高輪を歩く

「幕末・ごめんね青春!」は衆院選挙特番のため、お休みします。(嘘)

文京学院大学生涯学習センターの「江戸散歩」。
愛宕山・芝を廻った2週間後、講座の2回目として高輪を歩きました。
今回のブログは、そのとき講座にご参加された皆さんをご案内した「高輪
史跡廻り」をご紹介いたします。

集合場所はJR・京急品川駅。前回と同じく13時に出発です。
さぁ、今日は予定コースを全部見て廻れるでしょうか?

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先ずは集合場所、品川駅高輪口の真ん前にある石碑を見ましょう。

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品川駅創業記念碑があります。
「江戸散歩」と言いながら、いきなり明治の話でスミマセン。
日本で最初の鉄道が走ったのは明治5年(1872)、新橋・横浜間でというのは
よく知られていますが、実は本開業の4ヶ月前にこの品川・横浜間で仮営業が
行われていました。
つまり、この品川駅が日本で初めて鉄道を創業した駅なのです。
この碑は鉄道開通80周年を記念して、昭和28年(1853)に建てられました。
この石碑が面白いのは、裏に仮営業当時の時刻表と運賃が記されていること
です。

DSCF6974a.jpg 石碑の裏面

時刻表といっても、午前と午後に1往復するだけですけどね。
運賃は1等で1円50銭。今の価値に換算すると1万4~5千円でしょうか。
明治の「乗り鉄」鉄っちゃんも、お財布の中が大変だったでしょうな。

駅前を通る第一京浜は、江戸時代の東海道です。
道路を渡って、少し大崎寄りに行くと小さな神社があります。

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高山稲荷神社です。
今は第一京浜に面して建っていますが、江戸時代はもう少し高台にありました。
なので「高山」の名があります。
この神社には、

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おしゃもじさまと呼ばれる石塔が祀られています。
これはキリシタン灯籠と見られる石灯籠だそうです。
本来はこの上に笠がついていて、そこに灯りを入れると十字架の影が出来ると
いう仕掛けだったようです。よく見ると、石に彫られたお地蔵さん風の人物には
足がついていて、ちょっと見慣れないデザインですね。
高輪周辺にはキリシタン関連の史跡も多く、今回はあと2か所、キリシタン史跡を
廻ります。

さぁ、もう一度品川駅方向に引き返すと、西側に真っ直ぐ伸びる長い上り坂が
あります。

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それが柘榴坂です。
浅田次郎さん原作の小説で、今年映画化された「柘榴坂の仇討」の舞台がここです。
桜田門外の変のその後を描いた物語ですが、二人の主人公、志村金吾(彦根藩士)
と佐橋十兵衛(水戸浪士)は架空の人物。映画では金吾を中井貴一さん、十兵衛を
阿部寛さんが好演していました。
写真で見ると緩やかな坂道に見えますが、長く続きますので、十兵衛のように雪の中
人力車を引いて上るのは大変だったことでしょう。

この柘榴坂を挟んで、右側(北)は島津家、左側(南)は有馬家の広大な藩邸があり
ました。
文久2年(1862)8月に起きた生麦事件では、当日、島津久光はこの屋敷から行列
を仕立てて帰国のために出立しています。
また、慶応4年(1868)3月13日には、勝海舟と西郷隆盛が江戸城無血開城に
向けて最初の話し合い
を、ここで行っています。

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薩摩藩高輪藩邸跡
現在はシナガワグース京急EXホテルになっています。この写真は品川駅前から撮った
もの。
ホテルには藩邸時代の様子を伝えるモノは一切残っておらず、ていうか、フロントの誰
ひとりとしてその事を知る人もなく、ちょい寂しい限りです。

柘榴坂を上りきった所に教会があります。

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カトリック高輪教会です。
ここに一つの石碑があります。

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江戸の殉教者顕彰碑です。本日2つ目のキリシタン遺跡。
三代将軍家光は幕府の力を盤石にするために、様々な強権を発動するわけ
ですが、その中の一つにキリシタンの徹底的な弾圧がありました。
元和9年(1623)は家光が将軍に就任した年ですが、その年に三田の刑場
で宣教師を含む信徒50人を処刑したのです。
高山神社のキリシタン灯籠など、この界隈にキリシタンにまつわる遺物が多い
のは、こういったことによるものでしょう。
この碑は昭和31年(1956)に三田の刑場跡に建てられましたが、後にこの
教会に移されました。

ここから北へ一直線に道路が伸びています。高台にある縄のような一本道、と
いうことから古来「高縄手道」と呼ばれました。これが高輪の語源です。
東海道が整備されるまでは、この道が江戸からのメイン街道でした。
坂下の品川駅あたりは海岸で、江戸庶民の行楽地だったといいます。
特に陰暦の正月と7月26日の夜中には、海上に月が出るのを待って拝む
「二十六夜待ち」という行事が盛んに行われました。このときの月には阿弥陀
三尊が出現するからなんだそうですが、それは口実。
この時期に月が出るのは夜中の1時~2時なので、庶民は信仰を言い訳に
夜通し大騒ぎがしたかったってワケ。
でも、天保の改革で引き締められたため廃れてしまいました。

現在の道路と、切絵図の江戸の道は、この高輪の辺りはほぼ一致しています。
その道を北へ向かいます。当時はこの辺りは多くの寺院が建ち並ぶ門前町
でした。
右手に見えてきたお寺も、その一つです。

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光福寺。江戸切絵図には相福寺と出ています。
明治の廃仏毀釈令でツブされたお寺は多いのですが、芝にあった源光寺もその
一つ。同じ浄土宗だからってことで、相福寺に併合されちゃったんです。
で、二つの寺から一字づつ取って光福寺となりました。
こちらに、ちょっと変わったモノがあるんですな。

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それがコチラ。通称ゆうれい地蔵と呼ばれています。
正式には子安栄地蔵尊と言うようです。
品川沖から上がったとも云われていて、海中で摩耗してこんな形になったらしい
とのことですが、なんとも不思議な造形をしています。
もし、最初から意図してこんな形に彫ったのだとしたら、作者は何を作りたかった
のでしょうね?

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そして、もう一つ。ゆうれい地蔵のすぐそばにあるこちらの石塔。
キリシタン灯籠です。この日3つ目のキリシタン遺跡です。
高山神社のおしゃもじ様とよく似ていますね。
昭和37年(1962)に近所から出土したものを、こちらで供養しているようです。

この界隈で一番大きな寺院といえば、コチラ。

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高野山東京別院。高野山真言宗総本山金剛峯寺の別院です。
江戸幕府草創期に浅草に創建されましたが、延宝元年(1673)にこちらに移り
ました。当時の名称は高野山江戸在番所高野寺です。
残念ながら、江戸時代当時のものは境内に残ってはいないようです。

高野山別院のすぐ先の交差点は、かつて二本榎と呼ばれていました。
その頃、そこには上行寺というお寺があって、その門前に2本の榎が植えられて
いたからです。榎は一里塚と同じく、街道の目印でした。

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現在はこのように説明板が立てられています。
後ろの榎は後年植えられたもので、当時の榎は近くの寺に移されたと
云います。

この二本榎の正面に、なんともクラシックなイカス建物がありますよ。

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まるで灯台のようなこちらの建物は、高輪消防署二本榎出張所
でございます。
昭和8年(1933)に「ドイツ表現派」という建築設計で建てられた、鉄筋コンクリート
の3階建てです。高輪消防署の本署は桜田通りの方に移りましたが、こちらは出張所
として残されています。平成22年(2011)に「東京都選定歴史的建造物」に指定され
ました。
3階には展示室があって、誰でも無料で見学できます。

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写真上から。昔の消防服ですね。奥にあるのは江戸時代の火消しが着た刺子半纏
(さしこはんてん)
です。
真ん中の写真は龍吐水という、ポンプ式で放水する装置です。破壊消火中心の江戸
時代において、放水消火は画期的といえますが、水圧があまり高くない上、給水は
いちいち水を汲んで水槽に入れなければならず、大きな火災の時は人足に水をかけ
てあげるくらいしか役に立たなかったとも云います。
右側の龍吐水は、この近くの東禅寺から寄贈されたものだとか。
東禅寺、この後で行くよ。
面白いのが下の写真の梯子。柱の部分が半円状になっていますが、前後にずらすと
桟が柱の中に収納され、一本の丸太になってしまいます。署員の方が実演してくだ
さって、我々一同大喜び。

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1階にはオールド消防車。

消防出張所を出て、目の前の第一京浜へ向かう坂道を下っていきます。
桂坂という坂道です。なんでも、カツラを被って変装して、品川の遊郭に遊びに行こう
とした坊主が、この坂の途中で急死したことからその名がついたそうで。
エロ坊主全開のエピソードですが、遊びに行く途中で死んでるし、ヅラ被っての変な
エピソードが地名として残っちゃったしで、彼成仏しきれませんな。

坂道の途中、洞坂という狭い道に入っていくとたどり着くのが、

DSCF6994a.jpg

東禅寺。禅宗の大寺院です。
安政5年(1859)に、最初のイギリス公使館がこのお寺に置かれました。
しかし、2度に渡ってイギリス公使を襲う事件が、この場所で起こります。

そのお話から先は、また次回!

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伊東甲子太郎が暗殺されたのは、慶応3年(1867)11月18日のことですが、
これをグレゴリウス暦に直すと、12月13日になるそうです。
油小路に放置された伊東の遺体は、血で着物が凍っていた・・・と何かの本で
読んだような記憶があります。相当寒かったのでしょうね。
でも、伊東先生はイジると面白そうなキャラので、この漫画ではまだ生きてもらう
ことに。
今どき「鼻メガネ」つけてXmasパーティーをやる人もいないと思いますが。


「なんだー。このボタンちょっと押してみるんだな。うーん、なんだー。」



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#948 多摩のキリシタン灯籠とは少し違いますね
 興味深く拝見しました。特にキリシタン灯籠はワクワクしました。深大寺の灯籠と比べると少し違います。時代のせいなのか、地域性か、知りたいです。
#949 野火止用水さま
できれば灯を入れる部分が残っているといいのですが。
深大寺の灯籠はまだ見たことがないので、見てみたいです。
高輪の灯籠は、地元の話を総合すると三田で処刑された宣教師らの供養の意味が
多いような印象です。
#950 一触即発
いよいよ東禅寺、と思ったらその前にも見所がたくさんありましたね。
いずれも大変興味深く存じます。

イッセーさんはよくご承知でしょうが、
「石榴坂の仇討」のストーリーには無理がありますね。
事変直後、憤激した彦根藩士らと水戸藩とで戦争になりかねない状況だったとか。
そうなれば井伊家は断絶。家老・岡本半介が藩士らを抑え、危機は回避されました。
だから、彦根藩が藩士に仇討ちを命じることはないはず。
万一露見すれば主家断絶、家臣としては不忠の極みでしょう。

かっしー、黙ってないで反撃だッ!
「ご両所は馴鹿の扮装をなされよ」とツノを付け、鼻を朱墨で塗ってあげよう!
#951 東屋梢風さま
仰るとおり、「柘榴坂の仇討」は設定自体に無理がありますね。井伊大老のすぐ側に
いながら敵を取り逃した志村金吾は、もし史実であれば斬首だったでしょう。
ま、それは小説なのでいいのですが、東屋さん映画はご覧になりましたか?
金吾の妻が居酒屋で働いているのですが、その居酒屋の娘が金吾の妻にミサンガを
プレゼントするという小説にはないシーンがあるのです。
「え、この時代にミサンガってあったの?」と、帰宅後ネットで調べまくってしまい
ました。結論は・・・おそらく、完全なファンタジーですね。
ソコだけは余計だと思いました。

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