芋窪村内の争い②

芋窪村で起こった隣家との竹木伐採問題。
今回は訴えられた藤五郎さん側の反論です。

「         当御代官所
              武州多摩郡芋久保村
                      組頭 藤五郎
                      同人弟 由蔵
                      百姓 金次郎
                      同  八右衛門
                   申口

栄蔵佐右衛門疵受け候始末御吟味に御座候
                     
この事について藤五郎と由蔵が申し上げ奉ります。
藤五郎は石高2石4斗余りを持ち、家内4人暮らしで村役人を勤めております。
由蔵は去る安政4未年に、同郡の小川村に奉公稼ぎに差し出しましたが、右腕の肩口より
水車に巻き込まれ怪我をして、農業渡世もできなくなり兄の手許におります。
然るところ、文政10亥年に曾祖父文右衛門が私の義父由五郎へ分地をしました折、隣地
の者へ、畑地の支障になるような竹木は屋敷地内へ植えないという旨の書付けを差し入れ
ました。このことを大まかに承り伝わっておりました。
5年前の安政6年に、組頭幸吉の弟である栄蔵が新規に家を作って分家をしたいと申して
きたので、同人の境界の東側が私の所持する畑地と地続きであり、木陰になっては差障り
があるので、以前同様の取り決め通り私方へ一礼を取り置くということを決めておきました。」


前回の栄蔵さんの証言だけではわからなかったコトが、いくつか出てきました。
藤五郎さんは村役人でした。添え書きには組頭とあります。
そして弟の由蔵さんは右腕を大怪我していました。後ほど書かれていますが、これは切断
するほどの事故だったようです。
また、前回に栄蔵さん側の証言をした幸吉さんは、栄蔵さんの兄だったようです。
つまり、この一件は組頭の縁者同志の争いということになります。

そして、大きな証言。
栄蔵さんの家の木も、藤五郎さんの土地の支障になる可能性があったということです。

「私の屋敷地に実の成った栗が自然に生えているのですが、今年の秋、栄蔵、佐右衛門より
伐採するべきとのことを聞きましたので、栄蔵の境界にも竹木があり同様のことなので、この
竹木を伐採するならば、私方でも伐採する旨を答えたところ、栄蔵方では一切伐採する理由は
無いとの挨拶がありました。
且つ、佐右衛門は前々より溝の掘っていない場所に自分勝手に堀切を作り、私の畑地に
悪水を押し流したので難渋しておりました。
このやり方を替えてくれるように申したのですが、これまで取り合おうとしないので、私方として
もそのままにして過ぎてしまっていました。」


おやおや・・・雲行きが怪しくなってきましたぞ・・・?

「今月12日の朝、名主景左衛門の家に参上しまして、木陰ができたので伐採のことを何とか
示談したいと言ったところ、争わぬようにと申し聞き帰宅しました。その後で、栄蔵と佐右衛門が
鋸、鉈などを携えてそれぞれやって来て理不尽に生垣を伐採し、右の栗の木を伐りかけたので、
立ち出でて差し押さえたところ、理由を言わず不法のことを言い張ります。
仕方なく取り合いもみ合っているうちに、弟の由蔵がやって来て双方をなだめようと心得て差し
押さえようとしましたが、元々右手が無いところに心ならずも左手で差支えとなったはずみで、
栄蔵の持っていた鉈に打ち当たりながら、いささか疵ができたのでしょうか。この疵を負ったため
覚えておりませんが、栄蔵、佐右衛門ともその場に打ち倒れ、由蔵もこの騒動で所々身体や頭、
殊に平常から至って虚弱病身の身なので取り乱し、持病の差込みでそのままその場に打ち伏し
てしまいました。」


栄蔵さんの言い分とかなり違っていますねぇ。

「何分にも両人の申し合いは理不尽でやり方も法外至極なので、このことを出訴御吟味願い
奉りたく、名主景左衛門へ添え状を頼んだところ取り扱ってくれず、仕方ないので駆け込み
訴え申し上げようと出立しました。
しかし、右の騒動のときに痛めたと見える足通が起こり、一歩も歩き難かったので療養手当
をしておりましたうちに、相手の者どもが訴え申し上げ、御検使の方がやって来られると承り、
直ちに引き返し立ち戻りました。
何分捨て置きがたい次第でございますので、この上は厳重の御吟味がありますように願い
上げ奉ります。」


以上が「被告人」である藤五郎さんの言い分です。
一応理屈は通っているように見えますが、名主の景左衛門さんが彼の言い分を取り上げな
かったことが、気になりますね。
そして、栄蔵さんの証人として幸吉さんが証言を提出したように、藤五郎さんにも2人の証人
の添え状が付きました。

「金次郎と八右衛門が申し上げます。
栄蔵と佐右衛門が疵を受けました始末は存じませんが、藤五郎と由蔵が申し上げました通り
木陰について何とか双方とも一礼を差し入れたことは承っております。
今月12日朝後九ツ頃、藤五郎宅裏庭にて取り合い口論いたしたことを承り、早速参上しました
ところ、栄蔵と佐右衛門ともその場に打ち倒れていて、由蔵も右傍らに打ち伏しおり、藤五郎は
その場にいなかったので尋ねたところ、右の始末を出訴仕りたいと出立しましたが、怪我人
たちを介抱手当などいたしたことを、村役人たちへ届けましたことでございます。

右、御吟味につき一同相違いなく申し上げます。以上。

     文久3亥年10月16日
                    右 八右衛門
                       金次郎
                       由蔵
                       藤五郎

 江川太郎左衛門様御手附
   山崎兼吉殿    」


そして、栄蔵さんの書状と同じく、

「前書の御吟味を私どもも、一同罷り出ることを承知いたしましたこと相違ございません。以上。

                                      芋久保村 名主 景左衛門
                                             組頭 八郎右衛門 」


両者の言い分が揃いました。
栄蔵さんと藤五郎さん、どちらの言っている方に分があるのでしょう?
さてさてこの事件、どのような決着になりますのやら・・・。

メガ55


「なんだー。このボタンちょっと押してみるんだな。うーん、なんだー。」



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#1352 兄弟
藤五郎は弟思いの良い兄ちゃんで、由蔵も大きな怪我を負ったにも関わらず健気に一生懸命生きてる姿が目に見えるようです。

それに比べて佐右衛門と栄蔵はとんでもない奴らですね。勝手に人の土地に入って来て植物を切るし。人の言葉には耳を貸さない。
まさにイヤな大人の典型。
はっきり言って隣人に居たら最悪なタイプの人種ですね……あれ?
#1353 甚左衛門さま
甚左衛門さん、コメントお待ちしておりました(笑)

まぁ、お互いが自分の有利になるような証言をするのは当然のことなのでしょうが、それをキチンと記録に残してあるところにこの日誌の面白さを感じました。
#1354 こんにちは
はじめまして!あるブログを拝見していたら、このブログに出会いました。私もブログを開設しています。「鬼藤千春の小説・短歌」で検索できます。一度訪問してみて下さい。よろしくお願い致します。
#1355 鬼藤千春さま
ありがとうございます!
ブログを拝見させていただきました。短歌には疎いのですが、眉月のことなど読んで、なるほどと感心いたしました。
これからもよろしくお願いいたします!
#1362 あけおめことよろ
藤五郎の申し立てで、前回は不明だった要素がいろいろ出てきましたね。
どちらが有利か判断の難しいところですが、
それにしても引っかかるのは、仰せのとおり名主景左衛門の態度です。
そもそも示談を相談した藤五郎に争わないよう念を押しながら、
栄蔵に対しては釘を刺した形跡が窺えません。
その上、藤五郎の訴えを取り上げようとしなかったり、
栄蔵を依怙贔屓しているか、そうではないとしても職務怠慢では?と感じます。

また、この事件が『里正日誌』に記録されているということは
杢左衛門さんも処理に関わった、ということなのでしょうか。
どのような裁定・決着を見るのか、興味津々です。

旧年中は毎度お目汚しのコメントで失礼しました。
本年もよろしくお願いします。
#1369 東屋梢風さま
明けましておめでとうございます。

今までもご紹介したように「里正日誌」は個人の感想を書いたものではなく、公的な書状の写しが中心です。
当然のことながら、特に江戸時代はそうだったと思うのですが、表向きの態度と本音で思っていることは別であることが多いようです。その辺りを読み解くのが、こういった文書の面白さではないかなと思ったりしています。

今年もぜひ、するどいご指摘のコメントをお待ちしております。
よろしくお願いいたします。

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