農兵計画 小銃の数と取立て人数

文久3年(1863)10月6日、江川代官所にとっては悲願であった農兵の取立てが、幕府
からついに認められました。

農兵の大きな特徴は、彼らに西洋式の小銃を持たせ、西洋式の軍隊に倣った組織にし
ようという所にあります。
当初、江川代官領だけに許可が下りた農兵取立てですが、どの程度の規模を代官所は
想定していたのでしょうか。
翌11月に代官所から勘定奉行所に出された書状で、それを推し量ることができます。

「農兵どもへお渡しになるべき御筒について申し上げます書付
     
    覚
  小筒  500挺
    但し、胴乱管入とも

右は農兵取立てにつき、先ず私の支配地に限って見込みの通り銃隊を取り立てるよう
に致すべきことを、先月6日に仰せ渡されました。
このことにつき、武蔵、相模、伊豆、駿河各州の宿村で現在調査中であります。
(取り立ての)人数その他詳細は、追々申し上げるべきところですが、右に上げた4ヶ国
で農兵をおよそ500人ほども用意すべきところです。
ついては御貸し渡しになるべき小筒、その他のものを書面の通り早々にお渡しいただけ
るように、存じ奉ります。

『右小筒の代金は銘々へ納めさせるところ、そのようにしては御貸し渡しの名目を失い
お上の御威光や多くの取締りにも拘わってきます。御筒は御貸し渡しを仰せ付けられ
ますよう支度し、もっとも農兵御入用として身元の者より上納金も願い出ます。
農兵の人数、その他を調査して申し上げます時にはさらに、お伺い奉るべきことです。』

もちろん人数を取り調べて、自然と余りが出るようであればその分は返上するべきこと
です。これにより、このことを申し上げます。以上。

  文久3亥11月     江川太郎左衛門 印
   
     御勘定所                                    」


「小筒」は小銃のこと。オランダ製か、あるいはオランダ製をモデルに国内生産された
ゲベール銃のことでしょう。
安政2年(1855)、老中阿部正弘の命によって湯島鉄砲製作所で国産洋式銃の生産が
始まりましたが、同年の夏にオランダからゲベール銃6000挺が輸入されました。
国産銃は当初、高島秋帆が所持していた銃に江川英龍が改良を加えたものが生産され
たようですが、このオランダ製のゲベール銃の性能が優れていたため、国内生産の銃も
安政2年輸入のオランダ式モデルが採用されました。(但し、江川は撃鉄はアメリカ式が
勝っているとして、国産銃の撃鉄はアメリカ式が採用された。)
その後幕府はオランダに10000挺のゲベール銃を発注していますし、また文久元年
(1861)までに8000挺の国産銃が生産されています。
「劔付八匁玉ケウエル筒」と呼ばれた銃で、口径約17.3mmの剣付きゲベール銃のこと
です。

銅乱は主に革でできた弾薬入れのこと。
管入はよくわからないのですが、槊杖(さくじょう)のことではないかと思います。込矢とも
いって、前装銃の弾込めに使った棒状の道具ですが、銃腔内部のクリーニングにも使った
ようです。
※「管」は正しくは「雷管」のことであり、「管入れ」とは雷管を入れるケースのことでした。
東屋梢風さまからご指摘をいただきましたので、訂正させていただきます。(2016.4.20記)


『』内は原文では朱書きになっている箇所です。
銃の代金を支払わせるところだが、お上の御威光のためにもここは貸与してほしいという
ことで、この部分が重要であると代官所か、あるいは筆写した杢左衛門さんはとらえて
いるようですね。
この時代に銃は1挺いくらしたのでしょうか?
この後、幕府が国産のライフル銃(スプリングフィールド銃)を生産しようとして、計算された
コストは1挺あたり金8両1分2朱だったという記録があります。(「日下部成章留記」)
ゲベール銃はもうちょっと安くできるでしょうが、これを農民に負担させるのは厳しいこと。
代官所が農民にあまり負担はかけられないと考えていたことがわかります。
なにせ、それ以外の経費は農民の上納金なんですからね。

さて、4ヶ国で500人という見積もりを上申しているこの書状ですが、具体的にはどれくらい
の農兵人数を代官所は計算していたのでしょうか?
ひと月前の10月に、早くも江川代官所は各組合村からどれくらいの農兵を取り立てるか
見積もりを出していました。
簡単にまとめますと、以下のようになります。

「田無村組合21ヶ村 人口7444人(男3751人) 農兵38人 交代要員38人

日野宿組合村23ヶ村 人口6806人(男3449人) 農兵39人 交代要員39人

八王子宿組合7ヶ村 人口9255人(男4723人) 農兵50人 交代要員50人

駒木野小仏組合10ヶ村 人口7646人(男3612人) 農兵25人 交代要員25人

青梅村組合13ヶ村 人口7210人(男3609人) 農兵25人 交代要員25人

五日市組合18ヶ村 人口5963人(男3302人) 農兵25人 交代要員25人

拝嶋村組合28ヶ村 人口15187人(男7575人) 農兵64人 交代要員64人

氷川村組合16ヶ村 人口5343人(男2801人) 農兵12人 交代要員12人

檜原村1ヶ村組合 人口3692人(男1777人) 農兵6人 交代要員6人

上新井村組合21ヶ村 人口6397人(男3395人) 農兵25人 交代要員25人

木曽村組合11ヶ村 人口1516人(男867人) 農兵12人 

藤沢宿組合8ヶ村 人口12515人(男6303人) 農兵50人 交代要員50人

藤沢宿のうち瀬谷野新田 人口175人(男80人) 農兵3人 

寺山村  人口107人(男60人) 農兵1人 交代要員1人

日蓮村組合10ヶ村 人口6476人(男3195人) 農兵25人 交代要員25人

中野村組合6ヶ村 人口2099人(男1072人) 農兵15人 交代要員15人   」


「里正日誌」には武相2ヶ国の農兵見積もり人数しか出ていませんが、これだけでも
415人という人数になります。
組合ではなく1ヶ村のみというのは、近隣の村は私領のために農兵組合が作れない
ケースです。
だいたいどの組合(村)でも男性100人に1人を基準に計算しているようですが、氷川
村組合や檜原村では「山ばかりの貧しい土地のため、非常のときは猟師が罷り出ます」
と村からの願い書きがあり、取り立て人数も他より少なく見積もってあります。
そうかと思うと一方では、木曽村組合の場合は村の方から多く取り立ててくれという
リクエストがあり、多くの見積もりがされています。

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「なんだー。このボタンちょっと押してみるんだな。うーん、なんだー。」



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コメント一覧

#1423 地元と協議したかのよう
この朱書きは杢左衛門さんの地元の指導者として、「この他ない」との意思の表れではなかったのでしょうか。
 文書は江川代官所が書いてはいますが、ご紹介のように、「お上の御威光や多くの取締りにも拘わって」と同列に「農兵御入用として身元の者より上納金も願い出・・・」など、ドスがきいて、地域指導者と江川家の合作のようにさえ感じました。
#1424 野火止用水さま
当時の代官は江川英武ですが、農兵政策を何度も幕府に献策し続けていたのは英龍でした。村々の指導者は英龍と強い信頼関係にあったと考えられますから、多摩の村々にとってもこの農兵策は悲願だったのでしょうね。
この政策は我々の遺志でもある、という杢左衛門さんの意図がこの朱書きに現れているのだとすると、とても強い言葉に感じますね。
#1425 管入
「管入」の管とは、銃用雷管のことでしょう。
管=雷管を用いるゆえに、雷管式の銃には「管打銃」という呼称もあります。
真鍮や銅などの小さなキャップに点火薬を接着してあり、これを火門にかぶせ撃発します。
当然、弾丸や発射薬とは別に携帯しなければなりません。
管入は、管用の革財布のようなもので、衝撃による暴発防止のため内側に毛皮が張ってあります。
#1427 東屋梢風さま
仰るとおりでございます!
・・・というか、ワタクシ2013年6月9日の記事で「カンというのは雷管のこと」としっかり書いておりました。
たぶん、そのときに見ていた資料が、今回手許になかったんですね。
ていうか、1回書いたコトを忘れんなよ!てハナシですよね。
あぁ、もう老化が始まってますね。お恥ずかしい限りです・・・。
上に訂正文を載せておきます。

ご指摘、ありがとうございました。

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