新選組漫画 146

20151012.jpg

前回、喜多方市に行ったことを書きました。
こちらには新選組関連のエピソードはないものと思っていましたが、コメントで
「『島田魁日記』に、米沢・庄内に向かった土方さんと分かれて大鳥圭介の陸軍と
行動を共にした新選組が、小田付に滞陣した話が出てますよ」
との情報をいただきました。

コリャ迂闊でした!
早速本棚から「島田魁日記」を取り出して確認すると、まさにそのとーり!
会津での敗戦が濃厚となりつつあった明治元年(1868)8月の終わりから9月の
はじめにかけて、入城できなくなった旧幕府陸軍2000人が小田付に滞陣していた
ようです。

ワタクシも一応、地元のガイドの方に喜多方の幕末エピソードは何かないか聞いて
みたのですが、
「瓜生岩子(敵味方の区別なく将兵を手当したり、児童福祉に貢献)くらいですね~」
と言われて、そのまま聞き流してしまいました。
島田魁の言葉を信じるなら、2000人の将兵が屯(たむろ)してたワケで、何かしらの
エピソードがありそうなモンですが、もうちょっと蔵とかで聞いてみればよかったかな。

ところで、斎藤一はこの頃名前を変えて「山口二郎」と名乗っています。
旧幕府陸軍を指揮する立場となった土方に代わって、隊長に就任しています。
新選組って、リーダーを「局長」と読んだのは近藤勇、芹沢鴨、新見錦の3人だけ
なんですよね。
で、当マンガでは島田魁さんを進撃の巨人のごとくデカく描いてますが、斎藤(山口)
さんも身長180cmあったそうで・・・。当時の規格からすりゃ、コチラもかなりの巨人
ですよね。

そうそう。酒蔵を見学させていただきまして。
ワタクシは下戸なので飲めなかったのですが、同行者の話では「喜多方の酒は
とても美味しい」だそうです。

・・・で、最後に言い訳してもいいッスか?
前出の「島田魁日記」ですが、ワタクシは「新選組日記 永倉新八日記・島田魁日記
を読む」(木村幸比古 PHP新書)で持っております。
その文中に今回の小田付について、原文では
「夫ヨリ脱兵二千余塩川小田付辺ニ宿陣ス、・・・・」
と書いてあるんですが、現代語訳は
「これより脱走兵二千余は、塩川小田付近に宿陣した。」
と、「辺」を「近」に誤植してるんですよね。
ワタクシ、ほとんど訳文しか読んでなかったから、「おたづきあたりに」とは読まず、
「おだふきんに」と読んでいたので印象になかったのかもしれません。
えぇ、まァ言い訳なんですがね。
ちゃんと原文を読まなきゃダメだな、と思った二十歳の夜・・・。

でも、この「辺」と「近」の間違い2ヶ所もあるんですよね・・・。
まさか、木村さん「小田付」って地名を知らなかったのかな?


「なんだー。このボタンちょっと押してみるんだな。うーん、なんだー。」



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#1311 島田魁28号
些細なコメントを取り上げていただき、恐れ入ります。

『島田魁日記』では「小田付」ですが、『中島登日記』には「小田月」と表記されているようです。
また、大鳥圭介『南柯紀行』に「小田村」とあるのは、
元々「小田付」と書かれていたのに出版の過程で誤記・誤植されたものと推測します。

当方では、『島田魁日記』は主に『新選組史料集』に拠っています。
ご利用の『新選組日記 永倉新八日記・島田魁日記を読む』に関しては
当方ブログの記事「木村幸比古『新選組戦場日記』」をご一読の上、
お察しいただけましたら幸いです(笑)
#1312 東屋梢風さま
喜多方に行ったときは、「おたづき蔵通り」と紹介され、通りの看板にもそのように「ひらがな」で書いてあったので、それで気付かなかったというのもありますね。

今の仕事が一段落したら、東屋さんのブログを熟読させていただきます!

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