熊本藩の預所

しばらく多摩とか東大和市域を離れてましたので、軌道修正。
地元・幕末の話に戻りましょう。

安政5年(1858)は日米修好通商条約とか暴瀉病(コレラ)で世間は大変
だったワケですが、東大和市域ではさらにまた別の問題にも巻き込まれよう
としていました。
つーか、巻き込まれちゃったんですが。

コトの発端は嘉永6年(1853)のペリー来航で、江戸湾の防備を改める必要
が出てきたことにあります。
江川太郎左衛門さん提案のお台場合衆国・・・もとい、台場砲台建設もそうですが、
それに伴なって、各藩の海防担当持ち場を変更したんです。
それまで三浦半島を警備していた川越藩を一番砲台警備にコンバート。
で、川越藩の担当地域だった所は熊本藩が引き継いだんですね。
「レフトの川越藩松平くんがファースト、熊本藩細川くんがレフトに入ります」
熊本藩の殿さまは細川越中守です。
細川護煕元首相のご先祖さまですな。

幕府は、その警備費を生み出す方法として、細川家に幕領である相模・武蔵の
42ヶ村の領地を「預所(あずかりところ)」として与えました。
この預所に東大和市域も含まれていたんです。
巻き込まれちゃいましたねぇー。

さぁ、今回のキーワード。
預所とはなんぞや?

この制度は、大名に支配は委ねるが年貢は幕府がとり、領地を預かった大名は
預所村々の農民を使うことを認められるというもの。大名は海防警備のために
必要な人夫などの人員を預所から調達できたというものです。

自分たちの体が他藩のために使われる、ごっつい制度。
「なんじゃそりゃッ! 勝手に決めンなよ、ゴルァッ!」
と、今日日ならば市民暴動が起こるトコロでしょうが、これが武家支配社会。
現代から見ればムチャなルールもアリなのが、江戸時代です。

まぁ、これも当然とばかりに、村民は淡々と命令を受けています。
安政5年2月から東大和市域を含む多摩郡の村々は熊本藩細川家の預所と
なりました。
でも一つだけ、村民も言いたいことがあったようですよ。
安政5年3月に村役人が細川家に出した願書が「里正日誌」に出ています。

「私どもの村々は代官江川太郎左衛門が御支配している所ですが、細川家
預所に幕府から仰せ付けられ、村々の請け渡しをするよう廻状をもって仰せ
渡され、謹んで招致致しました。
そのような所、相模国三浦・鎌倉両郡の村々は、これまで当預所の用事は
三浦郡大津陣屋にてお取扱いになっていることは以前から承知しています。
つきましては、この三浦・鎌倉両郡と同様のお取扱いを仰せ付けられましては、
元々ご当地近在で訴訟事や盗賊などは全て、御奉行所へ出向くことが度々
あります。さしせまった緊急の場合には手遅れになり、自ずと御預所で起きた
ことの差支えとなります。
細川家御支配への御引渡しを謹んで喜んでおりますが、このような問題を
嘆願した方がいいだろうと一同で出府しようとしたところ、昨日郷宿(※)へ
お渡しになった御廻状の文言に、
当村々は大津表へ距離が隔たっているので、江戸の役所へ印を請けに出るよう
仰せ渡される
との趣旨を拝見し、ありがたく、これまた招致致しました。

よって、この上とも引き続き江戸役所でお取扱いを仰せ付けられますよう、
何とぞ格別のご慈悲をもって右の通りお聞きすましなされますように、いくえ
にもお願い申し上げます。以上。」
(※)郷宿・・・陣屋の近くにある宿屋。訴訟のための公事宿。


つまり、今までは江川代官に支配されていたので、何か事件や用事があれば
江戸の役宅に出向いていきました、と。
ところが細川さんの支配になると、海防のための預所なので大津の陣屋まで
行かなければならない。大津というと横須賀ですから、多摩地区から行くと
なればエライ時間がかかってしまいます。
なので、どうにかしていただきたいと思っていたところ、「それじゃ、江戸の
役宅で取り扱おうか」と言ってくださり、すっげー嬉しく思ってます。
これからも、何かあったら江戸の役宅でヨロシクね。

こーゆーコトですね。
いや、そりゃわかりますよ。今だって東大和から横須賀まで車で3時間くらい
かかりますからね。当時じゃ一日じゃいけないですよね。緊急の場合は
困っちゃいます。
さすがに細川さんも考えてくれて、江戸で用事を済ませられるようにして
くれたようです。

「里正日誌」にはこの後、村内に人足勤務できる16歳~60歳の男性が何人
いるかの調査。運搬用の牛馬の調査。かかる費用の書き出し。さらには、人足
用の蓑笠を各村々にどれだけ分担させるか、なんてことまでが記載されてます。
従来の年貢に加えて、特別労働税が増えたわけですから、村にとっては大変な
負担だったと思われます。

幕末の混迷をまさに表したかのような、預所という制度。
なかなか幕末史では紹介されませんが、こういう事があったんですね。

20121031.jpg

熊本藩預所となった村々では、現地での人足従事の他にも何等かの
負担が課されたことと思います。
残念ながら、具体的にどんな仕事をさせられたのかを示す資料は
東大和市域では残っていないようです。











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コメント一覧

#59 あんこりんさま
ありがとうございます。
預所って、私も資料を読んで初めて知りました。
いろいろな制度があったんですね。
漫画はすべて自分で描いたものです。
楽しんでいただければ嬉しいです。
#60 管理人のみ閲覧できます
このコメントは管理人のみ閲覧できます
#61 あんこりんさま
ご依頼通り、削除いたしました。
#62 No title
こんにちは。。
イッセーさん、お気を遣わせてしまい、申し訳ありません。
ありがとうございます。
漫画、本当にお上手ですね。
あ、本職の方だったのでしょうか…v-356
失礼なことを申し上げてしまったでしょうか…。
でも、それくらい…(笑  お上手ですyo♪
#63 あんこりんさま
一応、本職だったりしています・・・。
なので、面白いと思っていただければ
とても嬉しいです。
失礼でも何でもなく、励みになります。
今後ともぜひ遊びに来てください!

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