新選組漫画 130 と、流山廻り

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2回連続で漫画になってしまいました。スミマセン・・・。
その理由は後ほど。

新選組の負のイメージ「血なまぐさいしィ・・・」を逆手に料理してみました。
そういえば「花燃ゆ」の視聴率がついに10%を切ったそうですねぇ・・・。
その前のアンダー10%は「平清盛」だそうですが、それは最終回のとき。
まだ前半部分でこんな数字が出ちゃうってことは・・・池田屋で「血なまぐさい」
新選組が登場する前に、マジで放送打ち切りなんてコトに!?

ココから先は続きをどうぞ!
先日、江戸検一級同期の方々と千葉県流山の史跡巡り
してきました。
まぁ、それで「里正日誌」をまとめる時間がなかったもんで、今回の更新は
漫画となってしまったワケです。

流山は以前にも行っておりまして、当ブログにもそのレポートを書いてあります。
今回もほぼ同じ箇所を回りましたので、ご興味のある方はそちらをご覧くださいね。
「流山だよ全員集合!」クリック!)

IMG_0775a.jpg 流鉄流山線流山駅。
小さくてカワイイ駅です。
実際には1つ手前の「平和台駅」で降りて、流山散策をしました。

IMG_0738a.jpg 赤城神社
前に来たときもビックラしました、この大注連縄。
この大注連縄は毎年10月の祭礼のときに、新しいものと取り替えられます。
前に来た時は10月だったので真新しい注連縄でしたが、今回は半年熟成されて
イイ感じになっています。
昔は屋根がなかったので、1週間で降ろしてしまったそうです。雨に濡れたりすると
重さが1tほどにもなるんだそうで・・・そりゃ、危ないわな。

屋根ができてからは1年間飾られているようですが、新しいものと交換したら古い
注連縄はどうするのでしょう?
境内にいた地元のおじさん曰く
「産業廃棄物だからさ、捨てちまう!」

・・・・・まぁ、確かに。そうだろうけど・・・。
1年間神社を守ってきたワケだからさ、もうちょっとなんか他に言い方が・・・。
ていうか、細かく切って「お守り」にして配ったらいいんじゃないの?と思ったりして。

IMG_0755a.jpg 近藤勇本陣跡

IMG_0757a.jpg 長岡屋土台石

流山市の史料「恩田家文書」には「長岡七郎兵衛方本陣」と書いてありますが、
実際にはこの場所から70mほど北西の、江戸川土手の道路に面した場所に
あった長岡儀兵衛方に近藤らはいたようです。

新政府軍に包囲された新選組は、局長の近藤勇が出頭します。
「自分は流山にいる賊徒を鎮めるために来た、旗本の大久保大和である」
と主張し、急場を凌ごうとの計算でした。
ところが、包囲していた新政府軍の中に彦根藩士の渡辺九郎左衛門という者が
いました。彼は京都でたまたま近藤を見かけたことがあり、
「大久保って近藤じゃね?」
と言ったもんだから、さぁ大変。
近藤は新政府軍東山道軍の本陣がある、板橋まで連れていかれることに。

IMG_0768a.jpg 矢河原の渡し

IMG_0767a.jpg

近藤さんはココから連行されていきました。
実は前回に来たときは途中から雨に降られ、この場所に来ることができなかった
のです。今回は念願叶って来ることができました。
菜の花、満開を少し過ぎたとはいえ素晴らしいロケーション。

結局、近藤さんは板橋宿で、かつての部下で、後に御陵衛士となり新政府軍の
一員となっていた加納鷲雄、清原清と面会することになり、決定的に正体がバレて
しまうのでした。

この日(4月12日)は、流山市では「近藤勇忌」が行われていたようですが、我々は
綾瀬の五兵衛新田金子家を見たりしながらやって来たので、時間が合わずに
会場に行くことはできませんでした。
ちなみに近藤さんの命日は慶応4年4月25日。(1868年5月17日)


帰りは流山駅から流山線に乗って、幸谷駅まで。

IMG_0731a.jpg

流山駅に着いたら、電車が発車寸前。もう切符を買う余裕もないンす!
(ちなみに流鉄流山線はパスモとかスイカは使えません。)
そしたら駅員さんがそのまま改札通してくれて、
「降りる駅でお金払ってくれればいいですから」って。
流山駅は始発駅だからってのもあるのでしょうが、こういう時に小さい
トコロは小回りがききますね。親切、流山鉄道!
幸谷駅からは新松戸駅に乗継ぎできます。

IMG_0732a.jpg

駅がこれだけ。カワイイ。

そういえば「鰭ヶ崎」って、ワタクシの学生時代の友人が今住んでいるんだっけ!
彼、サークルでのニックネームは「ドテチン」だったなぁ。
なぜって?
だって、似てるから。そう、「ギャートルズ」のゴンの親友に。
2年くらい前に会ったきりだけど、何やってんだろ?
マンモー追ってるのかな?

流山にマンモーいますか?


「なんだー。このボタンちょっと押してみるんだな。うーん、なんだー。」



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#1142 源さん
血を飲んだことがないのでわからないのですが、
どれも鉄っぽい味がするんでしょうね。たとえ美人(likeガッキー)の血でも私は飲むの、いやですね。

新撰組は詳しくありませんが、何か縁の下の力持ち的な源さんは好きです。一番多摩っぽい人のように思えるんです。
#1143 烈士あり
イッセーさんはご存じでしょうが、いずれまたの機会があれば
光照寺の須藤力五郎の墓にもおいでになってみてはいかがでしょうか。
この人は田中藩士で、旧幕方に味方したため暗殺されたのだそうです。
墓碑の碑銘は山岡鉄舟が揮毫しています。
近藤勇と親しく語り合ったという説もありますが、これは事実かどうかわかりません。

スッポンやフナは、鍋物にでもしたほうが食べやすいのでは(笑)
ちなみに、マムシとくれば近藤周斎先生ですよね。
若い頃、ヘビを見つけるとマムシだろうとアオダイショウだろうと
捕まえて皮をはいで食べちゃうので、
いつしかヘビのほうで先生の姿を見かけると隠れるようになったとか。
ヘビ同士の口コミで「あの剣術遣いに気をつけろ」とか広まったんですかね。
#1144 甚左衛門さま
血液は本当に栄養価が高いらしいですが、ワタクシも敬遠してトマトジュースあたりにしておこうと思います。

源さんは総務のような仕事をずっとやっていた人のようで、隊士の川村三郎(近藤芳助)が「文武トモ劣等ノ人ナリ」と語っている所から、あまり正当に評価されていない感じがします。
彼は幹部の中でも一番の年長者ですし、兄は日野の実力者ですから新選組内への影響力はもっとあったように思います。能ある鷹は爪を隠すみたいな部分があったのではないでしょうか。
そもそも、ホントに源さんって呼ばれていたのかなぁ?
#1145 東屋梢風さま
須藤力五郎は、所謂田村銀之助の話に出てくる「田中藩陣屋乗っ取り」のときに内応していたと云われる人物ですね。銀之助の話は現在は否定されていますが、須藤はかなり領民に慕われた名代官だったようですね。鉄舟揮毫のお墓なら、一度見てみたいです。

周斎先生、サスガですねー。妾を何人も囲っていたいただけのことはありますな。
ワタクシも生き血はカンベンですが、ヘビの肉は一度食したいと思っております。鶏に似ているらしいですね。
#1146 史実
先日は失礼致しました、北総新選組監理幕僚の安房守義将ともうします。
既に公文書や行政資料にて、あの秋元家土蔵部分を含む区画が鴻池こと永岡家で、何処かの妄想家による誤認が拡大している様子ですが、土蔵は別としてあの位置に大久保大和守が滞在したのは史実です。
加えて、明治に開設され夜間航行設備もないやっからの渡しを使うことは不可能です。
創作と妄想に翻弄された11年の観光案内経験から、本当の歴史家によるこ指導を受けたもので、真実は残酷ですが、それが合理的解析でございます。
次回は是非、閻魔堂にてお喋りして行って下さいませ。
#1147 安房守さま
ありがとうございます。
先日はグループ行動でもあり、なかなかお話も聞けずすみませんでした。

五兵衛新田から流山までの新選組を巡る動きは、本などを読んでも諸説あります。ワタクシのような外部の者からすると、なかなかわかりにくいというのが、正直な感想です。
ワタクシも地元の幕末史を勉強している立場から、世間一般に流布している説と、事実が違うということはとても理解できるところです。
流山についても、一度ゆっくりとお話をお聞きしたいと思っておりますので、その節はよろしくお願いいたします。

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