先ず最初に

お知らせ

ワタクシこの度、他のブログでもマンガを描かせていただくことになりました。
東大和市の広報活動をする市民サークルのブログ
「東大和 市民ネット」(
入口) です。
「幕末多摩・ひがしやまと」とはチョイ違うテイストのマンガですので、ぜひみなさま
遊びにきてください!
タイトルは
「多摩湖のタマコ」。
いつ更新するかは不定期なので、
毎日チェックなのだ!(6月1日更新)
では、今回の「幕末多摩・ひがしやまと」。
今回は新選組漫画です。
橋本家というのは、土方家とは縁続きの家。
まだ日野にいた頃の歳さんは、この家のたくあん漬が大好きで、土産に一樽担いで
帰っていったことが
「新選組余話」(小島資料館)などに書かれています。
まぁ、漫画のようにここまでデカイ樽だと、棺桶になってしまいますがね^^;
5月の末頃から東京でも気温30℃なんていう日が出てきてしまいました。
ということで、「歳三忌」のくじ引きで当たったコレを飲んでみました。

ジャーーーン
土方歳三の涙サイダー であります!
もうちょっと暑くなったら飲もうと冷やしてあったのですが、その暑い日が前倒しで
やってきたため、この日冷蔵庫から出しました。
飲んでみると、まぁいたってフツーのサイダーです。
歳三の涙なんていうから、意表を突いて「塩味サイダー」かと思ったのですが違いました。
ただ、予想していたよりも炭酸が強めで、そのせいか甘ったるさはなくてスッキリした
喉ごしです。
やっぱり、ペットボトルではなくビンというのがいいんでしょうか。
以前、ビン詰めの方が炭酸が強いって聞いたことがあるんですが、本当かな?
ラベルが昭和30~40年代風の、ちょっとレトロ感があるのもいいですね。
歳さんの写真の下に
「1868年、日本にサイダーが伝来した年、土方は京都・会津から
函館へと転戦していた」と書いてあります。
サイダーが国内に入ってきたのって案外古いんですね。

「なんだー。このボタンちょっと押してみるんだな。うーん、なんだー。」


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こんにちは。
「多摩湖のタマコ」、コメントつけてきました。
小野路は鎌倉古道沿いの宿場だったところですが、何れきちんと歴史を紐解かないとと思ってそのままになっています。今も風情のある街並みが残っている地域ですね。
別ブログへのご訪問ありがとうございます。
小野路は仰るように、かつての多摩がそのまま残っているようなところがありますね。日野まで沢庵樽を抱えて帰るには、けっこうな距離があったと思いますが^^
今日町田が遠くに感じる一番の理由は、いわゆる「多摩の横山」が米軍基地になってるからじゃないでしょうか。多摩川以南で南北に走る公の道が16号か、旧鎌倉街道くらいしかないように思われます。それ以外の道も昔は多数あったのでしょうけど、今じゃわかりません。個人的には稲城から川沿いに黒川、真光寺へ出る道が好きです。
町田市民は都民ではなく神奈川県民だと自覚している、とよく云われますが、以前町田市民だったワタクシの友人も「そのとーり」と言っていました。
道路だけではなく、鉄道も東京都下を南北に走っている路線ってないんですよね。そういう意味では多摩モノレールは重宝します。
小野路も初めて訪れた頃とはだいぶ変わりましたが、
まだ田園・里山の風景を残す良いところですね。
歳さんの叔母さんの孫にあたる人が橋本道助さんでしたか。
あの大樽にたくあんがぎっしり入っていて、それを担いで帰り、
中身を素早く食べ尽くして空き樽に隠れたのだとしたら…スゴイよ歳さん!
でも、着物がたくあん臭くなっちゃうね。
ところで、昨年の総司忌の記事にも、このサイダーが当たったと書いておいででしたよね。
イッセーさん、「土方歳三の涙」に好かれてるじゃないですかー(笑)
小野路の辺りは最近、広い道路が増えてきましたね。町田の中心部に車で行くには便利になりましたが。
そうなんですよ。
土方涙サイダーが当選したのは、今回が2回目です^^
こんな漫画を描いてても、歳さんが許してくれている証と勝手に思うことにします(笑)
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