文久3年私領渡し騒動

文久2年(1862)の支配替え騒動は、村々の張訴駕籠訴といった強硬手段でなんとか
回避できました。
その裏には、村々と同様に支配替えを望んでいない江川代官所と幕府のかけ引きがあった
と思われます。

しかし、幕府はこれで完全に狭山丘陵一帯の支配替えを諦めたわけではありませんでした。
それを関連付けさせるのが、過去記事の
幕末「建物探訪」・・・渡辺篤史じゃないけどねクリック!)
です。

翌文久3年(1863)3月に出された、この身元宜しきものの居宅取り調べ
これは、支配替えに大きく関係する調査だったようです。

「  亥4月御支配御役所より御廻状の写し

それぞれの村々について私領渡しへの差し障りが有るか無いかの取り調べを、その筋
よりお達しがあり、別紙の文書にてその状況を認め差し出すべきこと。
もっとも、村々では農繁期なので寄場組合の親村へ、来る25日までに相渡し、同所にて取り
集め差し出すようにすべきこと。
この廻状の村名の下へ名主の名と印を捺して、早々に順次送り、最後の村から返すものなり。
   亥4月9日 江川太郎左衛門 役所         」


支配替えの相手先は「私領」とあるので、村々は天領からはハズれることになります。
過去、安政5年(1858)に熊本藩細川家の預所として、天領の42ヵ村がその対象になった
ことがありました。
熊本藩の預所クリック!)
これは細川家が江戸湾の警備を担当することになったための、一時的な処置でした。
ですから、今回はその時とは話が全く違います。

代官所は私領分となるのに不都合なことがあるのなら、その旨を書きだしなさいといって
きました。
村々では早速、明細書をつくります。
「里正日誌」には上新井村、後ヶ谷村、高木村、奈良橋村、蔵敷村と5ヵ村の書き上げの
写しが記されています。
各村々はどのような報告書を作成したのでしょう。
ここでは、蔵敷村の明細書を見てみます。

「私領渡し差し障りの有無の書き上げ帳  武州多摩郡 蔵敷分

私領入会地はございません。    武州多摩郡 蔵敷分 江戸への道のり9里あまり
当亥年より申年まで10ヶ年御定免
一 高162石2斗3升
    この内、小物成高はございません
検見取り
一 高26石3斗4合7夕  民家無き同村の持添え新田
    この内、小物成高はございません
検見取り
一 高27石2斗1升2合  同じく武蔵野附同所同断新田 
    この内、小物成高はございません   

一 当村は長い期間天領だったので、知行が他に渡ったり分割されれば、村内は和合
せず、安穏に治めることは難しいと存じます。

一 私領になって天領の頃と替わり、地頭(領主)の勝手になることはございません。

一 御年貢は金納でございます。

一 米は極悪米を恐れ買納と定めて、取立方は大概の村方でございます。


  買納とは、収穫する米の出来が悪いので他所で米を購入し、年貢を納めることです。

一 金銀鋼鉄、ならびに砥山稼ぎはございません。

  金銀・鉱山がないのはわかるのですが、砥山稼ぎというのがわかりません。調べてみると
  奥多摩に砥山という標高1300mほどの山があるのですが、そこへ炭焼きなどの仕事を
  していることを指すのでしょうか。

一 日照り、大水と両損の村で、天水場なので用水利用はありません。もっとも、藪川堰
溜池井戸利用は芋窪村、奈良橋村、当村と三ヶ村組合ですので、引き離されては差支え
があります。


  天水場とは、灌漑用水がなく、雨水に頼って耕作をしている地域をいいます。

一 米の出荷は、買納の村なのでございません。

一 賑わう町や市場はございません。

一 高持ち百姓、ならびに有徳のものの住居はございません。

一 中山道浦和宿へ、近年たびたび当分助郷を勤めております。その他、尾州様(尾張
徳川家)の御鷹場なので、御鷹御用人馬を勤めております。

一 御蔵前に引き替わり、当分上ヶ地御用地に上ることはございません。

一 小物成は去る戌年(文久2年)の御割賦の通り、違いございません。

一 村々の入会見取り場のたぐい、小物成のたぐいはございません。

一 御割賦のほか、上納物はございません。

一 当村の土地の中で田圃は狭山付近の谷間にある沼田で、畑は武蔵野を新たに開墾
した所なので薄地であり、困窮の村でございます。

一 家数は55軒。人数は男143人、女158人、牛1疋、馬11疋。

一 新田願い、ならびに鍬下はございません。


  鍬下とは荒地を切り開いて田畑にするまでの間をいいます。この期間は租税を免除・
  軽減できたりしました。

一 川や堤の御普請所はございません。

一 藪川の悪水、堀堰溜池井戸は隣村三ヶ村で申し合わせ、自ら普請所をつくってござい
ます。

一 農業のほか、男は縄をなって草鞋を作り、女は木綿糸を操って稼ぎます。

一 夫食代を拝借し、年賦を返納してございます。

一 現在、公事出入りの訴訟事はございません。

一 御関所、ならびに口留番所はございません。


  口留番所とは小規模の関所のことです。裏街道などに設置されました。蔵敷村を通って
  いる成木道(青梅街道)は、甲州道中の裏街道です。

一 村の惣作地はございません。

  飢饉などで潰れ百姓が出て土地を手放すと、その土地は親戚などが引き請けましたが
  大抵は引請け先がなく、村が管理することになりました。これを惣作地といいます。
  この土地にかかる租税は村が負担しました。

一 十分一の取立て物はございません。

一 御林はございません。

一 上納金は先年の江戸城西ノ丸火災のとき、そのほか江戸湾御備え場建設の際に
やっと上納しましたが、幕府の利益となる取り計らいをする御料の据え置きの願いは
ございません。

一 無反別、無石盛の土地(検地をしていない隠し耕作地)はございません。

右をお尋ねにつき、書上げ奉った通り相違ございません。以上。
   文久3亥4月2日      右蔵敷分 
                      百姓代 平五郎
                      組頭   半左衛門
                      同    常七
                      同    吉右衛門
                      同    重蔵
                      名主   杢左衛門         
    江川太郎左衛門様 御役所  」
  

注釈を何箇所か入れましたが、ずいぶん長くなってしまいました。スミマセン。
全部読まれた方、お疲れさまです。

他の4ヵ村の書き上げも、ほぼ同様の内容が書かれています。
共通して言えるのは、水の利が悪いので米が悪いものしかできない、米を買っている、
夫食代の借金がある、など自分の村のマイナスを猛アピールしているところ。
さらに、3つの村で川や井戸の管理をしているので、支配先が別々になったら困る、助郷
や鷹場管理などの仕事でいっぱいいっぱいである、など村の状況を挙げたり、有徳の者
がいないなど「つまらない村である」ことを必死に説明しています。
江川代官の支配の元でなんとか生活しているのだ、ということを言いたいのでしょうね。

村の必死さはこれだけではありません。

「お掛かりの冨澤正右衛門様のお宅へ金百疋(一貫文)を御肴料として差し上げました。
ほかに、斎藤友輔様のお宅へ御肴料として金百疋を持参し、私領所になるのでしょうかと
申し上げたところ、最近の御変革について仰せ出されたことはなく、昨年末に仰せ出された
ことゆえ、全く私領渡しになるべきことではなく、村々の心配はいささかもすることは無い
とのことを仰せ聞かされた」
 

書上げ明細の後に書かれた杢左衛門さんの覚え書きです。
これによると、代官所の手代である冨澤さんらに袖の下を渡して、なんとか支配替えを
阻止しようとしていたようです。
さらに、「支配替え」「私領渡し」の話がどの程度進んでいるのか、その情報を聞き出そう
としていた様子も窺えます。

冨澤、斎藤の両名は、文久3年2月に発表された江川代官所手附・手代一覧に名前が
出ている人物です。「江川太郎左衛門、代替わりする」クリック!)
この2名は嘉永3年の手付・手代一覧には名前が出ていないので、英敏の時代以降に
手代に加わった者でしょう。

この頃の代官所と狭山丘陵一帯の関係を時系列で見ると、
文久2年8月 英敏が死亡。
     9月 支配替え騒動(張訴)
     10月 支配替え騒動(駕籠訴)
     11月 勘左衛門事件 「大名屋敷殺人事件」クリック!)
     12月 英武家督相続
文久3年2月 手附・手代発表
     4月 手広住居取り調べ 私領渡し騒動

代官所もかなり慌ただしかったことが予想されますが、こうした時期に英龍時代には
名前がなかった手代が袖の下を受け取るようになったこと。村々がいち早く、手代
らのそういった変化に付け入ったことは、注目できると思います。

これ以降、この問題がどうなったのかは「里正日誌」には出ていませんが、結果として
私領渡しはされませんでした。村々の強かな努力が実を結んだのかもしれません。

メガ42


「なんだー。このボタンちょっと押してみるんだな。うーん、なんだー。」



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#1238 No title
こんにちは。

「砥山稼ぎ」の件、外しているかも知れませんが、明治10年の「第1回内国勧業博覧会」に五日市から砥石の出品があったこととは関係ないですかね。42ヶ村に明細の提出を命じている訳ですから、その中にその様な石を産出する村があるという情報があれば、明細に書き出す項目の中にその一項を入れた可能性はありそうですね。
#1239 kanageohis1964さま
なるほど・・・砥石ですか。それは気がつきませんでした。
「里正日誌」に記載されている5ヵ村については、いずれも砥山稼ぎはないと書かれていますので、恐らく全ての村々の書き上げ明細にも記載されていたのではないかと思うのですが。

いずれにしても、砥山稼ぎは金銀鋼鉄と並んで書くくらいですから、大きな稼ぎになった仕事なのでしょうね。
#1240 同情する心
「哲学とは他者に同情しようとする意志の発露である」とは鶴見俊輔の言葉ですが、イッセーさんのブログはまさにそれになりましたね。
正直こういうのが本当の研究だと思います。自分の住む地域の、昔の人々の気持ちに耳を傾ける。私は本当に良いブログに行きあえたものだと思います。前の方のコメントにある砥山稼ぎ=砥石鉱業も卓見だと思います。毎回ものすごい勉強になりますわ。
#1241 悪銭身につかず?
目賀はかせ、袖口までそんなに大きく広げると、
せっかく袖の下に入ったものがすぐに出てっちゃいませんか?

「砥山稼ぎ」は砥石採掘に関係があるのではないかと、当方も感じました。
調べてみたら、「砥山稼ぎ一件諸入用並び砥石代金支払い他に付」
といった文言を多く含む古文書リストが見つかったので。

また、この調査は代官所が袖の下を目当てに実施したのでは?
幕府も財政難なのでそれを黙認したのでは?などと勘ぐってしまいました。
まあ考えすぎでしょうけど(笑)
#1242 甚左衛門さま
褒めすぎです。そこまで言われますと非常に恐縮してしまいます。自分は幕末が好きで、地元の当時を知りたいと思って名主の日記を読んでいるだけですので・・・。
でも、このような史料があることを教えていただいた郷土史家の先生には感謝していますし、甚左衛門さんのように毎回丁寧に読んでいただける読者の方々にも感謝しています。

甚左衛門さんには教えていただいてることも多々ありまして、そちらにもいつも感謝しております。これからもよろしくお願いいたします。
#1243 東屋梢風さま
東屋さんの見つけられた古文書リストを見ますと、砥山稼ぎはkanageohis1964さんが言われたように、砥石採掘とみていいようですね。砥石がそれほどの産業になるとは、ワタクシも初めて知りました。調べたら面白そうですね。

「代官所の袖の下目当て」は実はワタクシも疑っております。というのも、杢左衛門さんらが肴料を渡しているのは代官所の役人だけで、彼らにお金を渡せば効果があると判断しているからです。
文久2年のときには代官所よりも上の勘定奉行に訴えたのですから、3年のこの騒動は代官所が中心となって「仕掛けた」可能性は否定できないんじゃないでしょうか。
#1248 幕府も代官も住民も躍起になったのでは
 野暮用が一段落したのを機に、今回の「私領渡」関連調査の背景について調べてみました。
 文久2年閏8月22日をもって参勤交代制度の緩和がなされました。多くの帰藩者が出て、江戸は人口減となり、経済は下向き、幕藩体制が揺るぎ始めたようです。この実態を体制側も地域住民も直接目にしたのではないでしょうか。
 幕府は支配体制の立て直しとして領地の再編成を眼目とし、「私領渡差障有無の調査」になったと考えます。調査は全国規模で行われたとされます。江川家も敏感に反応し、住民の意向と共にイッセイさんの記事のような動きをしたのだと思います。
 調査の結果は生かされて、元治2年(1865)3月、支配替えが実施されました。多摩郡では田無村他25村が対象になり、里正日誌では「江川太郎左衛門様より馬喰町御裏役所木村薫平謹平様へ御渡し相成り候分」と記されます。
 しかし、村方と江川家が一対になった徹底した反対運動で、田無村他の支配替えは中止になっています。この事件、詳しく分析すると、当時の江川家の実態、村方の勢力関係など面白いことが沢山浮かんできそうです。「砥山稼ぎ」は地方凡例録からも砥石採掘に関する稼ぎと解します。今度は奥多摩の調査が必要ですね。また、引き続いて話題を提供下さるようにお願いします。
#1251 野火止用水さま
解説をしていただきまして、ありがとうござます。
やはり文久2年から3年が、多摩地域にとって一つのターニングポイントになっているような気がします。
特に代官所が幕府と村々のどちらを向いていたのか。あるいは別の方向を見ていたのか、そこが非常に気になりますね。

砥山稼ぎ・・・書類に特記するほどの産業だったのか、なかなかイメージがつかめません。
この当時は剣術が多いに流行しましたが、それで砥石も多く必要になったのでしょうか?

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