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日野宿街歩き~江戸散歩~

文京学院大学生涯学習センターで恒例となっております「江戸検1級合格者と巡る
江戸散歩」
講座。

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2月27日、3月5日、12日と、ワタクシが「新選組と多摩」について講座を持たせて
いただきました。
27日と5日は大学校舎で講義。
12日は日野に行き、旧宿場町と新選組関連の史跡を歩いてきましたので、本日は
そのレポートです。

日野宿については、このブログでは何度も取り上げていますので、今回の講座で
どんな所を廻ったのか、サクッとご案内。

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日野駅から一番近い新選組スポット、宝泉寺
井上源三郎の墓があります。
この日は真冬並みに寒かったので、みんなダウンコートを着込んでます。

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天然理心流奉納額が納められている八坂神社
奉納額は見られませんけど・・・。
見事な彫刻が一面に彫り込まれている本殿も鞘堂の中。みんな、小さな窓から覗いて
ます。
どちらも、5月の新選組祭り、9月の祭礼のときには見ることができます。

受講生のみなさんにもお話したのですが、日野市内で新選組関連の史跡・資料館を
探すのはけっこう簡単なのです。
コチラのように・・・

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このように、ヒジョーにわかりやすい幟り旗を立てて、観光客のみなさんをお待ちして
いるからです。
コチラは佐藤彦五郎新選組資料館
通常は第1・3日曜日が開館日ですが、団体予約を申し込んでありましたので、この日
に見学させていただきました。
彦五郎から数えて5代目に当たる館長の佐藤福子さんには、いつも色々と教えていた
だいております。ありがとうございます!
この日は館長がご不在だったため、ご主人の忠さんに館内の解説をしていただきました。
おもしろいんですよね、この方のお話がまた。
お聞きになりたい方は、ぜひ資料館へ!

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佐藤彦五郎・のぶ夫妻の眠る大昌寺
大昌寺にしても宝泉寺にしても、墓域は広いですが前述の通り新選組関連の方のお墓
には幟り旗が風にはためいておりますので、スグにお分かりいただけます。

新選組に日本一優しい街、日野!

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日野宿本陣
正確には「東京都指定史跡 日野宿脇本陣」ですが、幕末には本陣になっておりますので
「これで、いいのだ!」(by バカボンのパパ)
こちらにはボランティアガイドの方がいらっしゃいますので、解説をお願いしました。
ワタクシが一言加えさせていただくなら、「幕末期に建て替えられたとき、その費用を幕府
が負担したこと」「土間から上がった部屋に多くの提灯掛けがあること」この二つの意味を
よく考えたい・・・ということですね。

本陣の前にある図書館(問屋場跡)横の脇道を入っていくとお寺があります。
普門寺です。
観音堂の垂木の配置が全国的にも珍しいそうですが、ワタクシがいつもご紹介するのは
コチラ。

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鳥居がある土饅頭型のお墓です。
こちらは八坂神社の宮司を代々務めていらっしゃる土淵家のお墓。
普門寺は江戸時代、八坂神社(当時は牛頭天王社)の別当寺だったため、このような形の
お墓が今も継承されています。
神仏習合時代を残す、貴重な形だと思います。

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幼少の頃の沖田総司が、その前で遊んでいたというトンガラシ地蔵
別名・ヤンメ(病目)地蔵とも言うそうです。
目を痛めたときに祈願するお地蔵さまですが、このような病気平癒を祈る地蔵尊はワタクシの
住む東大和市にもあります。
地蔵堂の中に平べったい石が吊るされています。これは多摩川の河原の石でしょう。
詳細を聞いたことはないのですが、おそらく最初に祈願するときに石を供えて、病気が治ると
トウガラシを改めてお供えしたのではないかと思います。
東大和の場合イボを治すというお地蔵さまですが、初めに泥団子を供え、平癒後には松かさ
を供えます。地蔵尊ではありませんが笠森稲荷などもこのパターンですね。
トンガラシ地蔵の前の道は八王子道(滝山道)です。
東大和のイボ地蔵も八王子道と思われる旧道沿いにありました。
近世以前に八王子道に沿って、このような民間信仰の形が伝わっていたのかもしれません。
多摩史を考える上で非常に貴重な史跡だと思います。

トンガラシ地蔵のすぐそばにあるのが欣浄寺
ですが、現在、本堂その他の建物いっさいを再建中で、墓地以外はただの建設現場に
なっています^^;
しかし、見るべき史跡はコチラです。

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日野義貴の碑です。この方は幕末期の日野の教育者で、その死後に教え子たちがこの碑を
建てたということです。
石碑の台座には建立に関わった教え子の名前が刻んであるのですが、その中に井上源三郎
の名前があるのです。

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「井上源三良」とあるのがお分かりでしょうか?
石碑の裏側の、木の枝が覆いかぶさっている所なので非常に見づらく、この日も見ることの
できない方がいらっしゃったようなので、コチラの写真でご確認くださいませ。

日野駅16:30ゴールで、およそ3時間半の「日野宿・江戸散歩」でした。
寒い一日でしたが、受講生のみなさん、ご参加いただきありがとうございました。
解散後、日野宿交流館へお土産を買いに行かれた方がいらっしゃいましたが、何か記念に
残るグッズは買えましたでしょうか?

メガ60

以下はおまけ記事。
書き切れなかったコトを書いておきました。
日野巡りのお供にどうぞ・・・。

さて、今回の「日野宿・江戸散歩」では時間の関係上、廻りきれなかった場所がいくつか
ありました。
今後、ご家族、お友達、地下組織のお仲間たちなどと「もう一度、日野をゆっくり見て
歩きたい」と思われた方は、次の機会にこんな所も寄ってみてはいかがでしょう。

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宝泉寺山門の前の道(旧甲州道中)を八王子方面に50mばかり進んでいくと、右側に見えて
くるのが坂下地蔵です。と言うと写真に写っているのがそうかと思われるかもしれま
せんが、さにあらず。これはよくある六地蔵。
坂下地蔵は後の建物の中に安置されている、銅製の地蔵尊です。
そしてこの場所が、日野宿の西のはずれに当たります。

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坂下地蔵の手前にあるのが飯綱権現
写真が小さくて分かり辛いかもしれませんが、本殿の土台に煉瓦が使われています。
この煉瓦の一部は、明治時代にこの地で作られた日野煉瓦です。

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駅から図書館の方に歩いていくと、郵便局の手前にクラシックな建物があります。
渡邊家土蔵です。
味噌・醤油・酒・紙などを扱う「よろずや」でした。
通常は中を見ることはできませんが、新選組まつりの時には内部を公開しています。
太い梁など迫力があります。

普門寺墓地の前を通る八王子道を、100mほど北上してください。
そこにあるのが

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精進場です。
富士講でやって来た人たちが、この場所で手足を洗い身を清めたと云います。
この場所からまっすぐ南に降りてくると、富士講の人々が集合地点とした旅籠の「玉屋」
(現日野宿交流館)がありました。

甲州街道に戻り、多摩川方面に歩いて行きます。
川崎街道入口を越えて少し行くと、道路の南側にクラシックな建物が・・・

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旧日野銀行です。
後ろの家は、佐藤彦五郎の四男が養子に入った先の有山家です。
ということで、塀の隙間からチラっと本陣から切り離した「上段の間・御前の間」の建物も見え
ます。
日野銀行建物の中は入れませんので、悪しからず。

旧日野銀行を過ぎて、立日橋方面への交差点近くにあるのが、

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福地蔵。別名、東の地蔵と言います。
ここが日野宿の東のはずれ。
つまり、西の坂下地蔵から東の福地蔵までが、日野宿ということになるのですね。
手前の大きい文字馬頭観音像は文化8年の建立です。

現在の甲州街道は日野橋方面に進み、橋の北詰で直角に曲がって新宿方面に向かいますが、
かつての甲州道中は立日橋方面に向かっていて、多摩川を渡って新宿方面に向かいました。

歩いてばかりもなんでしょうから、お食事処のご紹介も。

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そば処ちばい
見た目が、まるっきりフツーの住宅なので初めて行くと、「ここでいいのか・・・?」と不安になり
ますが大丈夫です。「これで、いいのだ!」(by バカボンのパパ)
蕎麦はとても美味しいですが、ちょっと変わった店名は漢字で書くと「血梅」となります。
梅の木の種類だそうです。
枝を折ると中が赤くにじんでいるからだそうで、近藤勇がこの梅を愛したそうです。
空襲で焼かれて全滅したかに思われていた血梅ですが、奇跡的に残っていた木が見つ
かり、こちらの庭に移植されています。

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カフェ花豆
日野銀行のある有山邸の真裏にあるお店。
こちらも住宅をそのまま利用してお店にしているので、アットホームな雰囲気で食事や
コーヒーがいただけます。ワタクシはランチの野菜カレーと、パイ包みシチューをいただ
いたことがありますが美味しかったです。
テラス席もあるので、これからの季節にいいかもですね。

両方のお店とも、御主人が日野の歴史などにお詳しい方なので、混んでいないときで
あれば、新選組関係の話をお聞きになってはいかがでしょうか。
あくまでもお仕事の邪魔にならない範囲で・・・。
どちらの店も、彦五郎資料館の前の道を日野駅側に進めば「ちばい」、多摩川方面に
進めば「花豆」があります。


「なんだー。このボタンちょっと押してみるんだな。うーん、なんだー。」



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[ 2016/03/16 ] 番外編 | TB(0) | CM(4)

精進場のいろいろ

 良いコースですね。一緒に行きたかったです。
 東大和市に隣接する東村山市に「勝陣橋」があり、「精進場」「将陣場」などの名前が付いていると教わりました。この地では新田勢の鎌倉責めが濃厚ですので「ショウジンバ」もそれにならうようです。
 日野の富士講との結びつきはとても興味を惹かれました。全体にとても良いコースで、今度、ゆっくり訪ねてみます。
[ 2016/03/17 20:03 ] [ 編集 ]

野火止用水さま

日野宿というと、街巡りのテーマは新選組史跡がメインとなります。今回もそこを中心に廻ったのですが、多摩地域に住む者の視点から観察すると、八王子道など他にももっと興味をそそられる史跡が多いのが目につきます。
東村山の「勝陣橋」もおもしろいですね。
近隣地域を俯瞰で見ると、発見することが出てくるかもしれませんね。
[ 2016/03/17 22:48 ] [ 編集 ]

お役目お疲れ様です

日野宿の本陣と脇本陣との関係は、かつていろいろ調べてもさっぱりわかりませんでした。地元でも諸説紛々だった様子。
2004年頃から検証されて史料研究の結果、ある時期に役割を交代したとわかったそうですが、依然として謎の部分も残るようですね。
現代のことも100~200年後にはわからなくなるのか?なんて思うことがあります(笑)
[ 2016/03/18 06:21 ] [ 編集 ]

東屋梢風さま

史料というのは代官所や藩、幕府に保管されていたものならともかく、私的に保存されていたものは写しなので、自分に都合の悪いものは出てこないでしょうし、本陣の交代などは地元から史料が出るのは却って難しいかもしれませんね。
ワタクシも郷土史家の方に色々聞きますが、口伝で語り継がれるのは3,4世代くらいまでのようです。そう考えると史料やデータがなければ100年くらいが限界なのかな・・・と。
そう考えると、歴史を伝えることの難しさ・貴重さを感じます。
[ 2016/03/19 16:54 ] [ 編集 ]

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