今月はなんか忙しくて。
ブログ書こう(描こう)と思っても、夜になると寝ちゃうんです。
それだけおっさんになった、ということなんですけど、それだけでもないだろうと思って
振り返ってみると、今月だけで街歩き史跡ガイドを3回。来月以降のガイドを含めた
ガイドコースの下見を3回行っていました。
これは、なんかもう趣味の範疇を超えているような気がするのですが、ガイドのご依頼
をいただくのは有難いことですのでお引き受けしております。
自分の歴史スキルのアップにもなりますしね。
まぁ、ワタクシ自身も楽しいっちゃ楽しいんです。
でも、夜は寝ちゃいます。
てなワケで、今回も番外編です。
「江戸文化歴史検定」一級二期会の会合が先日ありまして、ワタクシも
呼ばれましたので、出席してきました。
今回は年末も近いし、寒くもなってきたので、ちょいと贅沢にコチラ。

「河豚」でございます。
両国にある
「ひょうたん」さん。
都営大江戸線両国駅A5出口を出たら、徒歩3分くらい。
相撲取りの方御用達の「ライオン堂」さんの近くです。
創業84年だとかで、以前は古い建物だったとのことですが、現在は写真のように
近代的な店舗に生まれ変わっております。古い建物のときにも一回来てみたかったな。
場所柄、大相撲関係者のお客さまも多いようで、今回我々が通された二階の個室には
往年の力士の手形とサインが飾られていました。
「大鵬」とか「柏戸」「栃光」あたりは読めたのですが、あとはわからなかった・・・!
ゴメンよぉ、ワタクシ、相撲はぜんぜんワカラナイの。
ゴメンついでに・・・サインの写真撮り忘れた!
ふぐ刺し
煮凝り(一切食べちゃった)
唐揚げ(手前の小皿は塩です)
ちり鍋(4人前でごんす!)

ぐつぐつぐつ・・・と。
このあと、シメはロンのモチ、雑炊です。
久しぶりのふぐでしたが、美味しくいただきました。
ところで、我々二期会の集まりでは、ただ飲んで食べて歴史話に花を咲かせる・・・と
それだけではなく、「お楽しみクイズコーナー」というのがございます。
江戸検ではその年ごとに「出題テーマ」が設けられるのですが、ソレにちなんでこの
会合でもオリジナル問題が出席者に用意され、その答えをみんなの前で答えなければ
ならないのであります。
今年の江戸検の出題テーマは「祭事と神社」。
二期会の中でも神社関係にめっぽうな強さを発揮するY氏が、オリジナル問題を作って
くれました。
ワタクシへの出題は以下の3問でした。
みなさんもちょっと、解いてみてください。
①市谷亀岡八幡宮は太田道灌が江戸の鎮守社として勧請した神社ですが、江戸時代に
なって城内から市谷の岡に遷座されました。道灌はどこの神社から勧請したのでしょう。
A.石清水八幡宮 B.宇佐八幡宮 C.鶴岡八幡宮 D.深川八幡宮
②江戸有数の大寺院として寺勢を誇った永代寺ですが、永代寺の鎮守社が深川八幡宮
です。どの神社から勧請してきたのでしょう。
A.東寺鎮守八幡宮 B.鶴岡八幡宮 C.東大寺手向山八幡宮 D.波除八幡(横浜)
③神仏判然令によって永代寺は廃寺となりましたが、最後の住職の身の振り方について
お答えください。
A.成田山新勝寺の住職となった
B.深川八幡宮の神主となった
C.著名な書道家として名を成した
D.仏教関係の学校で教鞭をとった
わかりましたか?
答えは「続き」から。
正解①
C.鶴岡八幡宮 太田道灌も源氏の棟梁・頼朝をリスペクトしていたのでしょうか。鶴岡八幡宮の「鶴」に
対して「亀」の字を当てて洒落たと云われています。
②
D.波除八幡(横浜) 正式名称は富岡八幡宮といい富岡の山の上にあります。応長元年(1311)の大津波
に横浜一帯が襲われたとき、この山が地域を守ってくれたことから神社を波除八幡と
呼ぶようになりました。
深川は埋め立て地なので水害に弱く、鎮守として勧請されたと云います。
③
B.深川八幡宮の神主となった 永代寺の最後の住職は周徹という人ですが、後に富岡宥永と名乗り神主になりました。
住職が神主に転身した例はたくさんあるようです。
みなさん、いかがでしたか?
ワタクシは以前調べたことがあったので①②はすぐにわかりましたが、③はサスガに分からず
ネットで調べました。(出題は事前にメールで送られますので)
二期会の中でも戦闘能力が低いワタクシのために、いつも比較的易しい問題が用意されて
助かっております!


「なんだー。このボタンちょっと押してみるんだな。うーん、なんだー。」


にほんブログ村
にほんブログ村
人気ブログランキングへ
スポンサーサイト
フグ刺しを食べながらの歴史検定(試験)ですか。事前の出題となっているとはいえ、なかなかの会合ですね、感服。Junpei
私は未だフグを食べたことがないです。すごい美味そうですね。煮こごりは確かに一切食べたようで、写真のそれがアンバランスに見えます(笑)。
全然関係ないですが、かの次郎長は出入りの前にフグを食べて一家中で毒に当り、子分二人を失ってます。亡くなったのは角太郎・喜三郎という子分ですが、清水の梅陰禅寺には次郎長らと共にこの二人の小さな墓石も建ってます。フグはそれほど魅力的ということでしょうか。
あと、歴史検定クイズ、一問も当りませんでした。難しいけど面白い!ワタクシ、まだまだ勉強が足らんですね。
勉強の機会を与えていただいてるので感謝しています
・・・てのは建て前で、毎回プレッシャーを感じております。
フグは毒のあるところが、実は一番美味しいところだというのを聞いたことがあります。次郎長の子分たちもその魅力に勝てなかったのでしょうか?
甚左衛門さんが幹事になって江戸時代の博奕打ち・渡世人の試験問題を作ったら、きっと難問ばかりでしょう!
楽しい会食と思ったら宿題が出されるとは、なかなか厳しいご様子。
1と2は半ばあてずっぽうでもいけましたが、3は予習無しでは無理でした。
僧侶から神職への転身とは、現代の感覚ではなんとなく不可解に思えますが、
もともと別当・社僧だった場合はごく自然な流れかもしれませんね。
永代寺は再興されましたけど、
廃寺となっていた間に失われたものも多かったのではと推察します。
日本近代化のため寺院の特権廃止は必要だったとしても、
由緒ある寺院を廃絶に至らしめたとは何とも残念です。
現在、地元で「里正日誌」の原文を解読する会に参加させていただいています。先日、明治6年頃の政府より出された通達を読んだのですが、そこには僧侶の救済策が書かれていました。
とはいっても、最低限度の生活は保障するなどのことで、「寺は葬儀供養には必要だからとりあえず残す」といったような明治政府の方針が見て取れた思いでした。
仰るように、由緒ある寺院がツブされたことは残念ではありますが、逆にいえば江戸時代までの寺院がいかに幕府の元で優遇されていたのかがわかったような気もしました。
そのまま神職に転身するには、たぶん政府に何等かの働きかけが必要だったのではないでしょうか。それを良しとしない元住職の方々は、小学校の先生などになった例が多いような印象です。
コメントの投稿