芋窪村内の争い①

さて、今回ご紹介する「里正日誌」の記事は、木左衛門さんの住む蔵敷村のお隣芋窪村
(芋久保村)の出来事です。

現代でも隣の家との境界線は、しばしば争い事の元になったりいたします。
特に庭に生えている植木は、枝が伸びて葉が落ちるだの、根が張り出してきただの
トラブルの種になることが多いようですが、江戸時代ともなるとこれがまたシビアな事件に
なっていくようでございます。。。

「このたびのことについて、栄蔵と佐右衛門が申し上げます。
栄蔵は石高5斗8升を持ち家族は4人暮らし、佐右衛門は石高4石2斗余りを持ち家族は
6人暮らしで、それぞれ農業を経営しております。
然る所、私たちの持っている畑は藤五郎宅の後方に地続きにありますが、文政10年に
藤五郎の父由五郎が当時の地所に家を建てました。そのとき、その屋敷地へ竹木等を
生やしては私たちの所持する畑が木陰になり、作物が実ることにも宜しくなく、年貢を納める
にも難渋するので、このことを申し入れ、桑のほか竹木とも植えないように、もし今後竹木等
が生えて藤五郎方で伐採しないのであれば、我々の方で勝手に伐採してもよいという一札
を取り置き、議定を取り決めました。」


耕作地の日照は、農家にとって切実な問題ですから、栄蔵・佐右衛門さんと藤五郎さんとの
間で取り決めたルールなのでしょう。

「近年だんだんと竹木等が生い茂り、我々の畑地はことごとく木陰になり作物の実りにも
支障があり、甚だ難渋してきました。
その都度掛け合っても一向に取り合おうとはせず、かえって不法に自分勝手なことを申したて
ます。
仕方なく当月12日朝、そのことを名主の景左衛門へ断り、議定所の取り決めをもって藤五郎
方へも一応断り、竹木伐採をすべしと思いました。」


どうやら藤五郎さんは、木が生い茂って隣の畑が日陰になっても何もしなかったようです。

「我々両人申し合わせて、鋸、鉈を携えて、木陰の支障となっている木の伐採をしていたところ、
藤五郎が出てきて言い争いになり、取り合いになっていたところ、藤五郎の弟由蔵が続いて
駆け出してきて、そこにあった鉈で理不尽にも栄蔵に打ち掛かり、所々疵を負い苦痛に耐え
がたくその場に打倒され、その後の始末も相弁えなかったのです。
佐右衛門は藤五郎の木刀により頭、その他所々を打ち、これまたその場に打倒されました。
甚だ理不尽で不法の致し方で心外至極でございます。厳重に御吟味をお願いいたします。」


取り決めにあったように、栄蔵さんと佐右衛門さんは木の伐採をはじめました。ところが、
藤五郎・由蔵の兄弟がこれに反抗して、鉈や木刀で二人を殴り倒し怪我を負わせたようです。

これに続けて組頭の幸吉さんも訴えました。

「幸吉、ほか3人が申し上げ奉ります。前書の栄蔵、佐右衛門が藤五郎、由蔵より疵を負わさ
れました始末は、右両人が申し上げましたとおりです。
当月12日朝、藤五郎の土地内の竹木を伐採すべきため来たことは存じませんでしたが、昼
九ツ時(12時)頃に右の者たちが取り合いに及んで口論していると聞き、とりあえず一同駆け
つけ見ました。すると、右場所に両人とも打ち倒れ、所々疵を受け苦しんでいたのでそれぞれ
抱え手当をした上で、御検使を相願うものです。
なぜ、右のように疵を負わされたのか、厳重に御吟味を願い奉ります。

右、御吟味につき一同相違なく申し上げます。以上。

    文久3亥年(1863)10月16日    
                         右  徳右衛門
                             定右衛門
                             勘七
                             幸吉
                             佐右衛門
                             栄蔵

  江川太郎左衛門様手附
    山崎兼吉殿     」


そして、名主たちも続きます。

「前書の御吟味を私どもも、一同罷り出ることを承知いたしましたこと相違ございません。以上。

                                  芋久保村 名主 景左衛門
                                         組頭 八郎右衛門  」


土地の境界での日照権から傷害事件へと発展したこの事件。
被害者の栄蔵たちが代官所へ訴え出たことで、村役人たちも総出で注目する事態に発展
してしまいました。
まぁ、当時の村のトラブルで代官所が出動する事件としては、典型的な例かもしれません。

と、ここまでは日照権を侵害された、と訴える栄蔵・佐右衛門側の言い分です。
事件は原告・被告の両者の言い分を公平に聞かなければなりません。
藤五郎さんたちの言い分は?
どう反論しているのでしょう?

以下、次回。

メガ54

ブログを書き(描き)ながら、実写版「ゲゲゲの鬼太郎」を見ています。
先日、漫画家の水木しげる先生が亡くなられました。
ワタクシが最も影響を受けた漫画家の中のお一人です。
初めて目にした漫画も、少年マガジンの「墓場の鬼太郎」でした。

ご冥福をお祈りいたします。。。


「なんだー。このボタンちょっと押してみるんだな。うーん、なんだー。」



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#1338 屋敷林
この事件、藤五郎側の申し立ても拝見しないと何とも言えませんね。
お忙しいとは存じますが、続きをお待ちしております。

なお、先日くにたち郷土文化館へ行った折、近世の農家に関する展示も見ました。
それによると家の敷地内には屋敷林があって、
これは家を建て替える時に大黒柱の用材を確保するためだったそうです。
この事件に関係あるかどうかわかりませんが、
竹木を植える側にもそれなりの事情がありそうな気がしました。

スタ子ちゃんの動力ってソーラーシステムですか?
#1339 鉈は死ぬだろ
今回はどう読んでも藤五郎・由蔵兄弟が悪人です。なんつーか、隣人にいたら最悪なパターンの人種です。木刀で叩いてきたり、あまつさえ鉈。

とか、思わせといて…次の周の藤五郎兄弟の供述では、実は兄弟は悪い奴じゃなったって落とすような気がするので、白黒付けたコメントは止めにしときます!



水木先生、私も大好きでした。
#1341 東屋梢風さま
お気遣いありがとうございます。
忙しかった理由は、最新記事にて・・・。

仰るとおり、当時の大きな農家ではケヤキなど木材として利用できる樹木を植えていたようですね。そもそも、当時の農家には鑑賞用というような考えは無く、全てが生活に利用できるものを植えていたと聞いております。
#1342 甚左衛門さま
さて、藤五郎兄弟はどんな供述をするのでしょうか?
ご期待ください(笑)

それにしても、どんなやりとりがあったか知りませんが、鉈や木刀で殴りつけるってのは・・・。仰るようにこういう隣人がいたら、今ならワイドショーのレポーターがすっ飛んで来ますね。

水木しげる先生、今頃は妖怪たちと楽しくゲゲゲの唄をうたっておられることと思います。

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