梅吉(梅次郎)に200両もの大金を渡し、古鉄の買い付けを依頼した張本人の
倉之助はどのような反応を見せたのでしょう。
「里正日誌」には、倉之助が甲府勤番頭に提出した書状が残されています。
「恐れながら書付をもって歎き願い奉ります。
米津翁助(※)領分の武州多摩郡乙津村のうち、字落合の百姓倉次郎
こと倉之助が申し上げ奉ります。
私は農間古鉄渡世を営んでいる者ですが、江川太郎左衛門様御支配の同州
同郡中藤村の梅吉は元々懇意の間柄です。
これまで古鉄の買い入れを一緒にして渡世することが度々ありましたので、先月
下旬に梅吉が私の家に罷り越しましたときに、古鉄の買い入れを頼んだのです。
出先において金子が手薄になっては希望する品が買えないと申しますので、元手
として200両余りを渡し、武州八王子宿より甲府辺りへ罷り越しました。
同所柳町の旅籠屋において梅吉が御召し捕りとなり、御吟味中は入牢を仰せつけ
られていることを承り驚いております。
この一件、梅吉が旅先でどのようなことをしたのかは存じませぬが、全て私より依頼
して200両余りの金子を持って出かけたことです。
梅吉は妻子・老母とも8人暮らしで、これまで農業はもちろん、渡世についても専ら
励み、孝行を尽くし続けてきたものです。話し合い納得の上とは申しながら、結局は
私から大金を渡して古鉄の買い入れを頼んだことから、疑わしいと御役人がお聞きに
なり御召し捕りに陥ったとなっては、実にもって梅吉の老母に対して申し訳ありません。
また、時節柄寒さの中牢に入って万が一のことがあれば、なおさら済まないことです。
すでに家族たちは梅吉が御召し捕りになったことを承り、昼夜寝食も忘れて歎き悲し
み、見るに忍びません。
嘆かわしく恐れ入り奉ることですが、梅吉の身分は明白でありますから一時も早く
出牢させてください。さもなくば今年70余歳になる梅吉の母が、長々と老いの病を
患っておりますことから、いよいよ病気が重くなっていき命があることも覚束なく嘆
かわしいことです。
いずれにしても恐れ多いことも顧みず、歎き願い上げ申し上げます。何とぞ格別の
お慈悲をもって前に明らかになっている始末を、幾重にもお考えくださり、梅吉の身柄
御憐みのご沙汰をくだされたく、偏に願い上げ奉ります。以上。
米津翁助(※)領分
武州多摩郡乙津村の内
万延元申年12月 字落合百姓 倉之助
組頭 市左衛門
甲府御勤番頭
太田筑前守様
御役所 」 (※)米津翁助の翁の字は史料では「金偏に翁」
倉之助の嘆願書は、内容的には梅吉の母の代理人半次郎や、砂川新田田堀の勝平
と同じです。その上で、梅吉が大金を持っていたのは全て自分の責任であるから、
老母はじめ家族のためにも梅吉を釈放してやって欲しいと訴えています。
ここまで「梅吉捕縛事件」を
「里正日誌」、「指田日記」と2つの史料から抜き出してみま
した。
大きく違うのは200両という大金の出どころです。
「里正日誌」では一貫して、乙津村の倉之助(倉次郎)が古鉄買入れの資金として彼の
家で渡したことになっています。
しかし「指田日記」では
「江戸屋敷にて拝借」とあり、倉之助の名前は出てきません。
また拝借した金額は230両になっています。
江戸屋敷とはおそらく江川代官所の江戸屋敷のことでしょう。代官所で古鉄買入れの
資金を渡すというのは、かなりの違和感を感じます。
その古鉄の売買ですが、コメントでもいただきましたが当時は鑑札や組合のようなものが
あり、「ちょっと知り合いに任せました」みたいな軽い依頼で仕事ができたものか疑問が
残ります。
それが可能だったとしても、梅吉とは仕事上信用できる人物だったのか?
甲府で怪しまれたのも、派手に飲食をして目立っていたからでしょう。その辺りを見ると、
悪人とは言わないまでも慎重なタイプとは言い難いようです。
参考までに、「指田日記」の安政5年(1858)12月16日の所に、こんな記述を見つけ
ました。
「16日 豊蔵の隠居宅で起きた、梅次郎の一件について不埒なことであるので、組合で
集まることにする。」この不埒な一件がどんな内容なのかは、残念ながらわかりませんでした。しかし、どうも
梅次郎(梅吉)の素行が倉之助の言うような「農業や渡世に励み、孝行を尽くす」タイプの
人間ではない印象を与えます。
さぁ、梅吉(梅次郎)はどうなったのか?
そして200両はどんな金だったのか?
次回に続きます>








1月17、18日の土日、立川市の「女性総合センターアイム」というビルの1階で、
多摩郷土誌フェアというイベントがあったので行ってきました。
多摩地域の主だった市町が、それぞれの郷土誌を展示・販売するという企画で、
今年で27回目を数えるそうです。
昨年もこの時期に同場所で行われまして、ワタクシも行って何冊かの本やら
史料やらをゲットしてきました。
で、今年も行われることを
「カレンダー東大和」(

クリック!)というブロ友さんの
ブログから知りまして、18日に行ってきました。
参加している地域は東京都下の28市と2町。市史をはじめとして、歴史や観光に
関する本を並べておりました。
こういう本って、図書館に行くかそれぞれの地域の郷土資料館みたいな所に行か
ないと見ることができないから、こういうイベントがあると一度に見ることができて、
ワタクシのような「俄か地方史ファン」にはありがたいことですな。
けっこう人が来ていましたよ。
やはり「新選組」という不動の四番バッターを歴史・観光の中心に擁する日野市が
一番人気のようでした。
あと「千人同心」や「八王子城」の両エースがいる八王子市などもね。
ワタクシ昨年に、日野市の「佐藤彦五郎日記」を買おうとしたら、2巻が絶版になって
いて悲嘆の涙にくれたのですが、なんと今回それが販売されておりまして、狂喜。
販売員のお嬢さんが5割増しにお美しく見えましたとさ。
ボヤボヤしてたら「多摩湖」を東村山市に取られちゃうぞ!
「なんだー。このボタンちょっと押してみるんだな。うーん、なんだー。」


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イエーイ!まったいっちばーん!
それにしてもイッセー様。日本に住んでいれば当たり前ですが、史実に関する史料や本を沢山入手出来るのは羨ましい限りです。やはり、歴史を知るには地道な地元の史料を探らなければ行けないのですよね。イッセー様がなぜ地元の史料にお詳しいのかが、わかる気がします。私も頑張って勉強しよう。
そういえば、アマゾンで江戸検定一級の本を買おうとしたら、海外なのでダウンロード拒否でした ・゚・(つД`)・゚・ ウェ―ン
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一般的な本はアマゾンなどで買えるようになりましたが、郷土誌となると
自分で探さないとダメな部分はありますね。
でもそのうち、各市町村がこれらの史料を可能な範囲でダウンロードできる
ようにする時代が来るかもしれません。
ワタクシの場合、数年前に初めて自分の住む東大和市の郷土史を勉強する
公民館講座に参加して、そこから地元の歴史に興味を持ちました。講師の
先生がとてもいい方で、蓄積されているデータや知識も膨大なものですから
現在進行形でその先生について勉強している最中です。
本から得る知識も重要ですが、人から教えていただく知識の伝達もまた、大きい
力だと思っております。
でも、琴乃さんの桑港のレポなど、住んでいる人ならではの視点でとても
面白かったです!
江戸検については、今度事務局の人に会ったら言っておきますね。
ひょっとして梅吉は、「倉之助から預かった200両」と
「4人の代表として預かった230両」との双方を手にしており、
230両は別のどこかに隠したのか???などと想像してしまいました。
質屋・古着屋・古鉄屋の3業は、他の農間渡世よりも統制が厳しかったそうですね。
理由は、盗品故買に絡む可能性があること。
また、質業を始める時は、村と組合村の双方から代官所に願い出るとか。
つまり、お上の許可以前に、村と組合村の同意が必要です。
古鉄屋も同様だったかも。
梅吉について、商取引の経験はあったろうけれども
自らが経営主体として商売をしていたかどうか、疑問に思ってきました。
これまでの行状が事実とすれば、経営者には不向きな浅慮…(笑)
今回ご紹介の史料では、以前から倉之助に協力していた模様ですが、
本人の渡世は今ひとつ判断し難いので、ぜひ続きを拝読したく存じます。
梅次郎の泊まった旅籠屋藤助という店は柳町二丁目にあり、史料上では
度々博奕が催されていたところだったことがわかります。
何度も手入れが行われ、その都度無宿が捕まっています。
藤助自身にしてからが、少なくとも生涯のうちに二度はお縄になっており、
「尋ね」のために江戸の奉行所へ送られていることも確認できます。
ちなみに坂田日記では梅次郎の泊まった宿の名前は出てきません。
藤助へ宿をとったことは甲府の史料からだけではわからなかった事実です。
「里正日誌」では200両、「指田日記」では230両。この差額がこの
梅吉騒動のそもそもの発端を暗示しているような気がします。
梅吉がどのような渡世をしていたのかは、わかりませんでした。
ただ、この事件の2,3年前に梅吉は泥棒に入られ、脇差を盗まれていると
「指田日記」にありました。普段から脇差を所持しているとなると、商売で
あちこち行くことのある人物だったのかなと想像しました。
あるいはやはり、素行の良くない人物だったのかもしれませんね。
これまた、面白いコトが判明してきました。
「旅籠屋藤助」が博奕で有名な宿だとは、そしてその宿に大金を持った
梅吉が泊まっていたとは、2つの史料があって初めてわかる事実ですね。
ありがとうございます。
ワタクシの想像ですが、梅吉が藤助に泊まったのは偶然ではない気がします。
梅吉の素行が窺い知れるようですね。
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