由五郎始末~悪に走る~

蔵敷村の若者、由五郎。
日頃素行の悪かった彼が「不図(ふっと)」いなくなります。
村では欠落したのかと、代官所に届け捜索しましたが、なんと甲州道中の
上野原にいる所を発見されました。
聞くと「金比羅参りに出たところ、病気で動けなくなっていた」とのこと。
そういう事ならと、家族や村は由五郎の村民としての復帰を願い出ます。
ところが、由五郎の素行の悪さは相変わらず。
ついに家族らは由五郎を人別帳から外してくれ、と代官所に願い出るの
でした・・・。

それから約4ヶ月後の万延元年(1860)11月。
「里正日誌」には次のような記載があります。

「村方傳蔵養子由五郎嘆願書
    畏れながら書付をもって願い奉ります
            江川太郎左衛門御代官所
               武州多摩郡蔵敷村 
                 百姓傳蔵倅 当時無宿 由五郎 申18才

右の者は盗みを働いたとの風聞が聞こえ、お役人が御廻村先
でお召し捕りになり、現在御吟味中でございますが、私どもが御廻村先へ
罷り出、しばらくご猶予を願い上げ奉ります。
当人のこれまでの行状は一同、とくと承り、問い質したところ、盗みなどは
決してしていないけれども、農業を怠り大酒を好んで所々へ遊び歩いて、
だんだんと身を持ち崩して増長し、その上高木村の百姓源左衛門・中藤村
の同次郎兵衛・勝楽寺村の同七郎右衛門・中富村の同清次郎、右4人の
者をうまく欺いて、衣類その他を借り受け質屋に差し入れて、みだらに
金銭を使い捨ててしまいました。

自然と右の風聞を受ける次第となり、この始末の御吟味を受け奉りましては
一言も申し上げることもございません。過去の過ちを悔い利発に恐縮奉ります。

今後はきっと改心し、禁酒して身分を慎み、何様にも農業に精を出すべき旨を
もって、私どもへ取りすがり、ただお慈悲を顧みて願い上げてくれるよう歎いて
おります。改心することは違いないと見えます。
もっとも衣類その他は、それぞれへ厚く詫びを入れ差し戻しますので、同人共
にても申し分はございません。なにとぞ格別の御慈悲をもってお吟味はこれまで
で御取下げになり、当人の身分を蔵敷村名主の杢左衛門・同村親類百姓の
源七へお引き渡し下されますよう願い上げ奉ります。

しかる上は見た上で帰住して、改心を見届けた上は、その筋へ相歎いた源七方
へ引き取り、人別帳に入れ何様にも農業に精を出すよう申しつけます。
万が一どんな風聞がございましたら、早々に訴えるべきことを申し上げ奉ります。
以上のようにお聞きくだされますよう、一同御嘆願を申し上げ奉ります。以上。
   万延元申年11月19日 
          江川太郎左衛門代官所 
            武州多摩郡高木村  百姓 源右(ママ)衛門
                      組頭 与右衛門
          同御代官所 
            同州同郡中藤村  百姓 次郎兵衛
                     組頭 藤左衛門 
          小林龍吉知行所
            同州入間郡勝楽寺村  百姓 七郎右衛門
                       組頭 八郎右衛門
          松平大和守領分
            同州同郡中富村  百姓 清次郎
                     組頭 小右衛門
          江川太郎左衛門御代官所
            同州多摩郡蔵敷村  百姓 源七
                      小惣代名主 杢左衛門
          竹垣三右衛門御代官所
            同州同郡府中宿  年寄 長左衛門
                     年寄 仁左衛門
関東御取締臨時御出役
   駒崎清五郎様        」


人別帳から外された由五郎(18)ですが、どうやら犯罪に手を染めてしまった
ようですね。現代なら未成年ということで伏せられますが、江戸時代ですから
思い切り実名公開報道してしまいます。
まぁ、当時なら18歳は立派なオトナでしょうけど。

盗みを働いた、というのは事実ではないようですが、あちこちの村人を騙して
衣服や身の周り品を集め、それを質に入れて金を騙し取っていたというのだ
から、よけい性質が悪いような気もします。
しかし親族は、騙した人たちには詫びを入れ弁償するので許してほしい。
人別帳に戻してほしいと訴えています。

この書状でいきなりビックリさせられたのは、由五郎が傳蔵の養子だったという
ことです。前回は全く触れられていませんでした。
そして、今回の書状では傳蔵の名前は出てこないで、由五郎を許してほしいと
歎き訴えているのは親類だという源七です。
源七は組合惣代をしているほどですから、親類の中でも本家筋なのでしょう。
傳蔵が働かないで酒ばかり飲んでいる由五郎を、犯罪を犯す前に勘当したかった
という理由も、実の子ではなかったからかもしれません。

由五郎の犯した罪は直接の盗みではないとはいえ、被害者から訴えられれば
どうなるでしょう。10両を盗んだら首が胴から離される時代です。
源七は、由五郎が養子とはいえなんとか周囲に頼み込んでその命を救ってやりたい
と思ったのかもしれません。
嘆願書の差し出し人連名には被害者たちの名前もあります。源七が余分に金を
払ってでもして頼み込んだのではないでしょうか。

さて、由五郎。改心できるのでしょうか。

メガ20
江戸時代は親がよほど土地を持っていないかぎり、武家でも農民でも次男・三男
がそのまま独立をすることはできませんでした。
彼らは、男子がおらずこのままでは家系が絶えてしまうというような家に養子に
入ることで、初めて家族を持ち、独立することができたのです。
個人よりも家の存続が優先された江戸時代では、養子縁組はさかんに行われ
ました。

・・・とはいえ、由五郎が養子となった理由は、何だったのでしょう?


「なんだー。このボタンちょっと押してみるんだな。うーん、なんだー。」



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コメント一覧

#918 ダメな子ほどカワイイ?
由五郎が傳蔵家へ養子にいった理由、手がかりとなるような
宗門人別帳などの史料は、残っていないのでしょうか?
いずれにしても、養子縁組を解消され、かといって生家へも戻れず
源七が手元に置いて面倒を見ることになった、という雰囲気ですが。
源七は、由五郎生家とごく近しい親戚で、
由五郎を幼い頃からよく知っていたのかも、という印象を受けました。
#919 不良
不良の基本って、やっぱり学校。つまり対教師が根底にあって成り立ってるように思うんです。けど江戸時代には学校教育ってないですよね。
彼らは何を相手に、自分を「突っ張っていく」のだろう。

漫画の由五郎のイメージ図、これ最高。
ここ半年で一番笑わしてもらいました。
#920 東屋梢風さま
ワタクシは最初、源七が由五郎の実の親かなとも思ったくらいです。
かなり近しい間柄であることが、想像できますよね。
由五郎の追跡、まだ続きます。
#921 甚左衛門さま
由五郎は何かに不満があって非行に走ったのか、それとも単なる怠け者なのか、
その辺りの動機がわかりませんね。
養子に行かされることは、当時とすればよくあることですが、何か複雑な事情
で養子に入ったのならそれが動機でしょうか。だとすると、突っ張る対象は
親を含めた身内ということでしょうか?

由五郎がどこで髪を脱色し、パンチを当てていたのかはナゾです。

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