幕末商売人、梅吉救います!

古鉄買いのため200両を預ったばかりに、甲府勤番の役人に怪しまれ牢に入れ
られてしまった中藤村の梅吉さん。
役所の調べでは梅吉は古鉄を買った形跡がなく、飲食にその大金を使い込んだと
のこと。しかし、梅吉の母たよの代理人・半次郎は嘆願書の中で、預った200両の
中から50両は砂川村の勝平に渡されたと訴えます。この50両は、勝平からたよに
渡されるはずのお金だと言うのです。

さぁ、この事件のカギを握ることになりそうな勝平氏。
ここで彼の証言を聞いてみましょう。

「恐れながら書付をもって申し上げ奉ります。

武州多摩郡砂川村の百姓勝平が申し上げ奉ります。
同郡中藤村の紋右衛門の倅梅次郎こと梅吉と申す者が大金を持ち、甲州柳町の
旅籠屋へ宿泊したときに怪しい様子だということを聞き、甲府御勤番御組の人たち
に召し捕られました。
取り調べの上、所持金のうち50両は母へ送金するべく私へ預けたと申し上げた
ようで、私が召し出され右の始末の仔細をお尋ねになったことでございます。

この梅吉は元々縁続きの者です。先月晦日の夕七ツ時ごろ(16時頃)私の家に
来て申し聞いたことは、懇意にしている者より古鉄の買い入れを頼まれた。
多額の金子を預ったが、一時に必要な金額ではないので懐中に入れておくのは
心配である。そこで25両の包み2つ、都合50両を預ってくれと言うので、どう思う
でもなく右の金を預ると、一旦は帰っていきました。しかし夕方になって一泊したい
と言うので、同夜私の家に泊めました。翌朝五ツ時ころ(8時頃)暇乞いをするまで
でございます。
それから4~5日過ぎて、梅吉が先月の中旬以来実家へ立ち戻らず、所々を尋ね
ていることを承り驚きました。
右の金子を預っていることを中藤村へも申し聞き、ともども探していると、この度の
お取調べを受けているという次第に至り、恐れ入っております。

右のお尋ねのことにつき、申し上げましたように間違いございません。以上。
   万延元申年12月26日     武州多摩郡砂川村  百姓 勝平
                             村役人惣代組頭 小三郎
 江川太郎左衛門様 御役所                           」


勝平の証言は、大筋で半次郎の言っていることと同じですが、新事実も見えてきま
した。
先ず勝平が預った50両ですが、これは報酬ではなく、一度に大金を持つのは怖い
から置いていったものだとあります。25両の包み2つと具体的ですが、半次郎の話
にあった「母へ送る金」とは書いていません。
そして注目するのは、約半月の間、梅吉は家に帰らず色々な所を尋ね歩いていたと
いう話です。そうした中で古鉄買いをするので200両を預るということになったよう
です。さらに一旦帰ると言っておきながら、すぐに戻って来て泊めてくれと言うなど、
ちょっと梅吉に不審な行動が見られます。

ところで、梅吉は中藤村の百姓ですが、中藤村ではこの一件をどう見ていたので
しょうか?
中藤村の陰陽師だった指田摂津が残した「指田日記」を見ると、やはりこの一件が
大きく扱われていることがわかりました。梅吉に一番近い場所だけに、どう書かれて
いるのか興味がありますね。
ちなみに、勝平の書状にもあるように、梅吉の本名は梅次郎のようです。

「(12月)朔日庚申 綿屋の梅次郎が、先月8日より氷川入りの者2人と伊奈村の
勘兵衛という者の3人と意気投合して八王子に行き、宿に泊まった。古金を探して
買うといって帰宅しなかったところ、昨夜、砂川田堀の親類の所に一泊して、古金
を飼うための大金を得たということを話した。
50両を親類に預けて立ち去った後に、意気投合した人が来て梅次郎のことを聞い
た。帰ったと答えると、この人は「もっての外の事だ」と仰天して言うには、「梅次郎
は田堀に古金があると言うので、買い取るために江戸屋敷で拝借した金子のうち
230両を預けたら、それを持ち去ったのだ」と言うので、田堀の家一同驚き、梅次郎
の家に知らせに来た。」


うわッ、新事実!
梅次郎(梅吉)が持っていた200両は江戸で拝借した金であり、古金(古鉄)買いを
請け負ったのは彼だけではなく、彼を含めた4人だったとの話です。
しかも、他の3人に黙って田堀から先に行ってしまったようですね。
ちょっと梅次郎にダークサイドな部分が見えてきちゃいましたよ・・・。
ところで、勝平が言っていた11月中頃から梅次郎が帰宅していないという話はどう
なっているのでしょう?

「3日 梅次郎帰宅のために千度参り。鎮守並びに山口観音にて。

5日 梅次郎、欠落を届け出る。」


どうやら何日間も帰っていないのは本当のようです。
挙句の果てには欠落届クリック!)まで出されています。
つまり、失踪人扱いだったということですね。
そして、捕縛の一件です。

「22日 梅次郎が甲府にて召し捕られる。中藤村の名主方へ飛脚が来て、甲府勤番
の手先に捕縛されたことを告げた。
代官所より、明日23日五ツ時(8時)までに出頭するようにとの召喚状があり、今日、
名主並びに中藤村の藤左衛門(組頭)、村の半次郎の3人が出府する。
砂川村の勝平並びに親類を、村役人召しにより出府。」


当ブログにいつも来ていただいている甚左衛門さんからのコメントによれば、甲府の
史料「甲府町年寄坂田家御用日記」にもこの一件が記載されており、梅次郎が捕縛
されたのは12月13日だそうです。
中藤村に知らされたのは9日後ということになりますね。
江戸の代官所に呼ばれた中藤村名主、藤左衛門、半次郎の3人が提出した嘆願書
が、前回ご紹介した書状でしょう。

さて。
前回の記事では梅次郎(梅吉)の一方的な冤罪かと思われた事件でしたが、今回の
記事を見てみると、彼にも何らかの疑わしさがあるようにも見受けられます。
200両もどのようなお金なのか、なおさら気になってきました。

メガ25
梅次郎(梅吉)は綿屋の屋号で呼ばれていました。
彼もまた、農間渡世を生業としていた村民だったのでしょうか。


「なんだー。このボタンちょっと押してみるんだな。うーん、なんだー。」



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#993 ますます複雑になってきました
 200両が230両になり、それは、砂川九番付近(立川市)に古金があるからとの理由と、江戸屋敷からの拝借金との性格が表れて来ました。この辺に鍵がありそうですね。

 山口観音まで千度参りを広げながら、一方で、家出扱いにします。これも、苦慮の末なのでしょうが、村の主立った者の困惑が手に取るように浮かんできます。続きを楽しみにしています。
 
#994 I'm your father...
梅次郎(梅吉)が所持していた大金について、
『指田日記』の記述には倉之助の関わりが窺えないようですね。
しかし、前回ご紹介の12月26日覚書では
倉之助も連名しているので、無関係とは考えにくいです。

梅次郎(梅吉)が甲府で派手に飲食した件、
「捕まる前にパーッと使っちゃえ」と開き直っていたようにも感じられます。
4人の代表として大金を手にした時、悪い心が芽生えてしまったんでしょうか。

梅次郎(梅吉)が農間渡世を営んでいたか、判断が難しいですね。
ただ、質屋勝平は財産家と思われ、縁戚関係にある梅次郎(梅吉)の家も
同様の分限者、という可能性は高いと思料します。
#995 野火止用水さま
「里正日誌」だけを見ると、事件そのものは単純な誤解からくるものかと
思ったのですが、念のため「指田日記」を当たると、どうも根が深そうだぞ
と思いご紹介した次第です。
仰るように、千度参りと欠落届をほぼ同時にしていることが、当時の村民の
特徴をよく表しているなと思いました。
#996 東屋梢風さま
そうなんですよ、「指田日記」には倉之助が出てこないのが不思議です。
しかし、次回は倉之助の証言もご紹介しますので、お待ちください。

200両の大金で買い付けができる(少なくとも任せられる)という点を見ても、
梅吉が農間渡世をしていた可能性は高いとワタクシは思ったのですが、いかが
でしょうか?
ただ、信用できる男か?という点には疑問符がつきつつあります(笑)

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