「農兵OKだけど・・・」幕府から代官への注意事項

文久3年(1863)11月に幕府は農兵取立ての許可を出しました。
しかし、支配地の代官には以下のように付け足すことも忘れてはいませんでした。
「里正日誌」には「別紙」として、次のような長い注意書きが添えられています。

「関東幕府領の取締りを決めて以来、関東を支配する者たちは残らずこのことを
申し合わせ、取締出役たちをそれぞれ両人づつ差し出し、これまで陣屋が無かった
場所には見立てて陣屋を建設し、在陣するようにすること。
もっとも馬喰町詰め、並びに地回り担当の者は江戸御用の仕事もあるので、手近の
場所に出張陣屋を建てて、折々罷り越しなさい。在陣のときでも御用の都合によって
は、出かけていくことは勝手次第である。
出役たちを指揮して取締りを第一に世話すべきこと。

ただし、陣屋を建設する場所については、各代官の支配所に便利だというだけに
拘らず、なるべく御府内の警備、且つ関東一円の取締りが可能な場所にやりくり
して建てること。
もっとも、1万石以下の領地は地元の者を差し向け、各最寄りの陣屋へ身分次第で
3、4人づつ地元の者が仰せ付けられる。万が一異変があったならば、互いに助け合う
よう仰せ渡されたはずなので、そのつもりで申し合わせの場所を決めたら早々に申し
聞かされること。そのほか、出役が増員されたときは前々の通り人選した上で達する
べきであるが、各々にて然るべき見込みのある者もあるであろうから遠慮なく申し聞か
されたい。

一、各々一同については関東取締の心得として、過分のことなく諸事申し合わせ、支配地
私領地をも面倒を見ることはもちろんのことであるが、最寄りの陣屋に応じておおよその
持場を決めておくこと。心がけることは持場に拘らず、相互に申し合わせて便宜をとる
よう取り計らい、出役たちには誰の手附手代に拘らず捕物・戦いに召し遣わし、出役たち
が廻村するときは各持場に拘らず御用第一にいたすべきこと。

一、取締出役たちへ自分たちより御用の筋を申すとき、又は出役より自分たちへ申立て
があるときは、直ちに申し立てたことはこれまでの通り心得るべし。、

一、百姓たちが武芸いたすことはご禁制であるが、この度より陣屋ごとに稽古場をつくり、
取締組合大小惣代そのほか村役人、または平百姓でも身元宜しい者、あるいはこれらの
倅などのうち、真面目な者で武芸を希望する者には農業に支障のない範囲で鎗・剣の
稽古を免じ、心底の見届けられぬ者や困窮身薄の者はこれまでの通り決して武芸をさせ
まじきこと。

一、稽古人のうち、天領百姓で身元宜しき者の厄介などで、陣屋に詰めていても農業の
妨げにならない者のうちより選んで、陣屋詰めの者を定め置き、平日日割りで詰めて、
そのほかの稽古人大小惣代村役人らは異変が起これば早速駆けつけること。かつ、銘々
が暮らす村に異変があったときも相互に助け合い、陣屋でも早速対応するよう、兼てから
鳴り物などで図るよう定めておくこと。もっともこのような時は、村中の壮年の者は残らず
出てくるように申し渡しておくこと。

ただし、陣屋へ普段から詰めている者たちは20人までは、わずかではあるが日数に応じ
てお手当をくだされるので、人数を取りまとめ次第申し聞かされたい。

一、御旗本や御家人の厄介などのうち、槍・剣が得意な者は両3人宛に各々へ附属仰せ
付けられ陣屋ごとへ差し遣わされる。これらの者は稽古の世話を致すが、他所の者を門人
にしたり、他所の者を留め置いたり、内々に供行きすることは厳しく制するようにいたす
べきこと。

一、鉄砲については、筒、玉薬など陣屋ごとに備え置き、農業の間を見計らって誰でも
稽古をすることは構わない。そのときには教授も差し遣わす。もっとも陣屋警備用として
準備されていない筒、玉薬を貯めておくのは、返って取締りに不都合だとも申しがたく、
このことは算段した上で追って申し聞かす。

一、隠し鉄砲については厳重に相改め、見逃すことのないようにいたされるべきこと。

右の通り、百姓たちが武術修行をいたす上は、万が一に限らず急用が生じることもある。
あるいは悪事を企てる輩がいれば耕作が放棄される土地もできてしまう。
各勤め方はいよいよ肝要になってくるので、年貢をはじめ村々に決められていることに
格別精を出すことを申し入れ付ける。
気が付いたことは遠慮なく申し聞かせよ。かつ取締出役たちはもちろんのこと、各々も
手軽に廻村し、このほど前書の通り仰せ出されたことも、つまるところ百姓たちの難儀
にならないようにとの意味があるのだということを申し諭す。
そのほか、村民の心得ることをも絶えず教え諭すように致されるべきことである。

   文久3亥年11月         」


長い文章にお付き合いくださり、ありがとうございます。
幕府が農兵取立を許可した際に、代官たちに改めて言い渡した書状と見受けられます。

前半では関東取締出役についての注意点が書かれており、地域防衛の柱は八州廻りで
あることが強調されています。
また、旗本や御家人の次三男で鎗や剣術が得意な者を教授方にしようとしていたり、調練
を武芸と表現したりしています。江川英龍が目指していた農兵は西洋式歩兵軍隊ですが、
幕閣はこの段階で武士団的なイメージを持っていたのかもしれません。

最後の2~3行の部分に、幕府にとって一番大事なことを約束させられています。
村民の心得ること=農業による年貢を納めること、これを教え諭すことが代官にとって重要
なことなのだ、というわけです。

メガ59


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#1405 聖地奪還?
幕府が農兵取立に慎重であったことが、よくわかりました。
農民の食糧生産や年貢納付が疎かになってはいけない、というのは当然でしょう。
ただ、農民の側にしてみたら「従来の仕事はちゃんとやりなさい」「その上で陣屋の設置や運営にも『適度に』協力しなさい」と要求されるのはやっぱり負担なのでは。

この文書では、幕府は農兵取立の人選作業より陣屋設置を急務としている様子ですね。
ここに記される陣屋は、外国人遊歩地域内に万延元年から設置された見張番屋のバージョンアップ、という感じがします。
文久3年頃は、「過激な攘夷事件が起きる→外交関係が悪化する→過激な攘夷の気運がますます高まる」的な負のスパイラルに影響された事件が多いようです。
それを抑止して内外の諸問題を収拾する、という方針の一端なのかもしれません。
#1407 東屋梢風さま
幕閣からすると、先ずは取締出役がしっかりと機能するシステムが必要だったということでしょうね。
農民からすると確かに負担が増えるわけですが、日野や田無、蔵敷などの名主たちは多額のお金を出してまでして農兵に協力します。
これは江川代官との信頼関係によるものなのか、それとも農村が本気で農兵を治安維持として必要としていたのか、本当のところを知りたいですね。

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