由五郎始末~火盗改に捕まる~

幕末のハグレ者・・・といえば、尊王攘夷の思想に駆られた脱藩浪士と勝手に決めて
しまいがちですが、世の中そんなに上昇志向のある人間ばかりではありません。
ハグレ、というよりもグレてドロップアウトしていく者も多くいたわけで、社会情勢が
不安定な中、農村ではそんな若者も多かったのではないでしょうか。

詐欺まがいの事件を起こしたものの、村人たちの熱心な働きかけでなんとか村
にも復帰できるようになった(と思われる)蔵敷村の由五郎。

「恐れながら書付をもって願い上げ奉ります
                 武州多摩郡蔵敷村 無宿 由五郎
右の者は、先般お召し捕りになり御吟味の上、御見様を村預けに仰せ付けられました
ところ、追々改心し農業に精を出し仕るにつき、何とぞ御慈悲をもって、村御預けを
御免くだされ置きますよう、ひとえに願い上げ奉ります。以上。
            江川太郎左衛門御代官所 
                  武州多摩郡蔵敷村 名主 杢左衛門
 万延元酉年2月20日
   関東取締御出役 駒崎清五郎様    」


身分は無宿のままのようですが、村をあげて由五郎を村に預けてもらえるように
杢左衛門さんらは願い出ています。
年号が万延元年となっていますが、「酉」とありますので文久元年の間違いでしょう。
由五郎はその後、改心したのでしょうか?
願い書が出されてから1ヶ月も経たぬうち、大変なことが起きてしまいます。

「恐れながら書付をもってお伺い申し上げ奉ります
武州入間郡所沢村組合におります多摩郡蔵敷村の小惣代、名主の木左衛門が
申し上げ奉ります。
私の村方の無宿由五郎ですが、どのような風聞が立っているかお聞きになり、
先頃、御廻村先において御召し捕りになり、そのときに私どもが御吟味の上で罷り
出ました。
右由五郎の身分は村役人・親類たちへお預けと仰せつけられましたので、去る12月
中に同郡中藤村の親類である百姓吉右衛門方へ差し遣わして、農業に精を出すよう
に仕置きいたしました。

ところが、去る3月14日頃、御火方(火付け盗賊改方)福田
嘉右衛門様御手先の者に、農業の仕事先でお召し捕りになってしまいました。
右中藤村吉右衛門より沙汰がありましたが、そのとき私は出府中で、このたび帰宅
して驚き、早々に中藤村村役人へお召し捕りの始末を尋ねました。
すると、御手先の者の名前を失念したが、召し捕り状を持っていると申し聞きました。
しかし、手帳だけを見せ御下知書は見せないと申します。場所書きは差し出しましたが、
所持品一切はないとのことなので、このことを申し上げ奉ります。
どのようにすべきでしょうか。取り計らい方を恐れながら書付をもってお伺い奉ります。
何とぞ御下知を願い上げ奉ります。以上。
               江川太郎左衛門御代官所
                  武州多摩郡蔵敷村 小惣代 名主 杢左衛門
   酉4月8日
 関東取締御出役 駒崎清五郎様    」
                       

さぁ、エライことになってしまいました!
由五郎は無宿扱いのままだったようですが、中藤村(武蔵村山市)の親類に預けられて
更生させられていました。ところが、火盗改めの役人に捕まってしまったといいます。
火盗改めは、「鬼平」でもおなじみの凶悪犯専門の捜査組織です。
鬼平の長谷川平蔵は小説やドラマでは、なかなか人情味のある長官として描かれて
いますが、本来火盗改めは荒っぽい集団で、他のドラマ・小説では悪役として描かれる
ことも多いですね。
というのも、町奉行所の与力・同心らは「役方」といって、本来は事務系公務員です。
今風にいうなら都庁の職員が警察官も兼ねているといった具合。
しかし火盗改めは「番方」といって、幕府の編成上は軍隊なのです。ですからココの与力
・同心は軍人です。町方役人より荒っぽいのはこのような違いがあるからです。

そんな火盗改めに捕まってしまうとは、由五郎ナニをやらかしたのでしょうか?
もっとも、書状の後半で、この逮捕に不自然な箇所も見られるような感じもします。
杢左衛門さんは火盗改めに、由五郎の口上書きを提出しましたが、そこには由五郎の
過去が明かされていました。

「恐れながら口上書きをもって申し上げ奉ります
武州多摩郡蔵敷村の百姓長左衛門ですが、高2石あまりの土地を持ち、家族4人で
暮らしております。13年前の嘉永2年(1849)に、江戸本所吉岡町1丁目建具屋
清太郎の子由五郎が、7歳のとき親知らず音信不通となったので話し合い、長左衛門の
実子同様に貰い受け養育いたしました。
成人になるに従い農業無精になり、度々意見を差加えましたが更に取り合わず、身持ち
の悪さも増長し、追々よろしくない風聞も立つようになったので、後で災難が起きることも
考えられましたので、去年7月中に支配役所へ訴え上げ、勘当帳外しになりました。
そんなところ、同年10月中、関東御取締御出役の駒崎清五郎様が御廻村先で由五郎を
お召し捕りになりました。
同11月中に、甲州道中府中宿の御用先で御吟味の上、右由五郎の身柄は村役人・親類
預けと仰せ付けられました。
そこで、同郡中藤村の親類で百姓の吉右衛門方に差し遣わして、農業に精を出すように
させました。今年の2月中にそのことを申し上げ、村預け御免になりましてございます。
当年19歳になりまして、右に申し上げました通り違いはございません。以上
                   江川太郎左衛門御代官所
                     武州多摩郡蔵敷村 名主 杢左衛門
 酉(文久元年)4月9日 
  火付盗賊御改 黒澤正助様御組 福田嘉右衛門様   」


由五郎は江戸本所に住む建具屋の子供でした。
それが7歳のとき、親がいなくなったため、蔵敷村の長左衛門が引き取って実子同様に
育てた、ということのようです。
以前の書状には、由五郎は傳蔵の養子とありましたので、今回の書状の養父にあたる
長左衛門とは名前が異なるのが不思議なのですが、由五郎の年齢や時系列が同じ
なので、この書状に書かれている由五郎は前回までの由五郎と同一人物と見て間違い
ないでしょう。
長左衛門さんからも、由五郎身分についての上申書が出されています。

「恐れながら書付をもって申し上げ奉ります
武州多摩郡蔵敷村の百姓長左衛門が申し上げ奉ります。私の倅、由五郎の身分を
お尋ねとのことで、左に申し上げ奉ります。

この度の前書の由五郎は、今年19歳になり、私の倅に相違ございません。母が存命中
だった幼年の頃より手元で成長いたし、農業の手伝いなどをして罷り在りましたところ、
追々身持ちがよろしくなくなり、様々に意見を差加えましたが取りあうこともなく、その上
去る万延元年3月に家出して行方知れずとなりました。
殊に出先において宜しくない風聞もあり、将来も見届け難いと思い、親類・組合一同
相談の久離勘当させていただきたく、同年7月中に支配役所へ訴え申し上げ
ましたところ、その節願いの通り申し付けられ、村方人別帳から除きましたものでござい
ます。
右お尋ねにつき申し上げ奉ります通り、相違ないことでございます。
                江川太郎左衛門御代官所
                    武州多摩郡蔵敷村 百姓 長左衛門
                            差添え 名主 杢左衛門
 文久元酉年4月10日
   火付盗賊御改 黒澤正助様御組 福田嘉右衛門様   」


、久離とは失踪や非行などを起こした子供、甥、弟子などに対して、身内の目上である
親、叔父、師匠などが絶縁することを言います。
由五郎は父親が失踪するかなにかでいなくなり、長左衛門さんに引き取られたよう
ですね。つまり、「家を継ぐ」などの理由で望まれて養子に入ったのではなく、言葉は
悪いかもしれませんが「拾われた」という性格のものだったようです。

由五郎が火盗改に捕まった罪は何なのかわかりませんが、彼がグレはじめた理由は
なんとなく想像ができたような気がします。
青少年の行動が家庭環境に左右されるのは、今も昔も同じなのかもしれません。

メガ21
よく時代劇で見られる「大八車」ですが、元々は「代八車」と書きました。
人間8人分の代わりに働く車という意味です。


「なんだー。このボタンちょっと押してみるんだな。うーん、なんだー。」



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#924 江戸追い出しを図ったのかも
 由五郎の心情は理解できます。また、周辺の困惑ぶりもわかります。しかし、なぜ、久離勘当中の者を火盗改めが捕まえたかに疑問が残ります。
 何年か前に、立ち話で、当時、「無宿者を集めて、北海道に送り、労役につけた」ということを聞いたことを思い出しました。
 そんなことも含め、資料が出てくればいいですね。
#925 野火止用水さま
長谷川平蔵が無宿人に職業訓練の場を与えた人足寄場も、平蔵がいなくなって
からは、だんだんと強制労働をさせる場所としての意味合いが強くなっていき
ましたから、幕末の頃には仰るようなことがあったのかもしれませんね。
貴重なお話、ありがとうございます!
#926 怪しい…
源七の下を離れ、中藤村へ身柄を移されたら
いきなり火盗改に捕まるとは、穏やかじゃないですね。
無宿人を集め強制労働させる前近代的な措置が実際に行われていたにしろ、
由五郎を無理やり捕まえて寄場送りにする理由があるのかどうか。
中藤村村役人の態度も不自然だし、何か裏がありそう。
まだ続きがあるのなら知りたいです。

「伝蔵」と「長左衛門」の関係がわかりませんね。
ひょっとして、伝蔵が文久元年開けの前後に改名して
当主の世襲名「長左衛門」を名乗った、つまり同一人物かも?と想像しました。
#927 火盗改めと関東取締
幕末期に回村してくる役人としては、関東取締出役、火附盗賊改め、それから稀に江川代官手代、の三種類がいたようですが、これらが具体的にどのような違いで動いていたかという具体的な研究はまだ無いようです。
それでも岩田みゆきさんの「人相書きに村の『犯罪』情報」(『幕末維新期の治安と情報』大河書房2003)という興味深い論文によりますと、
火附改めは「商品の不正売買に関する取り調べや、ものの紛失についての取り調べ」がメインだったとのこと、また彼らは関東取締出役と違い、寄場ネットワークをもたないため、容疑者を直接用先の旅籠へ呼び出す、という単発な取り調べが特徴だったそうです。

察するに気合の入ったソリコミを入れた由五郎の罪科は「詐欺」あたりだったんじゃないでしょうか。
#928 東屋梢風さま
今のところ、由五郎始末は今回が最終回です。
もし、見落としている史料があれば、見つかった時点で描きたいと
思います。

ワタクシも東屋さんと同じく、傳蔵と長左衛門は同一人物ではないかと思って
おります。由五郎が同じ人間であると思われる以上、養父もまた同じ人間で
ないとおかしいですからね。
#929 甚左衛門さま
資料のご紹介ありがとうございます。
言われるまであまり気にしていませんでしたが、確かに八州廻り、火盗改、代官と
どのような管轄で動いていたのか、気になりますね。
東屋さんも仰っていましたが、由五郎の一件では中藤村の対応も気になります。
由五郎は前科持ちですし、無宿人狩りみたいなのに引っかかったのかな、と想像
してしまうのですが・・・。
由五郎の容疑が詐欺だとすると、それを取り締まるのが火盗というのも、ワタクシ
には意外な感じです。この辺りのことは、もっと史料があるといいですね。

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