良橋村では献金者の中に、2名の修験がいました。
東大和市史によれば覚宝院は八幡神社の神主をつとめ、護摩を焚き祈祷などを
行っていたといいます。
このような宗教関係者が献金をしている例は、他の組合村には見られません。
農兵に対する村民の浸透度が推し量られます。



img001b.jpg

6月に東大和市内の郷土史家の方々と、「東大和市の歴史を知る」というテーマで
公民館講座をさせていただくことになりました。(於・上北台公民館)
コチラはチラシに描きましたカットです。

事後報告になりますが、5月21日(土)には小学館集英社プロダクション主催、
江戸文化歴史検定協会後援による「江戸楽アカデミー」の講座を持たせていただき
ました。
内容は「江戸の歌舞伎・基礎入門」でした。
多くの方に参加していただき、ありがとうございました。
江戸文化歴史検定試験への対策講座というテーマでしたが、参考になりましたで
しょうか。
受講生のみなさんの1級合格をお祈りいたします!


「なんだー。このボタンちょっと押してみるんだな。うーん、なんだー。」



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#1437 修験
明治3年の宗教改革を一般に「廃仏毀釈」と言いますが、修験道の方から聞いたところでは、正確には「廃仏毀釈・修験禁止令」と云うそうで…この時期に、それまで列島に宗教文化として残っていた修験は根絶させられたのだそうです。「出羽三山」など有名所は寺院→神社として形を変えて生き延びてきました。
村落に根付いた修験寺院の資料が、今も良い状態で残っていれば、もっと多くのことがわかるのに…と毎度思わされます。時代の政策によって一文化が喪失された割には、修験のことは大ごとにされていません。
#1438 甚左衛門さま
仰るとおりですね。
東大和市域も江戸時代は盛んに修験による信仰が行われたようで、市内には2基の「出羽三山供養塔」が残されています。
それと、かつて修験だった方のご子孫の家にはかつて祈祷を行った護摩壇が残されているそうで、「東大和市史」によれば法螺貝、金剛杖などの品々も保管されているとのことです。
いつか伝手をつくって、ぜひ見学させていただきたいと思っております。

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