
ワタクシが住んでおります
東京都東大和市と、
福島県喜多方市は友好都市の
関係を結んでおります。
元々は福島県の
山都町と姉妹都市の関係だったのですが(たぶん、読み方が
同じだから)、市町村合併で山都町が喜多方市に組み込まれたもんで、現在は
喜多方市と友好都市の間柄になっているというワケです。
毎年、お互いの市の観光事業代表が相手先を訪問して、意見交換と親睦を深める
という事業をやっております。
東大和市には観光組合のような組織がないのですが、最近になり
「観光ガイドの会」という団体が市の要綱に沿って立ち上げられました。
先日、その観光ガイドの会の代表7名と東大和市職員3名が、喜多方市を訪問
いたしました。
実は、その観光ガイド代表団の中にワタクシが入っておりましたので、今回はその
ときのことを記事にしたいと思います。
まぁ、ワタクシなど東大和市10名の、ほんの末席なのですがね(汗;)

朝7時30分に東大和市を出発。
市が用意してくれたバスで福島に向かいます。
ちゃんと税金を納めていますので、何のうしろめたさもなく快適です。
車窓から見える磐梯山。

喜多方市役所。
新しい建物です。上から見ると半円形をしている前衛的な造形です。
「壁がカーブしてるのにまだ慣れないんでスよね・・・」喜多方市役所職員・談

市役所の大会議室にて、両市の意見交換会。
この中に喜多方市の山口信也市長(ひまわりを熱く語る男)もいらっしゃいます。
どこでせう?
約2時間の白熱した意見交換。
喜多方市では観光の知識だけではなく「おもてなしのこころ」で観光客に接する
「観光コンシェルジュ」を育てているそうです。
本日参加された「蔵のまちガイド」のみなさんも観光コンシェルジュ。
認定試験に合格しないと取れないんですって。
その後、我々一行は喜多方市が用意してくれた宿に行き、休憩。
宿泊先は「熱塩温泉 山形屋」さん。
福島県なのに山形屋さんです。
18時から夕食を兼ねた親睦会・・・という名の飲み会。
しかし、この席でも喜多方市ガイドの方から、貴重な話を聞くことができました。
翌日は朝9時から、喜多方市の観光ポイントを視察させていただきました。
喜多方といえば「蔵のまち」。
ということで、「蔵のまちガイド」の方に観光コースである
「ふれあい通り」と
「おたづき蔵通り」をメインに案内してもらいます。

この建物は
「若喜商店のレンガ蔵」。
雪の多い喜多方ではレンガに釉薬を塗ってさらに焼き、水の浸透しないレンガを
使っているのだそうです。明治37年(1904)築。日露戦争の年ですね。
1階の中は座敷になっていますが、縞柿(しまがき)という大変貴重な木材が
使われています。
現在もだし醤油の店舗として活躍中。
いよいよふれあい通りへ。

かつてはアーケード街だったそうですが、観光に力を入れるに当たって見通しが
いいようにと屋根を取っ払ってしまったそうです。
それと、車道と歩道に段差がないのがわかりますでしょうか。
公道を使ってのイベントをしやすいように、だそうです。電柱も無くして電線は地下に
埋めたとか。お金もかかったでしょうが、観光地化への意気込みが感じられますな。
では、その蔵のまちから、いくつかご紹介。
「甲斐本家蔵座敷」大正時代の建造です。
明治以降、一般の商店や家でも土蔵を作ることが許可されたので、多くの蔵が
建てられたのだそうです。

土蔵部分は黒漆喰。
現在も生活住居として使われております。

さて、一方こちらは、通りに面した1階は青果店。
店内をおじゃまして、奥にずーっと入っていくと・・・

そこは
「三十八間蔵」。
こうなるともう長屋ですね。
こんなに長い蔵にナニをしまっておいたんだかって思います。
こんな珍しい蔵もありました。

こちらは
冠木薬局という、江戸時代から続く薬屋の中庭にある蔵なのですが、何の
蔵だかわかりますか?
正解は・・・
厠蔵です。
明治後期に作られた土蔵だそうですが、今でも残してあるのが素晴らしい!
まぁ、今は実際に使っちゃいないでしょうがね。
喜多方の町中はこのように土蔵やレンガ蔵が多いのですが、一時は開発のために
これらを取り壊す話があったそうです。
ところが市内に住む一人の写真家が
「それはもったいない。この町の土蔵の風景はイケてるんだよ」
と言い出したのをきっかけに、土蔵を観光に利用しようとなったそうです。
町中の土蔵は、個人の庭にあったり、商店などに使われたりしています。
それを観光客がひと声かければ、たいていは無料で見学させていただけるのです。
地域の人々がスクラムを組んでやっていかないと、なかなかできないコトですね。

こちらは、おたづき蔵通りにある
「小原酒造」。
喜多方つったら、やはり酒屋ですからね。
享保2年(1717)創業。大岡越前が町奉行になった頃ですよ、スゴイ!
酒蔵も案内してくれます。

こちらでは仕込みのときに「もろみ」にモーツァルトの曲を聞かせるのだそうで、
この日も梁の上に設置されたBOSEのスピーカーから、クラシックの名曲が
流れておりました。
なんかね、ジャズとかポップスとか、いろいろ試して聞かせたんだけど、モー
ツァルトを聞かせたときが、いちばん酵母の醸造具合が良かったんだそうです。
スゲーな、モーツァルト!オーストリアなのに日本酒の気持ちがわかるとは!
てことは、ウラを返して清元延寿太夫とかワインに聞かせたら、案外イイ出来に
なったりして。

酒屋といえば、このスギ玉。
通常は古いのは処分しちゃうらしいんだけど、コチラでは御主人の趣味で軒下に
残してあるんだとか。なんかイイ感じだよね。
これがスズメバチの巣だったら、とんでもないけどね。
これらをガイドの方に案内していただいて、ざっと3時間弱のコースでした。
喜多方市では「蔵のまちガイド」が2時間2000円(ガイド1名)で、町中をガイドして
くれます。
お昼は喜多方ラーメンを食べましたけど、食べるのに夢中で写真撮るの忘れました。
それがいちばん見たかったって?
スンマセン

てことで、1泊2日の交流都市訪問を無事終えました。
喜多方市にはホントに良くしていただきました。ありがとうございました。
でも、やっぱ東北。寒かったです。
この日、東京は気温が28℃あったそうですが(それもまた暑いけど)、喜多方は日中
17℃でした。まぁ、曇り空ってのもあったんでしょうけどね。
夜は気温もひとケタでしたから、ジャージを持っていって正解でした。
11月には、喜多方市からの御一行様を、東大和市側がお迎えいたします。

喜多方市には佐川官兵衛夫妻の墓がある長福寺があるそうです。

「なんだー。このボタンちょっと押してみるんだな。うーん、なんだー。」


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活発な交流会の様子の速報、有り難うございます。喜多方市の凄さがよくわかります。
今度お迎えするときには、精一杯「おもてなしのこころ」で尽くしたいと思います。
公務ご出張、お疲れ様でした。
今回、会津若松へはお立ち寄りがなかったそうですが、
喜多方市の小田付も新選組ゆかりの地ですから大変よろしかったのでは。
会津が籠城戦に突入、歳さんが救援要請のため米沢・庄内へ向かった後、
残った新選組は大鳥圭介の旧幕陸軍と行動を共にしていましたよね。
その彼らが一時滞陣した場所として、小田付が「島田魁日記」に出てきます。
そこから、一さん達が本隊と分かれ、如来堂村へ転陣したようです。
彼らが小田付のどこで何をしていたか詳しくはわかりませんけど、
おたづき蔵通り付近を歩いていた、とも考えられるでしょう。
季節もちょうど同じ頃で、良かったですね。
喜多方市を訪問して感じたことは、ガイドの方の力量もさることながら、町の人全体が「蔵のまち・喜多方」のアピールに前向きであるということでした。だからこそ「おもてなしの心」も自然に定着しているのでしょうね。
いろいろと見習わねばならないことがあります!
恥ずかしながら「島田魁日記」、すっかり抜け落ちてました!
そうですか、小田付が出ていますか・・・確認します!
向うの方とは新選組の話はしなかったものですから・・・もしかしたら、何か言い伝えを知っている方がいらっしゃったかもしれませんね。惜しいことをしました!
酒屋が多いところですから、隊士たちが買っていった店があるかもしれませんね。
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