
こちらは国立市谷保にある、甲州街道に面した場所にある旧名主住宅の門。
幕末の頃、名主であり医師であり書家でもあった、
本田覚庵の住居
です。
土方歳三の縁続きでもあった本田家には、歳三や近藤勇が書の稽古によく
来ていたそうであります。
通常はこの薬医門も閉まり、中も見られないのですが、先週東京文化財ウィークの特別公開
事業として、住居が公開されました。
この場所は中央高速・国立インターの近くで、ワタクシはよくこの門の前を通るのでとても
気になっていました。
中が見学できるとあっては、見ないワケにはいきません!

薬医門は嘉永2年(1849)に建てられたようです。
元々はもう少し八王子寄りにあったようですが、甲州街道の道幅拡張により
昭和5年(1930)に現在の場所に移動しました。

本田家住宅は平成23年(2011)に国登録有形文化財に登録されました。
当然のことながら屋根は昔は藁葺だったそうですが、この規模の屋根を今藁葺に
するとン千万~1億円近くかかるそうで、トタン屋根になっています。
ワタクシが見学に訪れたときは中に入ることはできませんでしたが、家屋の内部は
「喰違形六間型」という構造で、この間取りの建物としては都内最古例だそうです。
いつ頃建てられたのか正確にはわからないそうですが、近年発見された祈祷札に
よると享保16年(1731)には既に建築されていたと考えられています。
ビックリすることに、300年近く経っているこの家に数年前まで当主だったお婆さんが
住まわれていたそうです。
日本家屋って丈夫なんですねぇ・・・。
柱なんかは、けっこう斜めってましたけどね。

こちらは東側にある奥の間。
文久元年(1861)、府中六所宮(大國魂神社)での、近藤勇の天然理心流襲名披露
試合に、本田覚庵は頼まれて奉納額へ揮毫しましたが、それが書かれたのがこの
部屋だそうです。
この奉納額は、新政府に見つかったらヤバイっていうので、燃やすか何かして処分
されちゃったんですよね・・・もったいない。
この奥の間に面した庭に、でっかいケヤキか何かの切り株がありました。
いつ頃だかの台風で木が折れてしまったんだそうです。その折れた木が家に直撃して
いたら家が倒壊していたことは間違いないワケで、違う方向に木が倒れたおかげで
家も残ったんですね。
こういう史跡が残るのも、いくつかの偶然が重なってのことなんですね。
今後も定期的に公開されることを望みます。

「なんだー。このボタンちょっと押してみるんだな。うーん、なんだー。」


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関連ツイートにリツイートいただいたので、
イッセーさんもお出かけになったのではと思っていたところです。
昨年の特別公開の折は、玄関の土間に入れていただくまでが限界でした。
今年は講演&見学の会に参加し、室内に上がることができた次第です。
老朽化が著しく、大きな地震でも来たら倒壊のおそれもあるとか、
国指定文化財保護のため補修など早急な対策が必要とされています。
講師のお話によれば、主屋の屋根は「茅葺き(鉄板覆い)」だそうです。
また、嘉永期・昭和期に増改築されているとのことでした。
例えば写真の縁側は、現在は雨戸を閉めると内側になる内縁ですが、
これは幕末頃から見られるようになった形式で、
主屋の建築当初は外縁だったと考えられるそうです。
最近まで住居として使われていたお宅なので、
移築保存されているようなものとは違い、生活感が色濃く残っているのも面白いですね。
ワタクシは3日に伺いましたので土間まで入って見学させていただきました。確かに老朽化は激しいですね。天井もボロボロだったし、補修などすぐに進めて欲しいと思いました。
屋根に関しては、ワタクシに説明してくれたガイドさんは「この辺りは茅が採れなかったので藁葺だった」と仰ってたのですが・・・(笑;)
東屋さんの仰るように、多くの保存古民家と違い、生活感の残っているところに感動いたしました。
ワタクシの家の近所に、本田退庵に関する石碑がありますので、本田家についてはいずれもっと勉強したいと思っています。
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