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愛宕山を歩く

今回は番外編と新選組マンガでお送りします。

都内にある文京学院大学に、「生涯学習センター」という施設があります。
ここでは、一般社会人向けに生涯学習の講座をいろいろと用意しているのですが、
そこで講師をしないか、とのお話をいただきました。
というのも、ワタクシ「江戸文化歴史検定」の1級を取得しているのですが、この
江戸検協会と大学が提携しておりまして、1級取得者に江戸文化や歴史を語って
もらおうということなのです。
まぁ、講師といってもそんなスゴイものではなく、都内の史跡を巡って江戸の歴史を
勉強&楽しもう!というライトなものです。
講座のタイトルも「江戸検1級合格者と巡る江戸散歩」
ね、お手軽なカンジでしょ。

で、先日、その江戸散歩の講座をしてきましたので、今回はその巡ったルートを
ご案内いたします。
今回廻ったのは、港区の愛宕山と芝です。
特にワタクシの希望で、幕末の史跡を中心に廻らせていただきました。
興味のある方は史跡散策のご参考に。それから講座に参加された方でこのブログを
ご覧になっている方は、当日を思い出しながら見てください。

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スタートは地下鉄日比谷線の神谷町駅。桜田通りに面した場所で、虎ノ門から南に
約1kmの場所。愛宕山の西側です。
午後1時出発。全行程3時間の予定ですから、けっこう忙しい移動になります。
最初に向かうのは・・・

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栄閑院。浄土宗のお寺です。
この近くにある天徳寺というお寺の塔頭(たっちゅう)として寛永年間(1624~43)
に建てられました。塔頭とは、高僧が引退した後の住んだ子院のこと。
このお寺は別名猿寺とも言います。
これは寛永の頃、猿回しに化けた盗賊がこの寺に押し入ったけれども、住職の言葉
に改心して諸国行脚の旅に出たんだそうです。で、そのとき一緒に連れていけない
からと相棒の猿をこの寺に置いていきました。この猿がナイナイの岡村さんバリの
芸達者で人気者になったからと云います。

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なのでホラ、お寺のあちこちにお猿が・・・。
でも、この寺が有名なのは猿だけではありません。

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それがこちら。杉田玄白の墓でございます。
江戸時代の有名な蘭学者・蘭方医ですね。明和8年(1771)に小塚原で腑分けを
して、前野良沢や桂川甫周らと「解体新書」を著しました。
玄白は直接幕末には関係ありませんが、この人の孫・杉田成卿(せいけい)は、
「八重の桜」主人公の新島八重の最初の夫・川崎庄尚之助の蘭学の先生だった
そうです。

栄閑院のすぐそばにあるのが

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天徳寺です。栄閑院はココの子院だったんだから、近いのは当然。
元々は天文2年(1533)に江戸城の紅葉山あたりに開創しました。浄土宗江戸四ヶ寺
の一つに数えられるほど、当時は大きなお寺でした。
安政6年(1859)にロシア使節のムラヴィヨフと幕府側の外国事務掛の遠藤胤統・
酒井忠毘が国境問題をココで話し合いました。
ムラヴィヨフは軍事力を背景にサハリン全土をロシア領と主張しますが、遠藤・酒井
の両人はこれを断固拒否。国境問題は明治維新まで持ち越されました。

こちらには大名家の墓が3つあります。

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そのうちの2つをご紹介しましょう。
武蔵川越6万石の松井(松平)家の墓と、三河西尾6万石の
大給(松平)家の墓です。
どちらも家康以前から松平家に仕えていた譜代の大名です。
幕末に関連して言うと、松井家は、慶応4年(1868)彰義隊から分離した渋沢成一郎
率いる振武軍が飯能に入ると、新政府から討伐を命じられています。
大給(おぎゅう)家は乗完・乗寛・乗全と江戸後期に3代続けて老中に就任しました。
乗全(のりやす)は安政の大獄で、大老の井伊直弼を補佐しています。

ちなみに、もう一つの大名墓は美濃今尾3万石、竹腰家です。

天徳寺には他にも江戸中期の儒学者・篆刻家・画家だった高芙蓉(こうふよう)の墓
などもありますが、もう一つ注目していただきたいのが、コレ!

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弥陀種子板碑(みだしゅじいたび)です。
板碑とは中世の石造塔婆のことで、関東で多く見られます。その地域の有力者が
現世や来世の安楽を願うために建立したものです。碑の真ん中に梵字があります
が、これを種子といいます。
板碑には建てられた年号が刻まれていることが多く、文献の少ない中世の東国では
貴重な史料となるのです。天徳寺の板碑には「永仁六年七月日」(1298)とあります。

天徳寺を出て、いよいよ愛宕山に登ります。愛宕山の西側からトンネルを抜け
るとエレベーターがあるので、一気に上まで登れます。
愛宕山は海抜26m、今では周囲に高いビルが立ち並んでいますが、江戸時代は
房総半島まで見渡せたといいます。
山頂にはNHK放送博物館がありますが、大正14年7月からのラジオ本放送はココ
からスタートしたのです。

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こちらが愛宕神社。家康が慶長8年(1603)に幕府を開くにあたり、防火・
防災の守り神として創建されました。家康が信仰していた勝軍地蔵菩薩に関ヶ原
の戦いの勝利を祈願した場所なので、ここに社殿を建てたそうです。

愛宕神社は万延元年(1860)3月3日の大老・井伊直弼を暗殺した「桜田門外の変」
に参加した水戸浪士らが、当日の朝集合した場所としても知られます。
この事件は、時の政府の要人が暗殺されたテロです。
しかし、後に反幕勢力が明治政府を作ったため、幕府要人を暗殺したテロ行為も
正当手段として扱われ、ここに顕彰碑が建てられているのです。

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桜田烈士愛宕山遺蹟碑です。

愛宕山の名物といえば、こちらでしょう。

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愛宕通りから山頂に続く急な石段。これは「男坂」と呼ばれ、86段、40度の急勾配
です。向かって右側には109段ですが、勾配の緩やかな「女坂」もあります。

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男坂を上から見ると、こんなかんじ。メチャ、怖えェっス・・・!
ワタクシ高所恐怖症なもんで、手摺りにつかまりながらじゃないと、降りられません。
しかし、この急勾配の石段を馬で駆け上がり、将軍家光の求めた梅の枝を1本折って
献上したと云われるのが曲垣平九郎
この武勇によって平九郎はご褒美と名声を得たので、この石段は「出世の石段」と
呼ばれるようになったと云います。
でも、この話は不自然な部分が多く、講釈師によるフィクションの可能性が高いようです。

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境内には、こんな梅の樹もあるんですが・・・。

愛宕山を降りて、愛宕通りを南へ進みます。

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見えてきたのは、曹洞宗の寺院青松寺
江戸曹洞三ヶ寺の一つに数えられた大寺院です。かつては安芸浅野家、長州毛利家、
土佐山内家などの菩提寺でもありました。
こちらでぜひ見ていただきたいのが、

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この自然石を利用した石碑です。こちら請西藩林家旧臣供養碑
請西(じょうざい)藩林家は上総木更津にあった1万石の小さな藩です。
鳥羽・伏見の戦いで敗れた幕府は新政府に江戸城を明け渡しますが、藩主・林忠崇
は佐幕を貫き抵抗を続けます。
その時に徳川家や藩に迷惑がかかるのを避けるため、なんと藩主の忠崇自らが脱藩
してしまうのです。そして志願兵らと各地を転戦しますが、次第に兵も少なくなり、つい
には仙台で降伏しました。
新政府は忠崇の行動を許さず、請西藩は戊辰戦争で唯一の改易となってしまいまし
た。
この碑は、最後まで藩主・忠崇に付き従い旧幕府に殉じた藩士たちの供養碑です。

林家は松平家の始祖・松平親氏の代から仕えていた譜代の家柄でした。家康は親氏
から数えて9代目当主ですから、相当長い繋がりですよね。
親氏の家臣だった林光政が兎の吸い物を出したことから、松平家の武運が開けたと
云います。
そのため、徳川将軍家では毎年元旦に兎の吸い物を食べるのが恒例となっていました。
この吸い物は林家当主が用意し、将軍から下げられた膳は林家から順に老中、若年寄
と渡されていきました。
請西藩は1万石という小さな藩ですが、林家は徳川将軍家に特に強い思い入れがあった
のでしょうね。

さて、青松寺でとても興味深いのは、佐幕を貫いた請西藩の供養碑のすぐそば、5~6
mも離れていないところに・・・

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長州藩の戊辰戦争で亡くなった兵士の供養碑があることです。
碑には旧山口藩出身御親兵死没者合祀之碑
あります。明治22年(1889)に合葬された供養碑です。

戊辰戦争で敵同士だった二つの藩の供養碑が、並んで建っているというのは
なかなか興味深いと思いませんか。
これも青松寺がかつて大寺院で、多くの大名の菩提寺だったからでしょう。
請西藩林家も、長州藩毛利家もここが菩提寺でした。

長くなりましたので、後半の芝は次回!
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安富才助は新選組の諸士調役兼監察、馬術師範だった隊士です。
チャンスがあったら、愛宕山の石段駆け上がりにトライして成功させたでしょうか?

ところで、曲垣平九郎の他にも愛宕山の石段駆け上がりに馬で挑戦し、成功させた人は
他にも何人かいるようです。ハッキリ事実がわかっている人として、明治15年
(1882)の石川清馬氏、大正14年(1925)の岩木利夫氏、昭和57年
(1982)の渡辺隆馬氏の3人が上げられます。
岩木さんは陸軍の職員で、その挑戦の模様はラジオで生中継されました。登りは1分で
駆け上がったものの、下りは25分もかかったということです。
渡辺さんはスタントマンで、「史実に挑戦」というテレビ番組の中で成功させました。

でも、コレって、馬がスゴイってことでもあるよね。


「なんだー。このボタンちょっと押してみるんだな。うーん、なんだー。」



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[ 2014/11/30 ] 番外編 | TB(0) | CM(6)

本領発揮

 イッセーさんの面目躍如ですね。ことに、愛宕山の石段駆け上がりの漫画付きは、みんなが楽しめます。
 青松寺へお参りして、供養碑の前に立つと、一度にその背後の世界が浮かんできて離れなれなかったことを思い出します。
 芝、楽しみにしています。
[ 2014/12/01 07:29 ] [ 編集 ]

野火止用水さま

野火止用水さんの前では汗顔の至りです;
青松寺のこの二つの供養碑は、場所がとてもわかり辛くて下見の時、探すのに苦労
しました。管理者の方に聞いても「そんなのがココにあるんですか?」と言われる
始末でして・・・。

この二つの供養碑に挟まれるようにして、軍国時代の英雄だった「肉弾三勇士」の
墓もありますが、これらは墓地の隅で忘れ去られたようになっています。
しかし、幕末から昭和初期にかけての歴史の貴重な遺蹟ですから、ぜひ多くの方に
知ってほしいと願います。
[ 2014/12/01 10:46 ] [ 編集 ]

タモリも好きな愛宕山

講師のお務め、お疲れ様です。とても面白そうな講座ですねー。

桜田烈士については、ちょうど「風雲児たち 幕末編」の連載最新回で
事件から1年半後の文久元年7月、斬罪に処される場面を読んだところです。
存命人物の処刑後、すでに死亡した人物の塩漬け遺骸にも刑を執行したとか…

林家は、旗本から若年寄に昇進し、加増を受けて大名になったので、
やはり抜擢された恩義を重く受け止めていたのでしょうね。
忠崇公は昭和16年、94歳で「最後の大名」として世を去ったとか。

馬がスゴイ、ご尤もです。日本原産の馬について
「体格が小さく、鎧武者を乗せて長距離を走ったりできない」という説と
「小柄でも頑丈で体力がある、ポニーと一緒にすべきではない」という説があり、
曲垣平九郎の逸話のとおりなら、後者が正解ってことかな~と思います。
[ 2014/12/02 19:21 ] [ 編集 ]

曲垣平九郎

イッセーさんがこんなにすごい方とは知らず、数々の生意気なコメント…冷や汗ものです。どうかお許しください。

都心部の史跡は全く持ってわからないので、今回の記事は本当勉強になりました。特に林忠崇(昌之助さんと同じひとですか?)という方は、最近史料を立て続けに見て、凄い人だなあと思っていただけに、記事にされたことがタイムリーで嬉しいです。
あと、不二子不二雄さんの「まんが道」を最近読み始めたばかりなのですが、曲垣平九郎の話が出てきて、こちらもタイムリーで、嬉しいかぎりです。

今回の場所、絶対一度訪れてみたいです!
[ 2014/12/03 21:54 ] [ 編集 ]

東屋梢風さま

殿さまが脱藩するっていうのは、見方によっては「家臣や領民を捨てる」と
取られても仕方のないことで、あまり褒められた行為ではないと思いますが、
佐幕ファンとしては拍手を贈りたい一人ではあります。
最後の殿さまも、亡くなるときは娘が経営するアパートの一室だったそうで、
そんなところも波乱に満ちた殿さまらしいエピソードだと思います。けっこう
晩年は幸せだったようですが。

よく、義経の鵯越は可能だったのかが話題となりますが、あれは駆け降りたので
はなく馬が後ろ足を曲げて滑るように降りたという説が有力なようですね。
それに比べたら、愛宕山は石段を確実に歩いて上り下りしなければならないので、
やはり馬も優秀だったんですよ。
実際、大正の岩木さんは処分されそうな馬が「まだ働ける」ことを実証したくて
挑戦したらしいです。
[ 2014/12/05 16:07 ] [ 編集 ]

甚左衛門さま

いえいえ、とんでもありません。
甚左衛門さんの話には、いつも驚かされております。

昌之助は忠崇さんの幼名のようですね。「脱藩大名」「最後の大名」と他人には
ない肩書きやエピソードがたくさんある人だけに、もっと知名度があっても
いいのにと思っております。

ワタクシも都内はそれほど詳しくありませんので、このような機会がある度に
勉強しながら廻っております。
[ 2014/12/05 16:16 ] [ 編集 ]

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