大名屋敷殺人事件

前回の記事で、文久2年の11月に高木村の百姓・勘左衛門さんが、内藤駿河守の
下屋敷に炭を納めにいったところ、屋敷内の古井戸で遺体となって発見されたこと
をご紹介しました。
勘左衛門さんは事故死なのでしょうか?・・・それとも?

内藤家では月番老中の中井河内守に、この一件を報告します。
全文を書くと長くなるので、後半部分を抜く出します。

「・・・・・早速、村役人たちへ申し遣わしたところ、勘左衛門の倅の才次郎、村役人の
金左衛門、傳右衛門がやって来て、心当たりがございますと申し出たので見させると、
勘左衛門と申す者に間違いないので遺体を引き取りたいと申した。そこで、そのまま
番人を附かせましたが、右のような変死をどのように取り計らえばよろしいのか、この
ことをお伺いいたします。以上。
       戌11月24日                     内藤駿河守      」


遺体が見つかったのは11月21日ですから、即日報告ではなかったようです。
それと、ここでは勘左衛門の死因については、触れられていません。

一方、高木村では村役人たちが江川太郎左衛門代官所に、このことを報告します。
事件が起きた場所は江戸の大名屋敷ですが、亡くなったのは代官支配地の住民です
から、村が届けを出すのは代官にです。


「恐れながら書付けをもって願い上げ奉ります。
武州多摩郡高木村の村役人たちが申し上げます。
去る21日、内藤駿河守様の内藤新宿御下屋敷の御役人から話があるとのことで、
百姓勘左衛門の倅を同行して屋敷へ来なさいとの通達が、同日夜9ツ(12時)に
届きました。
勘左衛門と申す者が、先月20日に江戸のお出入り屋敷へ売り物に出たまま立ち
帰らず、心当たりを方々尋ねましたが行方がわかりませんでした。
(中略)
先日21日の朝、当屋敷内の朽ち果てた古井戸に町人躰の男が落ちて死んでいる
のを発見したとその筋へ訴えがありました。
そこで早速担当の者が立ち会って見届けたところ、死骸のそばに売上の帳面があり
ました。この帳面を見ると、高木村炭屋勘左衛門と認められたので、同人に間違い
ないと知らされました。
倅ともども死骸を見届けるよう申し聞かされ、一同立ち寄り見届けたところ、全く勘左
衛門の死骸に間違いありませんでした。」


長いので一度区切りますが、勘左衛門さんは江戸へ出てひと月の間行方がわからな
かったようです。遺体が持っていた帳面から身元がわかったようです。でも定期的に
出入りしていたのだから、誰かが顔を知っていたと思うのですが、顔がわからない
ほどだったのでしょうか?

「死骸は村方の者たち、その他お屋敷からも番人が付け置かれました。
死骸は変死の疑いがあるので、とりあえずこのことを訴え申し上げます。
井戸の中の死体の様子は、いかにも不審がましく見えました。自分から誤って落ちた
とは思えません。
元々勘左衛門は、出入り屋敷へ支払の受取のために
出府いたし、
すでに死骸のそばにあった控帳には、今月2日に内藤家下屋敷
からの支払い金15両あまりの記入もありました。
その他、倅の才次郎が今月上旬に勘左衛門の行方を尋ねにお屋敷へ罷り越したとき、
先月29日に上屋敷でも御殿の支払いがあり、今月2日には金26両2分あまりの受取
金があったとその筋から才次郎も確かに承知しています。」


さぁ、新事実。
勘左衛門さんは今回、炭の代金を受け取りに江戸へ行っていたようです。
そして、帳面には内藤家の上屋敷・下屋敷から26両2分の代金を受け取っていたこと
がわかりました。
では、そのお金は?

「このような大金を持っていたことから、万が一この金子のために変死を遂げのでは
ないでしょうか。
こうなっては心外のことであり、妻子をはじめ身寄り・親類たち一同挙げて悲嘆に沈んで
おります。
実際に自分から井戸に落ちたのであれば、支払いで持っていた金は井戸の中に有る
と思われます。その真偽が分からず、妻子は途方に暮れております。
何とぞ御慈悲をもって、この一件につき内藤駿河守様の役場へお掛け合いくださり、死骸
の取り置き方を御下知くだされますよう、願い上げ奉ります。以上。
                  武州多摩郡高木村 村役人惣代
                                  組頭 傳右衛門
                                  名主 金左衛門
 文久2戌年11月25日
     江川太郎左衛門様 御役所                          」


お金はどうやら現場に残されていなかったようですね。
そこで村では「お金のために勘左衛門は命を落としたのでは」と思っているようです。
しかし、現場は大名家の屋敷内。百姓が意見を言えるものではありません。
彼らがすがるのは唯一、代官所。ここだけが武士社会と天領農村を結ぶ窓口にはなる
のですが・・・。
内藤家は家康の頃から徳川家と深い繋がりのある大名家です。
代官も手が出せなかったのでは、と思います。

最後に高木村が、内藤家に差し出した書状です。

「差し上げ申します一礼のこと
    江川太郎左衛門代官所 武州多摩郡高木村 変死人 百姓勘左衛門
右の者は今年50歳になり農間に炭の商いをしておりますが、先月20日にお出入りして
いるお屋敷様の支払いを受けとりに罷り出て、その後帰りませんでした。お屋敷の古井戸
へ落ちて死んでおりましたので、お屋敷様様からお届けがありました。
今月27日、御検分が済み、死骸を私どもも見させられました。左の襟に長さ6寸
ほどの切り傷1ヶ所深さ分からず、額にそぎ傷1ヶ所、顎に
長さ1寸ほどの切り傷がありました
が、遺体をお引渡しくだされますよう
願い上げ奉りました通りに、お聞きくださり、誠に厚く扱っていただき有難く幸せに存じ
奉ります。
しかる上は勘左衛門変死につきましては、お屋敷様へ少しも言い分はございません。
これにより後の証として、一礼差し上げ奉りますこと件の如し。
               江川太郎左衛門御代官所 
                 武州多摩郡高木村 百姓勘左衛門倅 才次郎
                              組頭 百姓 万五郎
 文久2戌年11月27日 
                 親類惣代 
                 同御代官所 
                   同州同郡中藤村 百姓 四郎兵衛
                 右高木村役人惣代  組頭 傳右衛門
                               名主 金左衛門
 内藤駿河守様御内
       石掛清五郎殿
       小野益太郎殿                             」


またもや新事実。
刀で斬られたと思われる傷が何ヶ所にも勘左衛門さんの体にありました。
これはもう、殺人事件と見て間違いないでしょう。
しかも大名屋敷の中でなのですから、犯人は内藤家中にいる可能性がとても高い
ことになります。

しかし、百姓には何もできません。
遺体を丁寧に扱って、返却してくれてありがとう・・・これしか言えないんですね。
才次郎さんたちの心中、察するに余りあります。
しかも、集金した金26両2分も戻ってはこなかったようですが、これはさらに追い打ち
をかける辛さです。
炭の仕入れにかかった代金もこの中から払うハズだったでしょうから、この後で家族が
どのように生活を立て直していったのか、150年以上も昔のことながら気になって
しまいますよ。

以上が「大名屋敷殺人事件」の一件です。犯人は誰か?どうなったのか?
村の日誌ではこれ以上のことはわかりませんでした。
しかし、他村である高木村の事件に、なぜ杢左衛門さんはこんなにも史料を残して記録
したかったのでしょうか?
このことは杢左衛門さんだけではありません。
現在は武蔵村山市域にあたる中藤村の「指田日記」にもこの事件は記録されているの
です。

文久2年11月21日
「高木村の勘左衛門、出入り屋敷の内藤侯の新宿下屋敷内古井戸の中に、右勘左衛門
を殺害して入れ置いたことを、申し来る。」


これによると、21日に連絡が入った時点で、これは殺人事件だったことが判明していた
ようですね。しかし、事件の起きた場所が譜代の大名屋敷だっただけに、当事者たちは
それを正面切って言えない所があったのでしょう。
いくつかの村で記録が残るほど、当時はショッキングな事件だったに違いありません。

メガ38

お知らせ
ワタクシこの度、他のブログでもマンガを描かせていただくことになりました。
東大和市の広報活動をする市民サークルのブログ
「東大和 市民ネット」入口) です。

「幕末多摩・ひがしやまと」とはチョイ違うテイストのマンガですので、ぜひみなさま
遊びにきてください!
タイトルは「多摩湖のタマコ」
いつ更新するかは不定期なので、毎日チェックなのだ!


「なんだー。このボタンちょっと押してみるんだな。うーん、なんだー。」



にほんブログ村 歴史ブログ 幕末・明治維新へ
にほんブログ村


にほんブログ村 漫画ブログへ
にほんブログ村


人気ブログランキングへ

スポンサーサイト

トラックバック一覧

コメント一覧

#1194 No title
こんにちは。
多摩湖のタマコちゃん、拝見しました。これからの展開をとても楽しみにしております。
実はわたし・・・、落語サークルでの芸名が 「 上北亭タマコ 」 なんです。 イッセーさんのタマコちゃんのように可愛くなくて非常に申し訳なく思っております。
そんなこんなですが、どうぞよろしくです。
#1195 はづきさま
ありがとうございます。
名前がカブってしまったようで、スミマセン(汗;)
ワタクシの絵を「可愛い」と仰ってくれたのは、はづきさんが初めてです(笑)
今後ともどうぞ、よろしくお願いします。
#1196 なんともかんとも
理不尽な結末ですが、当時としては珍しくなさそう。
記録を残した杢左衛門さん、いつか真相が解明されるよう願ったのでしょう。

おそらく被害者が大金を所持していると知って襲ったと思われ、
その意味でも犯人もしくは共犯者が内藤家中にいた可能性が考えられます。
せめて気の利いた重役が、内密に捜査・処罰していてくれればよいのですが…

タマコちゃんというと、瓊子ちゃんを連想します(笑)
顔の市章は、体の一部ですか、それとも目蔓ふうマスクですか。
また、あの取水塔に住んでいるのでしょうか。風光明媚ですね~
#1197 東屋梢風さま
恐らく犯人は内藤家にいたのでしょうね。
仰るように大金を持っていたことから襲われたのでしょう。
史料によれば、勘左衛門さんと内藤家は長い付き合いだったようですから、勘左衛門さんも「まさか」だったのでしょう。家中によほど金に困った人がいたのですかね。

別ブログもみていただき、ありがとうございます。
東大和市の市章をよくご存知でしたね!
#1200 遺体の処理
このような「遺体の処理」を書いた書きつけは、きわめて形式的なもので、人情をさしはさむ余裕はなく、また嘘も多いもののようです。明らかな殺人なのに、そうとは書けず、「済んだこと」にしなければならない才次郎の心中は想像するに余りあります。そういう意味では150年もたって、ブログで取り上げられたことは、大変意義のあることではないでしょうか。

また、この事件、指田日記、里正日記に加えて、実は伊豆韮山江川家に「武州高木村百姓勘左衛門義内藤駿河守下屋敷において変死取計方伺書」という文書が存在しているようです。(「伊豆国韮山江川家文書 簡易検索画面」参照)
江川邸は、連絡をいれておけば史料の閲覧、場合によっては撮影が可能です。但し内容がどの程度かわからないので、あるいはたいした情報も載っておらず、徒労に終わるかもしれませんが。
#1202 甚左衛門さま
時代劇を見慣れているせいか、あるいは現代の警察の捜査能力に慣れてしまっているせいか、殺人事件が起これば少なからず捜査が行われるであろうと思いがちですが、江戸時代はそんなに甘くないんだよと、改めて釘を刺されたような史料だと思います。
勘左衛門さんのご子孫は現在でも市内にいらっしゃいまして、この事件とは別ですがとても興味のあるお話を伺いました。
いずれ許可をいただいた上で、ブログにも載せたいと考えています。

江川家の情報もありがとうございます。
すぐというわけにはいきませんが、メモっときます!

コメントの投稿

名前

タイトル

メールアドレス

URL

本文

パスワード

非公開コメント管理者にだけ表示を許可する