幕末商売人、金持ってます!

お正月気分も一段落ついた頃かと存じますが、みなさん良い新年をお迎え
でしょうか。
「実家に帰ったら甥や姪がいっぱいいて、お年玉をごっそり取られたよ」
なんて方もいらっしゃるかもしれません。
お正月に一番景気がいいのは、親戚が多い子供かもしれないですね。
今の子って、どれくらいお年玉をもらってるのでしょう?

小学生の頃、お年玉をもらってズボンの尻ポケットに入れてたら、祖父
に掏られたことがあります。
祖父は職人だったもんで、手先が器用なんですよ。
「家の中でも、身内ばかりでも気を抜くな!信頼はしても信用はするな!」
それが祖父の教えでした。恐ろしい一族に生まれたものです。
先祖は雲霧仁左衛門かなんかじゃないでしょうか?

ということで、今年最初にご紹介する「里正日誌」の記事は、お金の話。

「中藤村の梅吉が大金を所持していたのでお召し捕りになった一件
   議定の事

中藤村(武蔵村山市)の梅吉は、乙津村(あきる野市)落合に住む倉之助より
古鉄の買い入れを頼まれたので、同人から受け取った金を持って甲府柳町の
旅籠屋に泊まっているところを、大金を持っているので怪しいとお上の耳に入り、
この度現地にてお召し捕りになった。
御吟味の最中は入牢を仰せつけられたようである。
右のことは、日頃から懇意の間柄であり、相談納得の上で倉之助より渡した金を
梅吉が所持していたことから起きた。このようにお召し捕りとなっては、なんとも
不憫の至りである。」


中藤村の百姓梅吉が大金を持って旅をし、甲府の旅籠に泊まっていたところを、
甲府勤番方の役人に怪しまれ、捕縛された上、牢に入れられてしまったというん
ですね。
梅吉が所持していた金額は、他の史料によれば200両だったそうです。
この200両は梅吉と親しい乙津村の倉之助が、古鉄買入れの資金として彼に
預けたもの。
しかし、200両というのは大金です。現在の価値に換算すれば安く見積もっても
1000万円はあるでしょう。
大店の主人や大番頭ならともかく、百姓の梅吉が大金を持っていることに役人は
犯罪性を疑ったのかもしれません。しかし、事情を知る村人たちは梅吉が不憫で
なりません。なんとか助けようと動きます。

「これにより、立会人たちが取り計らって、梅吉の参考人として一同甲府表へ罷り
越し、同人の身柄を御慈悲奉るべく願い上げることになりました。
梅吉の所持金のうち減金足金、並びに梅吉の身分を明かすために甲府へ一同
が着くまでの見積もりとして金40両と定め、この分は梅吉の親類たちより出金。
また、一同が到着した上は、梅吉の身分を明かす経費は親類たちが賄うはずで
ある。
かの地へ罷り越し、梅吉の身柄を下げ渡し願いとしての臨時経費は折半と取り決
め、余った経費は互いに工夫して使い、お慈悲を願い仕ることとする。
願いの通り梅吉の身柄がお下げ渡しとなった上は、たとえ見積もりより少なかった
としても右の40両を親類たちは間違いなく出金し、倉之助へ返済するようそれぞれ
話し合いが行き届いたことは少しも違いのないことである。
これにより後の証ため、立会人一同連印をして取り交わし定めたことは、このこと
である。
    万延元申年12月26日    乙津村の内字落合  百姓 倉之助
                            組頭 市左衛門
                  砂川村       百姓 勝平
                            組頭 小三郎
                  中藤村      梅吉母代理 百姓 半次郎
                            組頭 藤左衛門
                  伊奈村      立会人 名主 孫兵衛
                  下田村      同   同  捨五郎
                  蔵敷村      同   同  杢左衛門 」


さらに、梅吉の母親も息子の無実を訴えます。
お母さんの名前は「たよ」と言いますが、71歳と当時では高齢の上、病気で臥せって
いる様子。そこで彼女の代理人として半次郎という人が、書状を江川代官所に差し出
しました。彼は梅吉の親類かもしれませんね。

「たよの倅梅吉がこの度、甲府柳町の旅籠屋藤助方に泊まっていたところ、多くの金子
を所持し怪しいとのことで、甲府御勤番御組御廻りの役人にお召し捕りとなり、ひと通り
の御訊問がありました。
今月の1日に、武州多摩郡五日市乙津村の倉次郎より頼まれ、かの地へ行って古鉄類
を買いに行く話し合いをして金207両3分を持たされました。そのうち50両は同郡砂川
村字田堀の質屋勝平に預け、母へ差送るよう頼んだことを申し上げました。
ところが、古鉄買い取りの様子もなく、右の金子のうち酒食に遣い捨てる始末は怪しく
明らかではないので、御吟味の間入牢を仰せ付けられました。
このことについて梅吉の申し立てます通り間違いありませんので、参考人、梅吉の母とも
早々に村役人が付き添い太田筑前守様の御役所へお差出しになりますよう、当御役所
へお掛け合いしてくださいまして、始末を正してください。

梅吉について申し立てますことは、砂川村の勝平は、たよの娘が縁づいた聟より深い縁
の間柄でありますが、梅吉より勝平に渡しました金子50両はたよの方へ受け取った覚え
はまだありません。
かつ、梅吉は先月中に出かけたまま立ち帰っておりませんので、当時お尋ねございます
ところ、この度前書のお掛け合いのこと承知仕りましたことにて恐れ奉ります。

右お尋ねにつき、いささかも相違ございません。以上。
  万延元申年12月26日  武州多摩郡中藤村
                    佐兵衛組百姓梅吉母たよ煩いにつき代り
                      百姓 半次郎
                    村役人惣代
                      組頭 藤左衛門
  江川太郎左衛門様 
     御役所 
                                            」


倉次郎となっていますが、これは倉之助のことでしょう。太田筑前守はこの時の
甲府勤番頭です。つまり梅吉訊問の責任者ですね。
この書状で、もう少し話の具体性が見えてきました。
梅吉は古鉄買入れの代金として200両余りを倉之助から受けとり、そのうち50両を
母親に送ってくれるよう親類の勝平に頼んだのですね。この50両は報酬かもしれ
ません。
しかし甲府ではまだ古鉄を買った様子がない。それなのに200両預ったうちの50両
がなくなっているのは飲み食いの遊興費に使い込んだからだろう、というのが梅吉に
かけられた容疑のようです。

さて、商売用の元手金として大金を持って旅をしていたことから、とんだ災難に巻き込ま
れてしまった梅吉さん。
彼の運命や、いかに!?

20150106.jpg


鳥羽・伏見の戦いが始まったとき、沖田さんは結核で、近藤局長は狙撃で右肩を
負傷していて戦線を離脱中。大坂城で療養していました。

ブラッシングして出た抜け毛でクッション作りたいとか、毛糸に紡いでセーター編み
たいとか、MA-1の中綿にしてオープンカーで飛ばしたいとか、猫を飼っている方
なら誰でも一度は妄想することですよね。
実際、ワタクシも先代の猫さんが生きていた頃、ブラッシングで抜けた毛を集めて
マスクメロン大まで「育てた」ことがあります。
特にどうしようという目的もなかったのですが、その子が亡くなったときに遺品として
とっておこうと本棚の一番上に置いておきました。
その後ウチにやってきたのが現在の大幹部・テンちゃん。(年賀状の三毛)
たぶん同じ猫のニオイに惹かれたんですかね。この抜け毛ボールに気付いて引っ
張り出し、バラバラに分解してしまいました。一夜明けたら部屋中一面猫の毛絨毯
状態。さすがに泣く泣く掃除機で処分いたしました。

最近はペットの抜け毛でフェルトを作る、なんてサービスをしているお店もあるよう
ですね。


「なんだー。このボタンちょっと押してみるんだな。うーん、なんだー。」



にほんブログ村 歴史ブログ 幕末・明治維新へ
にほんブログ村


にほんブログ村 漫画ブログへ
にほんブログ村

スポンサーサイト

トラックバック一覧

コメント一覧

#979 勉強することだらけ
 万延元年(1860)という時代に
 200両の大金を持つ農村の若者
 古鉄の売買と委託
 事件が起こったときの名主クラスの「立入人」
 気がついた言葉を取り上げると、その背景と実態とを知りたくて、じっとしていられなくなります。正月早々、良い問題を取り上げて下さり、感謝です。
#980 人選ミス?
近藤先生、それは羽織というより綿入れ半纏です…

梅吉の大金所持がバレた理由は何かと思えば、飲食で派手に遣ったとは。
羽目を外してないで頼まれたことを真面目にやれよ!って感じですね(笑)
こういう梅吉が大金の取り扱いに慣れていたとは考えにくく、
経緯が申し立てのとおりなら、倉之助はなぜ梅吉に任せたのだろう?と思えます。

倉之助は、どのような農間渡世をしている人でしょうね。
古鉄屋も同業組合や鑑札があって勝手な営業はできないでしょうから、
もともと古鉄や古物の商売を営んでおり、それで資金も用意できたのかな
と思いました。(質屋の勝平は、商売上の知り合いかも?)
だとすれば買い入れを任せる相手も、もっと適切な人選ができてよさそうな…(笑)
#981 初めまして あけましておめでとうございます
初めまして 

これはまた、新年そうそう素晴らしいブログにたどり着いてしまいました。私も拙いブログを運営しているのですが、とても勉強になります。

一つ一つの記事が、史実をしっかり検証してあるのに面白いのが凄いです!私もぜひとも参考にさせていただきます

よろしければ、拙宅のブログもご覧くださいませ!もし史実に間違や指摘する部分があれば、遠慮なく突っ込んでくださいまし!

よろしくお願い申し上げます
#982 野火止用水さま
今回の200両事件、前回ご紹介したかねちゃん誘拐事件。それらを見ていくと、
幕末期の農村やそれを管轄する幕府役所のイメージが、従来我々が思い描いていた
農村像とかなり違うような印象です。
この辺りのことを丹念に追って調べていくと、リアルな幕末の舞台が見えてきて
大きな発見がありそうですね。

#983 東屋梢風さま
倉之助と梅吉がどのような関係だったかは、仰るように気になりますね。
200両もの資金を預けるというのは、よほどの信頼関係があったと思いますが、
「懇意の関係」とだけではちょっと納得ができません。
おそらく、倉之助は身分上は百姓なのでしょうが、200両の元手で商売ができる
ことを考えると、古鉄業者と考えていいかもしれませんね。となると、なおさら
梅吉との関係が気になります。
今回ご紹介した資料では、梅吉が一方的に「かわいそうな人」になっていますが、
本当のところどうなのか?そこもポイントですね。
#985 琴乃さま
はじめまして。コメントありがとうございます。

当ブログは「猫でもわかる幕末史」をテーマに、ワタクシが住んでおります多摩地域の
150年前の歴史を追っております。話ばかりだと疲れるので、多摩地域の幕末ヒーロー
新選組の漫画も合わせて載せております。
ということで、歴史に詳しい方には物足りない内容かもしれませんが、お付き合いして
いただけると嬉しいです。

琴乃さまのブログにもお邪魔させていただきました。
面白いです!
土方さんのファンなのですね。こちらの漫画ではかなりボケさせているので、勘弁して
ください・・・!

こちらこそ、よろしくお願いいたします!
#987 あけましておめでとうございます。
今年も興味深い記事からはじまりますね。楽しみです。
中藤の梅吉(梅次郎)に関しては甲府の史料「甲府町年寄坂田家御用日記」にも残っていますので一寸ご紹介します。(長文失礼)

・万延元年12月13日条…武州多摩郡中藤村門左衛門倅梅次郎、愛宕町無宿栄次郎、出羽国無宿忠蔵召捕られ盗みいたし候始末一通りお尋ねの上入牢仰せ付けられ候
・万延二年2月3日条…牢内より梅吉召し出され去12月中多分之金子所持いたし居り怪しき躰により召捕られ、御吟味中申し口不分明に付き入牢仰せ付け置かれ候ところ追ゝ申口相分候に付き御構これ無く出牢の上親類え御引渡す。以来心得違いこれ無き様致すべき旨仰せ渡され証文之を取る。武州多摩郡中藤村右梅吉母たよ煩代親類政左衛門他二人召出され梅吉並び金子御引き渡し証文之を取る。

出羽無宿忠蔵は強盗だったようで、梅吉は彼の仲間と勘違いされたようです。
また彼の釈放直後入れ替わりで「手槍二本」を所持していた竹居村無宿市五郎(吃安の子分)が捕まっています。丁度この時期勤番は竹居一家を捕まえようと躍起になっていました。そういう社会情勢も梅吉捕縛の一因だったのでしょう。
#990 甚左衛門さま
こちらこそ、よろしくお願いいたします。

梅吉の一件につき甲府でも記録が残っていたのですね。
多摩の記録だけでなく現地の史料が揃うと、事件の別の面が見えてきます。
ありがとうございます。
野火止用水さんのコメにもあるように、この一件はなかなか謎の多い部分も
あります。現在、その辺りの史料を当たっておりますのでお待ちください。

コメントの投稿

名前

タイトル

メールアドレス

URL

本文

パスワード

非公開コメント管理者にだけ表示を許可する